第171話 原初の王
俺はまた、気を失ったのか。
体が虚弱だとは思いたくはないが、こうも倒れてばかりだと嫌になってくる。
気を失うのが嫌なのではない。自分の傍にいる女の子達に、余計な心配をかけてしまうのが申し訳ないんだ。
ねがいの魔法を使うための魔力が足りなくて、倒れたりするのか?
【彼方のマナは、相応に成長している】
いつものように、魔力の使いすぎで倒れたのかと思っていると。暗闇の中で女の声が聴こえてくる。
「誰だ?」
【マナの成長に、器が追いつかないだけだ】
おおぅ……スルーされた……
俺の質問には答えずに、女は喋る。また前世の夢でも見ているのだろうか。
【此方は創世を司りし原初の王】
「創世? 王?」
なに言ってるのかさっぱりわからん。
初めて聞く感情が少ないような女の声は、何かを説明するように喋っているけれど。俺には理解できない。
というか、誰だこいつ?
王とか言ってたから、クロエじゃないよな? 口調も違うし。
【彼方の望みは此方への回帰であるか?】
「は?」
【それが彼方の願いならば、始まりの地にて、此方は彼方を待ち続けよう】
俺は夢を見ているんじゃないのか?
「……よくわからないが、待っていても俺は行かないと思うぞ」
【そう……か……】
あれ? なんかめっちゃ落ち込んだ?
とりあえず意思疎通ができるようなので、何処に居るのかわからないから行かないと返事をしてみたら、悲しげな声が返ってきた。
これは前世の夢じゃなくて、現世で見ている夢?
そういえば、アストレア様の声を聞いた時も、真っ暗で何も見えなかったな。
あの時もアストレア様とクロエの声は聞こえてきていたが、その姿は見ることができなかった。
ただ、あの時の夢とは違い、今の夢は相手に俺の声が届いているみたいだ。
【其方の想いも彼方と同じか?】
「そうだ。オレが欲しいのはガイアではない」
「へ……?」
俺とは違う、低めの男性の声が聴こえた。
しかし、相変わらず真っ暗で何も見えない。
「他にも誰かいるのか……?」
俺が疑問を呟くと、今まで真っ暗だった世界に鮮やかな光彩が輝く。
眩しさに目を瞑り、再び目を開けると。そこには、緑の大草原が広がっていた。
麗らかに降り注ぐ陽の光。その光を浴びて、自己を主張するような美しき草花。
空にはいくつもの島が浮いていて。その島の背景には、青い星のようなものが観える。
「綺麗だ……」
あまりの美しさに目を奪われていると、笑い声のようなものが聞こえてきた。
声が聞こえた方向に視線を向ける。そこには、俺と同じ顔をした白髪の男が立っていた。
「んな!? 冥王!?」
「ふん」
夢を見ているのかと思っていたら、俺は冥王と対峙していた。
自分の身体を見てもしっかりと存在しているし、大地の上に立っている自覚もある。
己の意思で動くこともできる。もしこれが夢なのだとしたら、こんな感覚は初めてだ。
ドキドキと鳴る自分の心臓の音が、やけに大きく聞こえてくる。
しかし、奴は俺のことを見ているだけで、何かを仕掛けてくるような素振りは見せない。
落ち着け……
何度か深呼吸をして、心を落ち着ける。
そんなにすぐに落ち着けるわけではなかったが、奴を観察する余裕は出てきた。
初めに思ったことは、先日会った冥王と雰囲気が違う。
ラシュベルトで出会った時は、どことなく黒斗に似ていると思った。
しかし目の前にいるコイツからは、黒斗とは別人のような雰囲気を感じる。
「どうしてお前がここにいる? というか、ここはいったい何処なんだ?」
「ここに来たのはオレの意思ではない。ソイツに聞け」
「そいつ?」
【彼方には見えていない?】
女の声の後に、シャンと鈴のような音が鳴る。
すると、パアッと目の前が明るくなり、俺は反射的に左手で視界を防ぐ。
光を塞いだ手を下ろすと、俺の目の前に小さな女の子が立っていた。
「女の子?」
俺の目の前に現れたのは、まだ幼さが残る小さな女の子だ。
陽の光を浴びて、キラキラと光り輝く美しい金色の髪。
地面を引きずってしまいそうな、長くて白いローブ。
左手には自身の身長を超えるほどの大きな杖を持ち、その杖の先端には二つの鈴が付けられている。
幼いながらに整った顔立ちで、その眼はレティのように閉じられていた。
レティ……じゃないよな。この子も神様なのか?
