第175話 貴族の依頼
ソフィアとトリアナの部屋から出て、ルナと一緒に廊下を歩く。
ルナは俺の身体にピタリと引っ付いていて、震えはもう止まったようだ。
「風呂に入りたい」
「おふろ……いっしょに?」
「いや……」
朝の修行で汗をかいたばかりなので、身体が臭わないか気になるのだ。
ルナはまったく気にしていない様子だけど、汗をかいたまま女の子と引っ付いているのは気分的につらい。
「せなか……ながすよ?」
「それはとても魅力的な提案だが、ルナと二人で入っていると、他の女の子達も来そうじゃないか?」
「……リアとはくあは来るかも」
レティも喜んで来るかもしれないな。
彼女は紛うことなきお姫様なのに、少しお淑やかさが足りない気がする。
俺を慕ってくれるのは嬉しいけれど、このままだと対外的にもマズい。
「まぁいいか……」
俺達と暮らしているのは嬉しそうだし。
「みんなで入るのも……きにしない?」
「それは気にする」
可愛い女の子達と、一緒にお風呂に入るのはとても嬉しいけれど。
体を洗ってくれなんて言われたりするから、それはそれでとても気まずいんだ。
「お姉様!」
「レティ!?」
廊下を歩いている途中で、レティが声を出しながら近づいてくる。
俺は慌ててレティの下へと走り出して、彼女の身体を支えた。
「危ないじゃないかレティ。どうして一人で行動しているんだ? 何処かに行きたい時は、誰かに声をかけなきゃダメだぞ。あと、俺をお姉様と呼ぶのはやめてくださいお願いしますから」
「ごめんなさいお兄様……一人きりだったわけではないのですけれど、ずっとお兄様を探していました」
俺を探してた? ベルは持っているのか。
レティは俺が自作したペンダントを身に着けている。
これにはルナと一緒に色々な魔法を施していて、便利な機能がたくさん付いているんだ。
その機能の中の一つに、誰かを呼びたい時にこのペンダントを手にして願えば、リーンとベルのような音が鳴り響くようになっている。
「お兄様に、お客様がいらっしゃっています」
「俺に客? それを教えるために探しててくれたのか」
「はい」
「理由はわかったけど、レティは目が見えないから危ないじゃないか」
「大丈夫です。少しだけ見えていますから」
「え? 目が治ったのか?」
「いえ。目を開けるとぼんやりと見えるように、お姉様が魔法を授けて下さいました」
「クロエが? 目の治療をしてくれたわけじゃないのか?」
「わたくしの目は封印されているらしくて、治療をするとお兄様が困ると仰っていました」
「へ? 封印?」
「あっ! この話は、お兄様には内緒にしないといけないのでした」
「なんだそれ……」
クロエに口止めをされていたレティは、つい口が滑ったらしい。
理由を尋ねてみたけれど、俺にはそれ以上教えてくれなかった。
「こんな所にいたのね。貴族がアンタを訪ねてきているわよ」
レティに話を聞いていると、クレアが廊下の向こうから歩いてきた。
マリアがお茶の準備に向かって、彼女が俺を呼びに来たらしい。
「マリアとその話をしていたら、その子が一目散にアンタの所へ走り出しちゃってね……」
「ごめんなさい」
レティはぼんやりと見えるだけでも嬉しくて、一人で屋敷の中で探検をしていたそうだ。
流石に怪我をされたら困るので、誰かと一緒に居るように軽く注意をして、彼女のことはルナに任せる。
「リアと白亜はどこに居るんだ?」
「エレン様と一緒に遊んでいたけど、貴族が訪ねてきたから部屋に行ったわ」
「そうか。それじゃ、四人で遊んでいてくれ」
「ん……わかった」
ルナ達と別れて、クレアの案内の元、俺達は客室へと向かう。
「アリスお嬢様も呼んだほうがいい?」
「アリスはジイさんと大事な話をしている最中だ、終わったら戻ってくるんじゃないか」
「わかったわ」
「しかし……すっかりメイドが板についてきたな」
「そう?」
出逢う前のクレアは、どんな暮らしをしていたのか全部は知らないが。
元魔王だったのだから、それなりに上質な暮らしをしていたはずだ。
マリアの話では、執事やメイドが仕えていたらしいし。本人もお嬢様らしい仕草をすることもある。
ま、魔大陸になんて行ったことがないから、何とも言えないが。
「普段来ていたドレスも可愛かったが、そのメイド服も凄く似合っているぞ」
「あ、ありがと……」
褒めたはずなのに、クレアはすごく微妙な表情をする。
俺が意識を失っている間に、クロエは彼女にいったい何をしたのだろうか。
「マリアが着ているメイド服と違うけど、新しく買ったのか?」
「ヤマト……様が、この間、五種類くらい買ってくれたのよ」
また散財したのかジイさん。
ジイさんは女の子達が増えて嬉しいのか、次々と新しい服を買ってくる。
ヘソクリから出しているらしいので、生活費には手を付けていないみたいだが、いったいどれだけの金を隠しているのだろうか。
「服を買ってくれるのは嬉しいけど……よくお尻を触ってくるのよね……」
何してんだジジイ!
