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第173話 痴態


ベッドに入って時間が過ぎたが、なかなか眠れそうにない。

布団の中でモゾモゾと動いていると、アリスがギュッと抱きついてきた。

アリスの顔を確認すると、彼女もまだ起きていて目が合う。


「眠れない?」


「あぁ……」


「何があったのか……今は聞かないけど。そんな顔をしないで」


「まだ、ひどい顔しているか?」


「眉間に皺、寄っているわよ」


「そ、そうか……」


考え事はしていたけど、そんなに難しい顔をしている自覚はなかった。

しばらく見つめ合っていると、アリスが俺に額にキスをして、フッと優しく微笑む。


「アリス?」


「うん、やっといつもの可愛い顔に戻ったわね」


今のアリスは、凄く優しい年上のお姉さんに見える。

実際に俺よりも歳上なわけだが、いつもの彼女は、俺と同年代のように振る舞っていたんだ。


理由はわからなかったけれど無性に泣きたくなり、俺はアリスの胸にしがみつき、声を殺して泣いた。

彼女はそれ以上何も言わずに、ずっと優しく頭を撫でてくれて、俺はいつの間にか眠っていた。





◆◇◆◇





朝焼けの中で目を開ける。

眠りが浅かったというか、むしろ寝すぎたくらいなので、すぐに目は覚めた。

頭痛もしないし、前世や過去の記憶はもう流れてきてはいない。


昨夜は本当にみっともなかった。感情が制御できずに、アリスの胸で何度も泣いてしまった。

感情のコントロールは訓練していたはずなのに、今はできなくなっている。


これも転生の影響か?


クロエの記憶から読み取ると、俺は殺されずに転生させられた。

俺の転生を担当したソフィアはなにも知らない。身体はそのままで転生したのに、アストレア様に随分と矯正されたみたいだ。


まぁいい。いずれ元に戻るだろう。


一度目を閉じた後、掛け布団を捲り上げる。

エレンさんはまだ寝ていて、アリスはいつの間にか居なくなっていた。


まだ暗いな。


窓辺付近はわずかに明るいけれど、部屋の中にあったランプは全て消えているので、辺りは薄暗い。

ベッドから抜け出し、近くにあったナイトテーブルの上に置かれていたランプを手に取る。


髪を乾かす高価な物もあるのに、灯りはこれしかないのか?


