第168話 力の安定
どこからともなく、女性の話し声が聞こえてくる。
聞き慣れたような声で、とても特徴的な話し方。
この声の主は、クロエだな。相手はアストレア様か。
ということは、俺は前世の夢でも見ているのだろうか。
自分の前世の夢を見るのにいい加減慣れてきた俺は、話し声に耳を傾ける。
しかし夢だと自覚できて声も聞こえてくるのに、なぜかその映像が見られない。
それに……なんだこれ? 身体が動かないし、妙に寒い気がする。
「また、こうしてお話することが出来て、とても嬉しいですわアストレア様」
「元気そうですね、クロエ」
二人は挨拶を交わした後、たわいない会話を続ける。
俺が神界に住んでいた時も思ったけど、この二人は本当に仲がいいようだ。
「貴女が消滅していないようで、とても安心しました」
「わたくしも予想外の出来事に、驚いていますわ」
「それはどういう事ですか?」
アストレア様の問いかけに、しばらくの間が空く。
俺には彼女達の姿が見えないけれど、二人が俺のことを見ている感じがした。
「この子のおかげですわ。わたくしが消えてしまわないように、己の魔力を捧げて、クロードの力を安定させているのです」
「その魔王の?」
「えぇ」
二人の会話は聞こえていても、その内容の意味がさっぱり理解できない。
抽象的な部分を抜き出して考えてみる。クロエの言うこの子というのが、誰の事なのかはわからなかったが。
アストレア様が魔王と言ったので、それはルナの事なのだろうか。
という事は、これは前世の夢なんかじゃなくて、今の俺に起こっている出来事なのか?
クロエが消えてしまわないように、ルナが魔力を使って、俺の力を安定させている。
彼女の魔力がいつまでたっても回復しなかったのは、それが原因だったのだろうか。
「その魔王はどうして、クロードに裸で抱きついているのですか……?」
え……?
「そ、それはクロちゃ……クロードの体に、魔力を伝導させやすい方法を選んでいるのかと思われます」
少しだけ声色が変わったアストレア様の質問に、慌てたようにトリアナの声が答える。
クロエとアストレア様の二人だけかと思っていたら、トリアナもすぐ傍に居たらしい。
トリアナに名前を呼び捨てにされるのは、なんだか新鮮だな。
「そうですか……」
それを聞いたアストレア様は納得したようで、その後はトリアナとクロエに、俺の近況について色々と質問をしていた。
「クロードの人格が、不安定になっている?」
「はい。その時の感情によって、弱気になったり強気になったり、突然正反対の性格に豹変したりしています」
「それは、私が封印した記憶の影響でしょうか?」
「一概には言えませんが、おそらくは……」
「そんな顔をするものではありませんわ、アストレア様。貴女が封印しなければ、クロードはあのまま壊れてしまっていたのかもしれませんのよ」
え? なにそれ?
「あの時の封印は、貴女の英断でしたわ」
「ありがとう……クロエ」
自分自身の事なのに、俺は蚊帳の外に置かれて、三人の話し合いは進む。
色々と質問をしたいし、アストレア様と話したかったのに、俺の身体は動きそうにない。
話の内容が断片的なので、詳しくは分からなかったが。神界で暮らしている時に、俺がかなり危ない状況に陥っていた事だけは理解した。
「もう、そろそろ時間ですわね」
三人が話していた、ルナとソフィアの事について考えていると、アストレア様が名残惜しそうな声を出す。
「クロエ、最後に聞きたいことがあります」
「何でしょうか? アストレア様」
「クロードの中の……クロノはどうなっていますか?」
「相変わらず……と言いたいところですが。彼が眠っていても、クロードは彼の力を引き出すことができるみたいですわね」
クロエは、俺がアリスのジイさんを生き返らせたことを報告する。
俺の前世達の中で、唯一時間操作をできたのが黒乃で、俺がその力を使ったのだろうとの事だ。
「彼には……注意してください」
「わかっていますわ」
死人を生き返らせたことは問題になると思っていたけれど、意外にもアストレア様はそれを言及せずに、俺の中の黒乃には注意しろと、忠告してきただけだった。
「クロード……」
不意に、近くでアストレア様の声が聞こえてくる。
クロエが何かをしているのか、俺の身体は終始動かないままだ。
「髪の色、変えたのですか」
この世界に来てカズマに絡まれた時に、俺は髪の色をルナと同じ銀色に変えた。
彼女が嬉しそうにしていたので、ずっとそのままだったけど。アストレア様やクロエには受けが悪いようだ。
アストレア様は黒髪のほうが良かったと言い、クロエは冥王と似ていて紛らわしいと苦言する。
そうか。銀髪と白髪は、遠目から見たら同じに見えるのか。
唯でさえ俺とアイツはソックリなのに、確かに紛らわしい事この上ないな。
「いつの日か、再び貴方とお話ができることを、楽しみにしていますよ……クロード」
それは俺も望むことだった。
人として人間の世界で生きている俺は、神界で暮らしているアストレア様とはもう逢えないかもしれない。
死んだら逢えるだろうけど、今はそれを考えたくはないので、俺の望みが叶う日がくるのか、俺にはわからなかった。
◆◇◆◇
「ふぇ……へっくしっ」
朝起きると、薄ら寒い気温に身を震わせる。
自分が素っ裸にされていて、その横に裸の少女が寝ているのはいつも通りであったが、なぜか今日は一段と寒い。
ルナがいつも裸で抱きついていたのは、俺のためだったんだな……
とりあえず、服を着よう。
ルナに感謝しながら彼女を起こさないようにして、反対側からベッドを抜け出す。
しかしいざ抜け出そうとすると、それを阻止するように、誰かが正面から俺に抱きついてきた。
へ……?
