第189話 進化
すべての話を聞き終えたリーザさんは、ジルベールさんから馬を借りて、単身アルムトの村へと向かった。
彼女は会議中そわそわと落ち着きがなかったので、アルムトのことがずっと心配だったのだろう。
「それじゃ、俺は休ませてもらう」
「お、お疲れ様です」
ジルベールさんの部下の女性の言葉を受けて、俺はテントを後にする。
時刻は夕方に差し掛かった頃だろうか、外はパラパラと雨が降っていた。
こりゃ、森の奥に向かうのは明日だな。
ここに来て予定がどんどん遅れているけれど、仕方がない。
俺と一緒に行こうとするメンバーが女の子ばかりな上に、王女が二人もいるんだ。体調を崩して風邪を引かれては困る。
「へっくし」
女の子の心配ばかりしていると、自分の体温が思っていたよりも下がっていることに気づく。
「おぉ……寒……」
俺は体を温めるために、用意されている自分のテントへと急いで戻ることにした。
「クロさま、おかえりなさいです」
「おかえりなのじゃ」
テントの中に入ると、なぜかリアと白亜の二人が居た。
彼女たちも同じテントを用意されているのに、なぜここにいるのだろうか。
「お前らなんでここにいるんだ? ルナはどうした」
「気温が下がってきたから、クロ坊の寝床を温めていたのじゃ」
「ルナさまは、ごはんをつくりにいってます」
俺の毛布をゴソゴソと動かしながら、二人は答える。
とても気が利く二人だ。お礼を言った後、俺はもう少し二人に協力してもらうことにした。
「そうか。じゃ、ちょっと二人共来てくれ」
「はい」
「なんで脱ぐのじゃ……」
リアは素直に頷いてくれたけれど、白亜は急に俺が服を脱ぎだしたので、少し警戒した態度を取る。
「濡れたから脱いでるだけだ。とにかく来てくれ、特に白亜、今はお前がいちばん大事なんだ」
「う……や……その……じゃのう……」
俺の言葉を聞いた白亜が「気持ちは嬉しいが、わらわたちはまだ早い……」などとわけのわからないことを言う。
「いいから、来い」
「きゃっ……」
俺は白亜の言っていることを無視して、無理やり引き寄せて毛布の中に潜り込んだ。
「はぁー……少し狭いが、とても暖かいなぁ……」
「クロさま、とても痛そうです」
「俺は痛くないぞ」
「そうなんですか?」
「なぁ、おぬしら……これはなんじゃ……」
「うん?」
「なぜわらわは、クロ坊に後ろから抱かれておるのじゃ?」
「暖かいからだ」
「…………」
狭いテントの中で、俺たち三人は寄り添って寝ている。
俺は白亜に後ろから抱きついていて、リアは俺の背中の傷をさすりながら引っ付いていた。
あぁー……もふもふサイコー……
俺は白亜を抱き寄せたまま、彼女のモフッとした尻尾を触る。
先程までは体温が下がっていて寒かったが、今はとても暖かい。
「はぁ……わらわの勘違いか……」
俺に抱かれたままの白亜が、小さい声でポツリとつぶやく。
俺は聞こえてないふりをした。自分もそこまで馬鹿じゃない、彼女たちの好意には気づいている。
すまない、白亜。
彼女たちの好意に答えるのは、今の俺では怖いのだ。
だいぶ前から、俺は俺でなくなるような不安にさいなまされている。
夢の中でレティにそっくりな女の子に逢ってから、その不安がさらに強くなった。
それがキサマの願いだからだ――
だまれ。
なぜ目を逸らす――
うるさい。
あの日あの場所で、キサマはオレの言葉に肯定したはずだ――
違……う……
目を瞑ると、あの時の光景が頭をよぎる。
激しく降り注ぐ雨の中で、俺はずぶ濡れになりながら下を向いていた。
ふと、後ろにいる男が気になり、俺は振り返る。
奴は泣いていたのだろうか……それは覚えていない。
ただひとつだけ確かなことは、冷たい雨に濡れながら、悲しげな表情をして空を見上げる、白髪の男が立っていた事実だけだ。
「クロ坊……前々から、言いたかったことがあるのじゃが……」
白亜に声をかけられて、俺は現実に引き戻される。
目を閉じていたのは少しの間だけだったはずだが、長い夢を見ているような感覚もした。
ふぅ……落ち着け。
俺は二人にさとられないように、心の中で気持ちを落ち着かせる。
「なんだ? 白亜」
「その……じゃの……クロ坊がしているみたいに、獣人の異性の尻尾を優しくさわるのは……求愛行動になるのじゃが……おぬしは知っていたのかの?」
なん……だと……?
白亜の尻尾を、ひたすらもみもみとしていた俺の手が止まる。
頭の中が真っ白になるのを耐えながら、俺は何とか思考をする。
俺は……いつからさわっていた?