「何ていうか、すまん。今度ジイさんに注意しておくから……」
「別にいいわよ。お尻を触るだけで、それ以上は何もしてこないし」
「でも……嫌だろ?」
「何度か張っ倒そうかと思ったのだけど、全部器用に避けられたから諦めたわ」
「まぁ、かなりの使い手だからな……」
ただのスケベジジイなら張り倒すこともできるだろうが、ジイさんが相手だと簡単にはできそうにない。
あのジイさんは広く知れ渡っている英雄で、しかも勇者だ。俺もずっと修行をつけてもらっているけど、まだ一度も勝てると思ったことがない。
というか、勇者が魔王にセクハラっておかしくね?
いやそれよりも、被害者はクレアだけなのか?
「案内はもういいでしょ、私はキッチンの方に行っているわね」
「お、おう」
廊下をしばらく歩いた辺りで、クレアが挨拶をして踵を返す。
クレアは魔族だから、できるだけ人とは会いたくないのかもしれない。
そして俺が客間にたどり着いたのは、どこの貴族が訪ねてきたのかを聞き忘れたと思ったときだった。
「クロードさん、こちらへどうぞ」
部屋の中に入ると、中に居たエレンさんに席を進められる。
客間の中には、数日前に俺が助けたジルベールさんと。そして西の勇者のカズマの仲間である、メルティさんとシェリルさんが来ていた。
何だこのメンバーは。
カズマは居ないのか?
「勇者様、その節は私をお救いくださり、本当にありがとうございました」
俺が席に座ると、まず初めにジルベールさんがお礼を言いながら口を開いた。
そして簡単なやり取りと自己紹介を交わした後、彼等が俺を訪ねてきたわけを説明する。
「俺に護衛をして欲しい?」
「はい、そうです」
あの日の彼の怪我から数日、彼の兄であるサミュエル・シルベスター・レイモンドが、ラシュベルト公国に救援を申請したそうだ。
被害は最小限に抑えられたけれど、さすがに魔物を放置することが出来なくて使者を送ったらしい。
そして昨日の夜にその使いの者が帰ってきて、数日後に助けが来るとのことだった。
「ラシュベルトから救援が来るのなら、あんたがわざわざ前線まで行く必要はないんじゃないのか?」
「上からの命令なので、そういうわけにもいかないのです」
ラシュベルトの方で対応した貴族が、ラシュベルトから援軍を出すから、ルシオールも兵を出せと厳命を下したとのことだ。
「私の家の爵位は男爵なので、高位の貴族から命令されれば、それを拒否することが出来ないのです」
「めんどくさいな」
「不躾なお願いをして、本当に申し訳ありません」
「いや、そうじゃなくて。貴族のしがらみが厄介だなと」
別に護衛の任務を引き受けるのは吝かではない。
危険な場所に貴族が自ら向かうのに、俺は反対なだけだ。
「私兵を出すっていっても、指揮官は別にいるんじゃないのか? そいつに任せればいい」
「勇者様は、まだ爵位を持っていないのですか?」
「持ってないけど……それが何の関係が?」
俺は平民なので爵位なんかとは無関係だし、そもそも勇者でもない。
話の腰を折ってしまいそうなので、勇者のことは否定しなかった。
「勇者様。この世界で兵を動かすのは、貴族でないと駄目なのです。最前線で戦うのは平民の役目ですが、指揮官は貴族が務めることになっています」
「高名な勇者なら爵位を持っていたりするけど、全員が全員爵位持ちなわけじゃないのよね。一度に召喚される勇者の数が多いから、中には残念な異世界人もいるし」
ずっと黙って座っていたメルティさんとシェリルさんが説明をしてくれる。
冒険者ギルドだけで解決するのなら指揮官は必要ないが、今回は国の兵士を動かすので、貴族が前線に出ないと駄目だと言われた。
「……カズマとヒカルは?」
「カズマ様とヒカル様は、南の大陸のエルフ王国に向かっています。行方不明事件に関わっていた者達が、何人か判明しましたので」
「私たちは置いてけぼりを食らったからね、フランチェスカ女王にお願いして、こっちを手伝うことにしたの」
「そう……ですか。でも、いいんですか? 御二人はその……貴族よりも立場が上ですよね?」
正直な話、ジルベールさんだけならともかく、王族の護衛などやってられない。
単純に護るべき対象が増えるだけでも厄介なのに、片方はシュバルテンの王女様だし。
「ここは私たちの国じゃないからね。いろいろと都合がつかないし、自分達で決めて行動するしか無いのよ」
「自国ではなくても、私たちは民の皆様のお役に立ちたいのです」
これがノブレス・オブリージュというやつだろうか。
他人の国なのに、あくまで二人は真剣な表情で殊勝なことを言う。
心なしか、ジルベールさんの表情が曇って見えるけど、多分気のせいだ。
貴族が、それも他国の王族に意見なんて出来ないよな。
「クロードさん、私も手伝います」
「わかりました、引き受けましょう」
「ありがとうございます」
メルティ王女が代表してお礼を言い、俺とジルベールさんは今後の予定を話し合う。
俺は今まで、北にあるプラトーの森のことだと思っていたけど、どうやら違う場所らしい。
魔物が出てきた森のことを詳しく聞くと、とても厄介な場所だった。
「迷いの森ですか……」
「はい、黒い森と呼ばれている場所なのですが。魔素がとても高くて、森の奥に進んだ者達が何人も帰ってきていません」
厄介すぎるなそれは。
街道付近の魔物を全部討伐するだけで、終わるのか?
