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第170話 刻の支配者

「ジルベール! 返事をしろ!」


さっきまで無かった馬車の中から、領主の叫び声が聞こえてくる。

他の馬車とは違い、この馬車だけゴテゴテとした装飾が着いているので、これは領主の物なのかもしれない。


見えないな。


馬車の周りには領主の私兵らしき人だかりができていて、幌の中の様子が全く見えない。

仕方がないので近くにいたカッセルさんに、俺はそれとなく事情を聞くことにした。


「カッセルさん」


「おぅクロード、さっきは助かった」


「いえ。それより、何があったのか聞いてもいいですか?」


「街道で魔物の群れが出たんだ」


俺はカッセルさんから、詳しく話を聞く。

事の発端は数日前の、旅商人からの通報だったらしい。

商人の馬車が街道を通っていると、数十匹の魔物に襲われた。


それだけならば稀にあることなので、差し障りはない。

商人はしっかりと護衛を雇っていたし。その護衛たちも、特に苦戦もなく魔物を退治した。

しかしそれは森の近くを通るまでのことで、森を横切った時にそれは起こった。


夜間に森の近くを通り過ぎていると、普段ならばありえないくらいの数の獣の咆哮が聞こえてきた。

尋常ではない不気味な気配を感じ取った商人は、急いでその森を離れたのだ。

そしてこの街にたどり着くと、冒険者ギルドに報告をした。


報告を受けたギルドは、手の開いている冒険者たちに声をかけて調査をした。

その結果、街道には明らかに魔物の数が増えていて、冒険者たちではとても退治しきれなかったみたいだ。


「この街は、冒険者の数が少ないからな」


「そのようですね」


それは、この街に来たばかりの俺も思ったことだ。ルシオールの街はその大きさに比べて、冒険者の数が極端に少ない。

原因はすぐ北にラシュベルト公国があるのと、街の周辺の約半分が森ばかりだからだ。


「俺達傭兵は領主に呼ばれて、冒険者の手伝いをすることになったんだ」


対応に困っていたギルドマスターは、この街の領主に相談した。

領主はすぐに私兵を手配して、冒険者たちと共に魔物の討伐に向かう。

しかし、何の報告も得られずに丸二日が過ぎた。流石に焦りを感じた領主は、カッセルさん達傭兵が常駐していた宿舎に支援を求めた。


「俺はその日仕事が休みだったからな。領主の金払いも良かったから、暇な部下を連れて森まで行ったんだ」


そこまで言って、カッセルさんの表情が強張る。


「いやぁ……焦ったぜ。森の近くの街道に、魔物の死体と一緒に、血塗れの冒険者連中がいたからな」


「それで怪我人をここまで運んできたのですか?」


「そうだ。大きな怪我をしている奴もいたし、領主の弟にも頼まれたんだ」


「それじゃ、あの馬車に乗っているのは……」


「その弟だ。殿(しんがり)を務めると言って、獅子のような魔物の相手をしていたんだが……大怪我を負って戻ってきたらしい」


「獅子……」


ラシュベルトに向かう時に俺が出会った、あの気持ち悪い化物じゃないのか。


「遠目からしか見てないからハッキリとは言えないが、かなりデカかったと思う。妙な鳴き声を出していたな」


どうやら俺が知っている魔物ではなさそうだ。ギルドで仕事を探している時も、ライオン討伐なんてのは見たことがない。

妙な鳴き声というのが気になったので、どんな感じだったのかカッセルさんに聞いたら、なぜか彼は歯切れが悪くなる。


「そんなに変だったのですか?」


「お、おう。なんというか、冗談に聞こえるかもしれないが……うめぇ~って声だった」


「うまい……?」


「違う。うめぇ~だ」


カッセルさんは至極真面目な顔をしている。本当にそんな風に魔物は鳴いていたらしい。



「ジルベエエエエル!」


ちょっと見てみたいかも、なんて考えていると。一際大きな声が聞こえてくる。

それを聞いた俺は、少しだけビクリとしてしまう。さっきも聞こえた領主の声だ。相当ヤバイのだろうか。


「大丈夫ですかね?」


「わからん。治癒術士が馬車の中に乗り込んでいたが、まだひとりも降りてこない」


カッセルさんの話から察するに、彼も領主の弟の怪我の具合は知らないみたいだ。

エレンさんも見当たらないので、彼女も治療を手伝っているのだろうか。


俺も行った方がいいのか? 