あぁ、白亜と一緒にお風呂に入ってからか。
そういえば最初はやたら恥ずかしがっていたけど、いつの間にかルナと同じように、俺の膝の上に彼女の方から座るようになっていたな。
「いやでも……子狐姿のときは、よく俺の首に尻尾を巻き付けてきたじゃないか」
白亜はよく俺の肩の上に乗ってきて、自分の尻尾をすりすりとさせていた。
俺にはその行為を楽しんでいるのかと思い、あまり邪険に扱ったりはしなかった
「獣の姿で尻尾を擦り寄せるのは、友好の証なのじゃ」
「えぇぇ……」
それは姿が変わっているだけで、同じことだと思うのだが、俺には違いがわからない。
「クロさま!」
どう言い訳をしたものかと考えていると、今まで黙っていたリアが立ち上がり、俺の前へと移動する。
「リア?」
「わたしのしっぽもさわってください!」
彼女はそう言葉にして、その可愛いお尻をぺろんと見せてきた。
「ちょっ! あれ……?」
彼女の素早すぎる行動のあと、俺は素で驚く。
リアは下着が好きではないのか、たまに何も着けていないことがある。
今日は白い下着を着けているので、俺が驚いたのはそこではない。
リアの下着のウエストの部分から、なにやら細い紐のようなものがチョロっと出ている。
「え? もしかしてそれ……尻尾なのか?」
「はい、しっぽです」
その返事を聞いて、白亜も俺と同じように驚いている。
竜人の尻尾は、誰が見ても彼女が竜人だとわかるくらい大きく自己主張していた。
尻尾を見えなくする魔法を覚えているくらいだ、隠さなくては人間の世界で平穏に暮らせない。
それがどうしてこんなに……
「なぜ、小さくなっているのじゃ?」
「しんかしました!」
「これが……進化なのかや?」
白亜の言いたいことはわかる、俺も同じ気持ちだ。
これは進化ではなく、退化じゃないのだろうか?
「やんっ……」
俺は好奇心に負けて、リアの尻尾をむんずと掴む。
俺に掴まれた尻尾の先が、クイックイッと動いた。
うん、尻尾だな。
「クロ坊……」
白亜が俺の名前を呼んだ瞬間、テントの入口がばっと開く。
リアの尻尾を掴んだまま視線を入り口に向けると、そこにはこっちを見ているルナが立っていた。
「あ……いや……これはその……だな……」
俺の目の前には、可愛いお尻を丸出しにしているリア。
そして俺は、そのお尻に向かって自分の手を出している。
リアはルナの正面を向いているので、ルナの方からは尻尾が見えない。
やべぇ……弁解の余地がない。
「クロ……ごはんできたよ」
「あ、はい」
俺は焦りまくっていたけど、ルナの態度は普段と変わらなかった。
リアの尻尾から手を離し、俺はスッとルナの方へと歩いていく。
「クロ……」
「は、はい」
「リアは尻尾が小さくなったから……下着を着けるようになった」
「あ、そうなんですか」
「はい。いままでは消していてもしっぽが気になって、ぱんつをはきたくなかったです」
「なるほど、そんな理由があったのですね」
「ん……」
ひょんなことから、リアが下着を着けていなかった理由が理解できた。
ルナも別に怒っていないようだったので、俺は心の底から安堵する。
「話しをそらされた気がするのう……」
後ろから聞こえてきた白亜の言葉に聞こえないふりをして、俺はアリスたちが待っているテントへと向かうことにした。
◆◇◆◇
くそ……またか……
皆が寝静まった時刻に、俺はテントの外へと出ていく。
胸の動悸が早くなり、イライラとした気持ちで辟易する。
「ハァ……ハァ……ぐっ……」
俺は自分の胸を押さえながら、森の近くでうずくまる。
この場所ならば、寝ずの番をしている兵士たちに見つかることはないだろう。
「抑えが効かなくなっているのか……」
こうなる原因はわかっている。あの二人の力を抑えきれないのだろう。
あの二人のどちらかが出るのが先か……俺が消えるのが先か……
「フッ……笑い話にもなりゃしねぇ……」
「クロ!」
自らの情けない姿に自嘲していると、テントがある方角からルナが駆け寄ってきた。
「わるい……起こしちまったか」
「そんなことはいい。クロ……耐えられそうにない?」
「っ……知っていたのか?」
俺の質問に、ルナはコクリと頷く。
このことは決して話してはいないのに、どうして気づかれたのだろうか。
「ワタシとソフィは……クロとつながっているんだよ」
そういうことか。
「もしかして、あの日の夜にソフィアが俺のところに来たのも、別の意味があったのか?」
「ん……ワタシとソフィが自分の魔力差し出して……クロのソレを抑えていた」
なんてこった……
ルナとソフィアが弱っている原因は、俺のせいでもあったのか。
この二人が俺に抱かれた理由を今更ながらに知り、自分の無力さが心底嫌になる。
「ワタシたちは、クロのことを愛しているから……気にしなくてもいい」
「だけど……」
「クロ……」
ルナは俺を立ち上がらせて、そっと抱きついてくる。
その小さくてもしっかりと地に立つ姿が愛しくなり、俺はルナのことを抱き返す。
「ワタシとソフィが……ぜったいにクロを消させない」
「……ルナ、ありがとう」
「ん……」
「早くソフィアが、帰ってくるといいな」
「帰ってこなかったら……ワタシがクロをもらう」
「フッ……そうか」
俺の目の前には、愛すべき君がいる。いまはそれだけでいい……
美しく月明かりに照らされながら優しく微笑むルナを見て、俺はその唇を奪う。
彼女も俺の想いに応えてくれて、何度も熱い口づけを交わした。