女の子は無表情で、その表情はなんとなくルナみたいな感じだ。
と言っても、別にルナはいつもムスッとしているわけでもない。
彼女は気分次第で表情がコロコロ変わって、それはそれでかなりの愛嬌がある。
けれど、目の前の女の子からはそれが感じられそうにない。
今初めてその姿を見たので、すべてがわかるわけでもないのだが。
機械的というか、まるで感情がないようなそんな感じだ。
そして、髪の色のせいなのか、それとも、目を閉じているせいなのかはわからないけれど。雰囲気がレティによく似ている。
【此方は理の外の存在、故に観測者。世界を循環させるのは、調律者の役目】
つまり……どういうこと……?
「調律者はキサマが守るべき存在か?」
【否。此方の存在理由は世界の観察】
「それを聞いて安心した」
わけがわからない……
俺を無視して二人は会話を続けているが、何の話をしているのか理解できない。
かと言って、何気なく割って入ることも出来ず。俺はただ、彼等のやり取りを眺めているだけだった。
【其方等は元々一つの存在。何故乖離したまま戻らぬ? 此方の力で再び融合を望むか?】
「フザけるな! 最早オレは別のモノへと成り果てた。奴とは二度と一つに戻らん」
小さな少女の質問に、冥王が声を荒げて反発する。
難しい話はわからないけれど、少女の言葉の意味は理解できた。
元々同じ存在だった俺と冥王を、自分の力で再び一つに戻すか? と聞かれたのだろう。
そんなのは俺だって御免だ。俺と奴の生き方は違いすぎるけど、それだけは同意できる。
「だが……そうだな。オレの糧になるのだったら、譲歩してやってもいい」
「それこそふざけんな! お前なんかの糧になってたまるか!」
今度は少女を放置して、俺と冥王が睨み合う。
こうして対峙してみると、この男に恐怖や憎しみなど感じない。
だが、どうしてだろう。奴の姿を見ていると、なぜか悲しくなってくるのは。
【此方から見れば其方等は既に同一なのに、何故反発し合う?】
「え……?」
「クハ、確かにそうだ。既にその兆しは出始めている」
冥王が笑いながら、自分の片手をスッと上に挙げる。
義手じゃ……ない?
俺がラシュベルトで見た冥王は、片腕に錆びついた義手を付けていた。
しかし目の前にいる奴は、挙げている腕も下ろしている腕も義手ではない。
「え……?」
冥王の動きに気を取られていると、俺は自分の身体の違和感に気づく。
俺の胸のあたりから、熱い何かがこみ上げてくような感覚がする。
「なんだこれ?」
【時空神、制御】
「くっ……」
「うぐ……」
手を挙げていた冥王が苦しみだし、俺の口からも呻き声が漏れる。
少女が言葉を呟いた瞬間、まるで心臓が鷲掴みされたように苦しくなったのだ。
「ク……ククク……絶対に手を出さないというわけでもないのか……」
【この地は永劫、此方の管理下におかれている】
「まぁいい……逸脱者はオレだけではないからな」
「逸脱者?」
冥王の言葉の意味がわからず、俺は奴に向かって尋ねる。
「お前の中にも、オレがいるということだ。乗っ取られないように、精々気をつけるのだな。クハッ、クハハハハ……」
「あ……」
少女が杖に付いている鈴を鳴らすと、冥王の身体が次第に薄くなってゆく。
そして奴は不吉なことを言い残し、笑いながらその姿を消した。
「何しに来たんだアイツは?」
【彼方への攻撃の意思を感じたので、此方が送り返した】
「あ、そうなの?」
あの動きは俺に攻撃するつもりだったのか。だとしたら、守ってくれたのだろうか。
【時空神……いや、天空神よ。彼方が放置している聖界について弁明を述べよ】
「は……?」
聖界って、聖王が住んでいるところだっけ?