昨日のお風呂上がりに、アリスとエレンさんは髪を乾かす魔導具を使っていた。

あれは貴族が使う高価な魔導具らしい。平民ならば髪を拭くだけで済ますそうだ。

このランプは、ランタンのような形をしている魔導具だ。魔力を通せば淡い光を発して出力も調整できるが、そんなに明るくはない。


テーブルの上にランプを置いて、ねがいの魔法を思い浮かべる。

膨大な記憶が流れ込んできていたので、力や体調に異変がないか確認しておきたい。


今想像しているのは、物を複製する呪文だ。言葉はすぐに頭の中に思い浮かんだ。


「レプリケータ・クリエイト」


魔法を唱えると、複製されたランプが目の前に出現する。

力は問題ないようだ。ランプを手に持って魔力を流すと、眩しい光を放つ。


「う……」


ランプの発光力が強すぎて、思わず目をしかめてしまう。

ただ複製しただけなのに、出来上がったものは随分と性能が上がっていた。



「クロードさん、それは何ですか?」


「あ、すみません。眩しかったですよね」


魔法を使いながらランプの出力を下げていると、エレンさんがベッドから起き上がってくる。

部屋全体を照らすほど明るかったので、目が覚めてしまったみたいだ。


「いえ、それよりも、すごく明るいですね」


「ちょっと魔法を試してみたかっただけなので、すぐに消します」


「そんな、もったいないです。もしよろしければ、私に頂けませんか?」


「それは構いませんが」


出力を調整し終えたランプを、エレンさんに手渡す。

彼女はものすごく嬉しそうに微笑んで、ランプをしげしげと眺めていた。


「光の強さ以外は構造が同じなので、魔力を流せば使えますよ」


「ありがとうございます。寝る前に本を読むのが好きなので、すごく助かります」


「あぁ、なるほど」


読書が好きなエレンさんらしい。確かにこれがあれば、夜でも本は読みやすいだろう。

普通のランプの灯りでも読めなくはないだろうが、あの明るさだと目が疲れそうだし。


「他の部屋の分も、創りましょうかね」


「キッチンの分も作ってくだされば、アリスさんが喜んでくれると思いますよ」


そうだな。夜間にランプの灯りの中だけで、食べ物を切ったりするのは危ない。


「それも創っておきます」


エレンさんの提案に同意すると、俺のお腹がグゥっと盛大に音を鳴らす。

それを聞いたエレンさんがクスクスと笑って、俺達はダイニングルームへと向かうことにした。



「一度部屋に戻るので、先に行っていてください」


「はい」


廊下の途中でエレンさんと別れて、二階へと向かう階段を上がって行く。

俺に与えられた部屋は二階の奥にあるので、足音を立てないように進んできたが。よく考えたら、ほとんどの女の子が俺の部屋で寝ている。


あれ? ルナが居ないな。


俺のベッドに近づいてみたら、レティとリアと白亜はまだ寝ていたけど、ルナだけが居なくなっていた。


もう起きたのか。


ベッドの側を離れて、机の上に置かれている自分のアイテムバッグの中を漁る。

バッグの中に入っている懐中時計と、トリアナから貰ったアストレア様の指輪を取り出して、魔法で時計だけを複製した。


壊れたら困るからな。


試したいことがあったので、複製した懐中時計だけをズボンのポケットに入れた。

アストレア様の指輪は手に持って調べる。いろいろな効果が付けられているようだったが、そのほとんどが発動していない。


魔力の回復効果と、装備者の位置を特定する魔法か。

あとは、魔力を調べるような効果もあるな。

他は……これ、もしかしてステータスを偽装できるのか?


さすがに神様が作っただけのことはある。こんなに小さな指輪なのに、ありえない数の機能が盛り込まれていた。


あとでマリアに確認してもらおう。


使える魔法の効果を発動させて、俺は再び指輪を嵌めた。



「お姉様……」


昨夜と同じように、レティが寝言を言う。

彼女は家族のことを全然語らない。七人の姉が居るらしいけれど、その話は一切聞いたことが無い。

だけど寝言で呟くくらいだ、本心では姉に逢いたいのかもしれない。

レティの寝言がお兄様ではなかったのを少しだけ寂しく思いながら、俺は自室を後にした。





◆◇◆◇




「おはよう。早いわね、ゆっくり寝ていてもよかったのよ」


ダイニングルームに到着すると、ミニスカ巫女服姿にエプロンを付けたアリスが居た。

ルナもここに居たようだ。眠そうな目をしながら、椅子に座って何かを飲んでいる。


「おはよう、腹が減ったんだ」


「待ってて、すぐ準備するわ」


「あぁ」


「クロ……おはよう」


「おはよう、ルナ」


ルナの隣りに座って一息ついていたら。エレンさんが俺の目の前に、銀細工のゴブレットをコトリと置く。


「どうぞ。クロードさんが買ってきた果物で作った果汁です。美味しいですよ」


「ありがとうございます」


「ん……おいしい……」


隣でコクコクと飲んでいるルナを見ながら、俺も味見をした。さっぱりとしたリンゴジュースみたいな味だ。


「クロ……変わった……?」


「何がだ?」


朱と蒼の瞳を揺らして、ジッと俺を見つめてくるルナ。

彼女の質問の意味がわからず、俺はただ彼女に見惚れているだけだった。

質問の意図を考えていると、ルナは再びゴブレットの果汁を飲み直す。



「クロードさん。少し、話を聞いてもいいですか?」


「はい」


ルナのことは気になっていたが、目の前のエレンさんに呼ばれたので視線を向ける。

彼女も果汁を飲んだ後、真面目な顔をして俺に質問をしてきた。


「ジルベール様を治療した後のことは、覚えていますか?」


「ジルベール……あぁ、あの貴族の人ですか」


「そうです」


そういえば、あの貴族の弟の治療をして、俺は気を失ったはずだ。

倒れた原因はわからないけれど、エレンさんには迷惑をかけたことを謝らないと。


「あの時はすみませんでした。俺、意識を失ってから、どれくらい倒れていたのですかね?」


「倒れて……? クロードさんは……いつから意識がなかったのでしょうか?」


いつから?