「この大陸だけではなく、世界中に似たような森があると聞いたことがあります。高ランク冒険者でも到達できなかったとか……」
エレンさんの言葉に、この場に居た全員の表情が曇る。
ラシュベルトからどんな実力者が来るのかわからないが、森の奥には行かないほうがいいだろう。
「では、ラシュベルトからの救援が到着したら、もう一度お伺いさせていただきます」
「わかった。こっちも準備をしておく」
「それと、これが頼まれていた品物です」
「は? はぁ」
なんだこれ?
話し合いを終えると、ジルベールさんが俺に薄めの小包を渡してくる。
頼んだ覚えのないものを手渡されて、俺は戸惑ってしまった。
「出来るだけ再現できたと思いますが、本当にそんな服でよろしいのですか? 私としては、やはり金銭を受け取っていただきたいのですが」
服? 瀕死の重傷を治したことへのお礼かこれ?
俺はまったく覚えがないので、クロエが頼んだのかもしれない。
まぁ、金を渡されても困るけど。
「これが欲しかったのでお金はいいですよ。ありがとうございます」
俺は適当な言い訳をして皆から離れて、さっそく箱を開けてみる。
中には黒い衣装が入っていて、十字架らしきアクセサリーも付いていた。
えっと……
え? 修道服!?
ちょっとまて! 俺がこれを着るの!?
服を広げてみると、それはシスターが着るような修道服だった。
しかもミニスカートだ。男が着れるような物じゃない。
ふと、誰かに見られているような視線を感じたと思ったら、メルティさんとシェリルさんが、俺のことをジッと見つめていた。
1:彼女にプレゼントしたかったのですよ。
2:実はずっと着てみたかったんです。
ダメだ。
どっちを選んでも、蔑まれる未来しか見えない……
どうする……俺!?
「アリスさん……お久しぶりです」
「……お久しぶりです、ジルベール様」
ん?
シスター服を広げながら悩んでいたら、アリスが客間に入ってきた。
二人は他愛ない挨拶を交わしていたが、心なしか雰囲気がとても暗い。
「クロードさん……アリスさんは、ジルベール様から交際を申し込まれたことがあるのですよ」
俺の傍にススス――と音もなく寄ってきたエレンさんが、とんでもない爆弾発言をした。
「ついでに言えば……彼の兄のサミュエル様は、私に結婚を申し込んで来たことがあります」
な……なんだって――!!
言われてみれば、彼が今際の際に呼んだ女性の名前が、アリスの名前に似ていた気がする。
「それで……どうなったんですか?」
「ヤマトお爺様が認めませんでしたよ、貴族の嫁になどやれるものかと」
ジイさん……
アリスにはあんな過去があったので、ジイさんは賛成することができなかったのだろう。
「エレンさんの方はどうなったんです?」
「気になりますか?」
「当たり前です」
俺の返事に、エレンさんは嬉しそうにクスリと笑う。
彼女の唇の下にはセクシーなほくろがあるので、こんなに近づいてきて微笑まれると、思わず胸がドキリと高鳴った。
「私も断る口実が欲しくて悩んでいたのですが。ある時ギルバートさんが、自分が恋人だと偽って断ればいいと、仰ってくれたのです」
ギルさんはアリスと共に実家を出たけど、バーンシュタインの名は名乗っていたので、伯爵家が相手ならば、男爵であるサミュエルさんは強く出れないとわかっていたらしい。
「なるほど、安心しました」
「安心するのは早いかもしれませんよ? あの様子を見ると、ジルベールさんはまだ諦めていないのかもしれません」
「上等です、俺は絶対に渡しませんよ」
俺は強く決意を秘めて、アリスの所へと向かう。
他の人達は気を利かせてくれたのか退室し、俺達は三人だけ残る。
結論を言えば、俺の恋人に何か話があるのですか? と最初に言ったのが効いたらしく、ジルベールさんは終始元気が無くなっていた。




