第188話 貴族の上下関係
オークの擬装作業が終わり、俺たちはリーザさんの所へと戻った。
彼女はオークの姿を見て驚いていた。それはそうだろう、全身に真っ黒な鎧を纏っている上に、中にいる男の顔がまったく見えないのだ。
この鎧姿は、かなり昔にひどい怪我を負ったせいで着けているということにした。
この森の中で一人で暮らしていたのは、傷跡がある素顔を他人に見せたくないという真実味を帯びる理由にもなったからだ。
「それでは世話になった。もう一度聞くが、本当にいいのか?」
「いいだよ。もう痛みはないし、こごでの生活にもすっかり慣れただ」
「そうか……」
リーザさんが掘っ立て小屋の前で、オークと最後の別れをしている。
彼女はオークの怪我のために、ラシュベルトにある治癒院を紹介しようとしたが、男はそれを断った。
俺の時と口調が違うのは、俺が勇者だと名乗ったからなのか?
「では行きましょうか、クロード殿」
「あ、はい」
「トンちゃん、げんきでね!」
「あぁ、おめぇ達も達者でな」
リアとオークの男がブンブンと手を振り合うのを見た後、俺たちは設営してあるベースキャンプへと戻ることにした。
「この森の奥に、迷宮の入り口が? 確かに……魔物が増えた原因を考えると、新しい迷宮の入口が出来た可能性もありますが……」
「入口を見たわけではないので正確にはわかりませんが、俺たちはそう結論づけていました」
「そうですか。しかし……入口付近の低層で、あのように強い魔物は出てくるものなのでしょうか」
俺とリーザさんは、森で発生した魔物の異常増殖について話し合う。
彼女が言うには、迷宮の魔物が外に出てくることは確かにあるけれど、あれほど強い魔物は、深い階層にしか出てこないものらしい。
「俺はまだ迷宮に潜ったことがないので、よくわからないですね」
「あの魔物を倒すほど強いのに、なぜですか?」
「富や名誉には、興味はないので」
「異世界人にしては、珍しい考え方ですね」
本当の理由は違う、俺だって金は欲しい。
しかし勇者と偽って国のために働くと、国王や貴族の命令には逆らえなくなる。
マリンさんからその話を聞いた時、異世界人の勇者には思っていたよりも自由はないように感じられた。
この世界の王侯貴族は、国を栄えさせるために勇者召喚をしているらしい。
別の世界から異世界人を召喚し、その知識などを借りて国を繁栄させる。
ある者は異世界の食文化を広めたり、またある者は、あらゆる国での戦争や内政でその手腕を振るう。
こうして何百年も前からそのようなことを繰り返してきたこの世界は、当然のように発展してきた。
しかし勇者の召喚には、それなりのリスクもある。
異世界人がこの世界に召喚された時、彼らは勇者専用のスキルを手に入れることができる。
自分が他の者達よりも優れていると理解した時、調子に乗るのが人間だ。
現に、王命に背いて国から離反する者もいれば、召喚された国で好き勝手暴れた者もいた。
そんな者達を押さえる為に用意されたものが、財宝が眠っている大迷宮の探索だ。
実力がある冒険者しか挑めない迷宮も、勇者ならば自由に入ることができる。
迷宮を探索する勇者には、王族や貴族たちから補助金を貰えるらしい。
金や名誉が欲しければ、いつでも大迷宮に挑めばいい。
召喚されている異世界人は多いのに、街で勇者をあまり見かけないのは、こぞって迷宮に潜っているからなのかもしれない。
本当に……よく出来ている社会だよな。
迷宮の財宝の中には、研究対象になる物もたくさんあった。
王侯貴族はそれで国を繁栄させ、異世界人達は好きなだけ富と名誉を手に入れる。
まるで、見えない何者かに用意されたゲームの舞台のようにも思える。
まてよ……
ゲームのような世界に、これまたゲームみたいな勇者のスキルか。
「……ード殿?」
トリアナの話では、大迷宮はクロフォードが創ったものなんだよな?