エレンさんの質問に意味に、俺は困惑する。

俺は倒れてからの記憶がない。つまり、ずっと意識を失っていたわけだ。

ならばすぐ側に居たエレンさんは、最初からわかっているはずなのに。


「えっと……俺が意識を取り戻したのは……数時間前なんですけど……」


「クロ……」


「うん?」


「クロは昨日も……普通に動いてた」


「え? どういうことだ?」


俺が目を覚ましたのは数時間前なのに、ルナが信じられないようなことを言う。


「クロードさんは昨日寝る前に、しばらく起きないかもと言って、就寝していました」


ルナの言葉に、エレンさんが補足して説明する。

俺は覚えていない恐れからか喉が渇き、ゴブレットの果汁を口に含む。


意識がないまま、俺は動いていたのか?


「ここ最近クロードさんは、別人のように口調が変わっていたんです」


口調が変わる?

まさかまた、俺はおかしくなっていたのか?


「クロ……マルコみたいだった……」


「ぶぷっ……ごほっ……ごほっ……」


「だ、大丈夫ですか?」


「す、すみません」


ルナにショッキングなことを言われて、飲んでいた果汁で思いっきりむせる。

エレンさんがすぐに拭くものを渡してくれて、俺は痛くなった鼻を押さえながら口を拭いた。


マルコさんは、ラシュベルト公国で出会ったギルドマスターだ。

筋肉ムキムキの青ひげにスキンヘッドで、野太い声をした女口調な漢女(おとめ)

俺があの人みたいな喋り方をしているのを想像して、背中に悪寒が走る。


「自分の事をわたくし……って言っていましたね」


「クロのことを……おねえさまと呼びなさい……ってゆってた」


あぁぁぁ……

犯人がわかった! クロエだ!


二人の話を詳しく聞いてみると。貴族の治療を終えた俺は、挙動不審な動きをしながらこの家に戻ってきたらしい。

そして数時間くらいは普通? の口調だったのに、その日の夜になると「この喋り方、めんどくさくなりましたわ」とか言いながら、お嬢様口調に変わっていたそうだ。


俺のフリをするなら、最後までやり通せよ……


「リアとはくあが怯えてた……」


リア、白亜、すまん!


「レティシア様は、凄く懐かれていらっしゃいましたね」


もしかして、レティのあの寝言……俺のことだったのか?


「そ、ソフィアとトリアナは……?」


「トリアナ様は虚ろな目をしながら、ボクはクロちゃんのものだから近付かないでと、支離滅裂なことを仰っていました」


「ソフィは、クロがどんなに変わっても……ずっと愛するってゆってた」


トリアナが怯えていて、ソフィアが複雑な顔をしているのが思い浮かぶ。


「ついでに言いますと、クレアさんがずっと怪訝な顔をなされていて、マリアさんは……凄く嬉しそに頬を染めていましたよ」


「女を全員口説いてた……」


あ痛たたたた……


「もう……いいです……ごめんなさい……忘れてください……」


俺はテーブルの上に両肘を載せて、恥ずかしさから両手で顔を覆い隠す。

今すぐ忘れたいが、俺が忘れてもどうにもならない。


「ご飯できたけど……大丈夫……?」




せっかくアリスが美味しい朝食を作ってくれたのに、俺は複雑な気分になりながらそれを食べる。

さらにアリスが、俺の痴態を次々と報告してくれて、ご飯の味が全く分からなくなっていた。

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