でもなぁ……さっきも勇者と勘違いされたし、なんとなく行きづらい。


「クロードさん!」


「お? 呼んでるぞ」


「え?」


腕を組み足元を見ながら考え事をしていると、エレンさんの切羽詰ったような声が聞こえてきた。

「クロードさん、どこですか!?」という叫び声が聞こえたので、俺は慌てて馬車の下へと向かう。


「エレンさん!?」


馬車の後ろでエレンさんの姿を見つけて、俺はぎょっとした。

なぜならば、彼女の着ている服が真っ赤に染まっていて、必死な表情で俺のことを見ていたからだ。


「クロードさん、お願いします。貴方の力を貸してください! 私ではどうすることも出来ません!」


哀調を帯びた声で悲願してくる彼女に戸惑いを覚えたが、俺は急いで馬車の後ろから乗り込む。

その瞬間、むせ返るような血の臭いとともに、俺の視界に飛び込んできたのは、凄惨な男性の姿だった。


「うぐ……」


ひでぇ……


俺は吐きそうになり、慌てて自分の口を抑える。

血塗れで倒れている男性は、右腕が無い。というか、右半身が殆ど抉れて無くなっていた。

生きているのが不思議なくらいだ、もう死んでいてもおかしくはない。


「勇者様……」


っ……


「ヒーリング・クリエイト!」


先程嘆願してきた女の子の声を聞いて我に返り、俺はすぐに回復魔法を唱える。

流石にこれは想定外だ。俺の力で、回復させることはできるのだろうか。

屋敷で使っていた、軽い傷を治すような治癒魔法じゃ無理だ。ルナならなんとかしてくれるかもしれないけど、今から呼びに行っても間に合わない。


「弟は助かるのか!?」


領主が震えた声で質問してくるが、それを無視して魔法に集中する。

エレンさんも馬車に乗ってきて、俺の横で治癒魔法を開始した。

俺とエレンさん、そして治癒院の人達三人が魔法を唱えているけれど、誰もが領主に答えることが出来ない。


「ごほっ……ゴポッ……」


「ジルベール!」


しばらく魔法を使っていると、領主の弟が口から血を吐き出す。

今までピクリとも動かず意識を失っていたので、少しは回復したのかもしれない。


「ジルベール! しっかりしろ!」


「ごほっ……あ……あに……うえ……?」


「そうだ、お前の兄だ」


「兄上……無様な姿を晒してしまい……申し訳……ありません……」


「そんな事はない! 討伐に行った者は全員無事だ。お前が頑張ったから皆助かったんだ」


「そう……ですか……よかった……」


兄が手を握りながら、必死に弟を励ます。その瞳には涙が浮かんでいる。もう助からないかもしれないと、心の何処かで思ってしまったのかもしれない。


俺の力じゃ、無理なのか?

ジイさんだって生き返らせることが出来たのに、どうしてこの人は助けられないんだ。

俺はどうすればいい……?

誰か……教えてくれ……




「あぁ……最後に……もう一度……君に逢いたかったな……ア――」


「ジルベエエエエエエル!!」


弟が最愛の人の名を呼んだ気がするが、兄の声でそれがかき消されてしまう。

いや、それだけのせいではない。ジルベールさんの姿を見ていると、俺の頭の中で、三人の男たちの最後の姿がフラッシュバックした。

そしてそれに呼応するかのように、俺の心臓の音がドクンと大きく鳴ったのだ。



「どけ」


「え……?」


「まだ間に合う」


「なにを……」


「空間固定、時間停止……時空遡行制限解除」


兄の疑問を無視し、弟の身体の周りの空間を固定させ、その空間だけの時間を、死の一歩手前で停止させる。

今の力では死人を蘇らせるのは無理なようだ。あの老人が生き返ったのは、ただの幸運か。


「クロードさん……?」


エレンが懐疑的な目で見つめてくる。いちいち説明するのも煩わしいので、それさえ無視して呪文を詠唱する。



「我が名は刻の支配者。世界を創り給いし神々に怨讐と報復を望む者なり」

「秩序を歪め、因果律を捻じ曲げ、調律者に抗う力よ」

「永劫不変なる三千世界は、我の願いを叶える為の礎なり」


『させませんわ!』


「っ!?」


術が完成する寸前に、外的要因から力の干渉を受ける。


『この子に力を貸すのならと大目に見ていましたが、これ以上は見過ごせませんわよ。この身体はもう、貴方のものではないのです』


「くそ……ここまでか……」



「クロードさん!」


「あ……?」


エレンさんが俺の手を触りながら、焦るような声で話しかけてくる。

一瞬だけ、意識が飛んでいた気がする。魔力を消費しすぎたのだろうか。


『クロード! 正気に戻ったのなら、最後まで気を抜かない!』


『へ……? 姉さん?』


頭の中で、いきなりクロエの声が響いてきた。

俺が狼狽えながら、目の前の状況を確認すると。ジルベールさんが寝ている場所に、今まで見たことがない魔法陣が浮かび上がっていた。


なんだこれ、時計? 俺が創ったのか?


時計模様のような魔法陣を眺めていたら、それが段々と薄くなってくる。

どうするんだよこれ!? なんて思っていると「あとは好きにしろ……力だけは貸してやる」何処かでそんな声が聴こえてきた。



「タイムリグレッション・クリエイト!」


ジルベールさんに向けて、頭の中に思い浮かんだ魔法を唱える。

すると、彼が流していた血が消えていき、右半身の筋肉と皮膚が、生えるように元通りになっていく。


正直に言おう。めちゃくちゃ気持ち悪い。

ズリュ、ズリュ、と嫌な音を立てながら身体が再生している光景は、胃のあたりから熱いものがこみ上げてくる。


「うそ……」


「これが……勇者様の力……?」


「すごい……」


治癒術士の三人の女の子たちが、キラキラとした瞳で俺のことを見てくる。

そんな瞳で見ないでくれと言いたいけれど、とてもそんな余裕など無い。


「う……あ……」


「ジルベール!」


「兄上……私は……助かったのですか?」


「あぁ、あぁ! 勇者のおかげだ」


「勇者……?」


いえ、魔皇です。すいません。




勿論そんなことは言えないが、助かったのならまぁいいや。

そう思っていたら、自分の頭がくらくらして。俺の目の前がブラックアウトした。

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