ということは……
「クロード殿!」
「あっ!?」
俺はリーザさんに名前を呼ばれ、ハッと我に返る。
どうやら考え事に集中しすぎていて、周りの声がまったく聞こえなかったみたいだ。
「申し訳ありません、クロード殿。失言でした」
「え……?」
話を聞いていなかったのは俺の方なのに、なぜかリーザさんが頭を下げる。
「異世界の者たちは皆が皆、金や名誉が欲しいような言い方をしてしまい……」
「あ……あー、あー、違います違います。別に怒っていたわけじゃないですよ」
「しかし……」
「少し考え事をしていたのですよ。ほら、その……アルムトの村が迷宮から出てきた魔物に襲われたのなら、まだ安全だとは言い切れないなと」
「それは……」
俺の言葉を聞いたリーザさんが、血の気が引いたようにさっと顔色を変える。
この人はラシュベルトからの物資を届けた後、たったの数日で帰還しようとしていたのだ。
「た、確かに、碌な安全も確認せずに数日で引き返そうとしたのは、良くないことだと思います」
「リーザさん?」
「しかし! 私はフランチェスカ様の親衛隊隊長です。長期間あの方のお側を離れるというのは、私には耐えられません」
えーと……
「そ、それに、クロード殿が魔物を討伐してくれたので、あの村に再び危機が迫っているとは考え難く……」
リーザさんは立ち止まって、色々と早口でまくし立てる。
自分の足元を見ながら喋っているので、俺の方はまったく見ていない。
なんか、自分に言い訳をしているみたいだな……
「クロード」
リーザさんの自己弁護のようなものを聞いていると、アリスが駆け寄ってくる。
どうやらいつの間にか、森の出口まで辿り着いていたらしい。
「おかえりなさい」
「ただいま、アリス」
挨拶を交わしたアリスが、その視線を俺からリーザさんへと向ける。
リーザさんはまだブツブツと何かを言っていて、向けられている視線には気づいていなかった。
「クロード……」
「な、なんだ?」
「アナタって、目を離すとすぐ違う女を連れてくるわよね……」
「え、いや、こ、これは違うぞ」
「なにが違うのよ?」
リーザさんを見るのをやめて、俺をジト目で見つめてくるアリス。
ルナは「ふぅ……やれやれ……」という言葉を残して、リアと白亜を連れてテントへと戻っていく。
「だから、この女性は違うんだってば!」
「この短期間でシュバルテンの王女様と仲良くなったと思っていたら、こんどはラシュベルトの騎士様?」
うわ、そっちもか……
アリスは、メルティさんのことまで勘違いしている。
確かに、今朝も彼女やシェリルさんと話をしていた。しかし俺にはやましい気持ちなど一切なく、カズマたちの話を聞かせてもらっていただけだ。
それに、その席にはマリンさんもいたし。
あぁ、そんなことを言ったらまた勘違いされるな。
「あ……森の出口についたのですか」
どうしたものかと悩んでいると、リーザさんがやっと現実に帰ってきた。
「えっと……」
「これは失礼。私はラシュベルト公国の、フランチェスカ・エバンズ・ヴィクトリア女王様直属の親衛隊隊長、リーザ・ヴァレンタインだ」
「お姉さまの……親衛隊?」
「お姉様……だと……?」
自己紹介を聞いたアリスの言葉に、リーザさんが気迫のこもった言葉を発する。
アリスはその気迫に押されて、俺への嫉妬心が霧散してしまったようだ。
「あ、ごめんなさい。おねぇ……フランチェスカ様は、私の姉弟子なのです」
「なんと! で、では、貴女もあの剣神の弟子の一人なのですか?」
「弟子というか、ヤマト・グレイヴは私の祖父です」
「そ、そうだったのですか」
雰囲気が一変した二人は、会話を続けながら森から出ていく。
俺もジイさんの弟子の一人だけど、邪魔をしないように黙って二人の後をついていった。
「ただ今戻りました」
「おう、クロード。おかえり」
作戦会議をするテントの前まで戻ると、カッセルさんが俺を迎えてくれた。
テントの横には幌のない巨大な馬車が置かれていて、荷台にはキマイラの死骸が積まれている。
「本当に、倒したのですね……」
「クロード、あの騎士様はひょっとして……」
「はい、フランチェスカ様の親衛隊の方です」
「やっぱりか」
キマイラを見ているリーザさんの後ろで、俺は彼女のことを説明する。
カッセルさんはリーザさんのことを見たことがあるみたいで、あんまり驚いてるようには見えなかった。
「これはなぜ氷漬けに?」
キマイラは俺の魔法で氷漬けにされている。リーザさんはそれが気になってしまったようだ。
「腐らないようにです。聞いた話では、この魔物の死骸はいい素材になるそうで」
「なるほど」
最初は邪魔なので焼こうとしたが、カッセルさんに慌てて止められた。
珍しい魔物なので武具の素材になるし、ラシュベルトまで持っていけば、研究材料として高値で買って貰えるかもしれないとのことだ。
「勇者様、お戻りになられましたか」
キマイラの説明をしていると、テントの中からジルベールさんが出てくる。
彼は最初こそ笑顔だったのに、リーザさんの顔を見た瞬間ビシっと姿勢を正した。
「こ、これはヴァレンタイン公爵!」
「うん? 貴方は?」
「は、は! 私はレイモンド家の次男、ジルベール・オスカー・レイモンドです」
「あぁ、ルシオールを治めている男爵家か」
リーザさんが公爵? フランチェスカ様の次に偉い人じゃん。
俺が失礼な態度を取りすぎたと後悔していると、リーザさんは優しく笑みをこぼす。
「確かに私は公爵家の生まれだが、まだ家督はついでいない。だからそんなに恐縮しなくてもいい」
「は、はい!」
そうはいっても、王を除いた中では一番上の貴族だ。貴族の上下関係を考えると、ジルベールさんもそう簡単に態度を変えられるものではない。
「私にも討伐隊の話を聞かせてもらえるだろうか」
「か、かしこまりました」
ジルベールさんは一礼をした後、テントの中にリーザさんを案内する。
俺は密かに彼の胃のことを心配しながら、二人の後をついて行った。