【聖界で起きている戦のことだ】
「え……聖王が戦争しているんですか?」
【知らないのか?】
「知らないも何も、俺は神様じゃないし」
【どういうことだ?】
俺の返事に、小さい女の子はこてりと首を傾げる。その仕草がなんか可愛い。
けれど、首を傾げたいのは俺の方だ、全然意味がわからない。
どう説明すればいいのか悩んでいると、女の子がちょいちょいと手招きをしてきたので、彼女の傍まで近づいていく。
近くまで来てよく見ると、本当にレティにソックリだ。
彼女が少しだけ、幼くなったような印象だろうか。
「なんでしょうか?」
【頭を下げよ】
「はい」
言われた通りに、お辞儀をするように頭を下げる。
すると女の子は、俺の頭の上にポンッと小さな手のひらを乗せてきた。
なんで素直に従ってんだろうな、俺。
【記憶の混濁……封印……?】
「あぁ、それは……」
【封印開放】
アストレア様に記憶を封印されたことを伝えようとすると、少女が言葉を紡ぐ。
その瞬間、ものすごい頭痛が走り、俺の知らない記憶が洪水のように流れ込んできた。
「が!? がぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
あまりの激痛に、俺は地面の上でのたうち回る。
「クロード!」
地面の上を転がっていると、俺を呼ぶ声と共に、俺の身体がガシッと支えられる。
誰かが俺の頭を優しく撫でてくれて、次第に頭痛が治まってきた。
「ね、姉さん……?」
「えぇ、あなたのお姉さまですわ」
なぜここに居るのかわからないが、俺を優しく抱きしめてくれたのはクロエだった。
「どうして……ここに……?」
「あなたは知らなくてもいいことですわ。ここはおじいちゃんに任せなさいな」
「おじいさんって……誰?」
「我のことだ。いや、その呼び方には些か不満ではあるが……」
俺の疑問に、別の所から男の声が聞こえてくる。
その方向に視線を向けると、小さな女の子の前になぜかクロフォードが立っていた。
「クロフォードまで……」
「うむ。まさかこの御方が、このような形で接触してくるとは夢にも思わなんだが。人間である御主には関係がない、ここは我に任せてもらおう」
俺の方に向いていたクロフォードが、女の子の方へと向き直り跪く。
【ウラノス?】
「はい。お久しぶりで御座います……母上」
母上!?
あのちっこい女の子が、クロフォードの母親?
とても信じられないような言葉に、俺は衝撃を受ける。
「これはあのおじいちゃんの問題だから、あなたは気にしなくてもいいのですわよ、クロード」
「でも……姉さん……」
「うふふ。その呼ばれ方、とても新鮮ですわね」
言われてみれば昔の俺は、クロエのことをお姉様と呼んでいた気がする。
過去の夢でクロエの痴態? を知ってからは、なんとなくお姉様とは呼びづらいんだ。
「ここはわたくし達に任せて、そろそろあなたはお目覚めなさい」
「目覚める?」
「えぇ。現実の世界で、あなたのカワイイ女の子達が待っていますわよ」
「う……」
クロエに抱かれながら話をしていると、眠気に襲われるような感覚になる。
「ねぇ……さん……」
「お休みなさい……わたくしの大切なクロード……」
目を開けていられなくなり、優しい声だけが聴こえてくる。
スッと髪の毛を触られている感触もする。多分、頭を撫でられているのだろう。
「クロード……あなたの隣に寝ている女の子を……決して手放してはなりませんわよ」
最後にそんな言葉が聞こえてきて、俺は意識を手放した。