ルナは反対側で寝ているので、抱きついてきたのは彼女ではない。
冷やりとした手で抱きつかれた瞬間、リアか? 白亜か? それともレティなのか? などと、思い当たる女の子達が多すぎた。
そりゃカズマも叫びたくなるよな。
で、いったい誰だ……?
厚めの掛け布団をめくり上げ、横に寝ていた人物を確かめる。
俺の目に映ったのは、白く長い髪で、透き通るような白い肌をした、ルナよりも少し小さな少女だった。
「誰だ?」
心当たりのない人物を目撃して、俺は思わず声を出す。
その言葉で起きてしまったのか、真っ白な少女は「んん……」と小さな声を出して、顔を上げて俺に視線を合わせてきた。
「あ……」
その少女には見覚えがあった。というか、最近俺が魔法で呼び出した雪女だ。
少女は俺の顔を見て、瞼を数度ぱちぱちとさせる。
惹き込まれるような紅く美しい瞳から、俺は目を離すことが出来なかった。
「え……えっくしゅっ」
二度目のくしゃみが出る寸前に、慌てて少女から顔をそらす。
そして再び少女の方に振り向いたら、彼女は悲しそうな表情で俺の事を見ていた。
「さむい……?」
「うん。あ、いや……」
つい反射的に頷いて、まずった! と心の中で思う。
しかし手遅れだったようで、雪女の少女は消え去りそうな声で「ごめんなさい……」とだけ言い残し、俺の前から姿を消した。
やっちまったな……
魔法を唱えた覚えはないのに、なぜ彼女が居るのかはわからない。
だけど、目が覚めて一緒のベッドで寝ていたのは、俺の傍に居たかったからなのだろう。
彼女の身体がどういう構造なのかはわからないけれど、あの子の肌はとても冷たい。
そんな子に向かって寒いだの冷たいだの言ってしまえば、ああなるのは当然の事だ。
今度出てきたら、お話してみるか。
洗面所で顔を洗いながら、ふとそんな事を考える。
鏡を見て髪の色を銀から黒色に戻していると、自分の左肩に歯型がついているのが目に入った。
「いつの間に……」
そう言えば最近、ルナに血を催促された覚えがない。
もしかしたら、俺が寝ている間にこっそりと吸って、俺が起きる前に傷を治していたのだろうか。
「くろ……」
「ルナ、おはよう」
「おふぁ……」
洗面所から自室に戻ってくると、低血圧気味なルナが挨拶をしてくる。
目をしぱしぱさせている彼女は、普段と変わった様子がない。あの女の子が一緒に居たことを、たぶん知らないのだろう。
「髪……戻したの?」
「あぁ、銀髪のほうが良かったか?」
「んーん……どっちのクロも、大好き」
「そうか」
ニコリと微笑んだルナの事が愛おしくて、俺は彼女の体を優しく抱き寄せた。
皆が起きてきた時、俺の元の髪の色を知らなかった女の子達は、最初こそ驚いていたけれど。その後は殊の外好評だった。
◆◇◆◇
「今日も進展がないな」
村の方を、一度見に行ってみるべきだろうか。
冒険者ギルドから出てきた俺は、悩みながら額にしわを寄せる。
ここ数日、フランチェスカ様から頼まれたことをギルドに確認しに行っているわけだが。アルムト村の情報は一切入ってこない。
優秀な部下が行っているので、俺が直接向かわなくてもいいと言われたし。俺自身もこの街を出たくはなかったので、二の足を踏んでいる。
あいつらも忙しいみたいだし、全然会えないんだよな。
勇者の二人は色々な場所に行っているらしく、最近は全く会っていない。
まぁそれは仕方ないのだろうけど、あの二人が言い争っていないかだけは気にかかる。
別に喧嘩をしていたのを目撃したわけではないのだが、二人は少しだけギスギスしていた。
それというのも、原因は俺なのかもしれない。
カズマはいまだに嫉妬しているのか、俺と言葉を交わしてくれなくなり、目を合わせると、ふいっと視線をそらされたりした。
それだけならば別にいいのだが。
ヒカル曰く、カズマが何をするのも無気力気味で。街を移動する時は、専ら自分ばかりが転移魔法を使わされると、俺に愚痴っていたのだ。
少しやつれていたし、心配だが……
ヒカルは寝不足気味なのか、目の下には隈ができていたし、少々不機嫌にもなっていた気がする。
「面倒くせぇな」
二人の勇者のことを考えていた俺は、途中で面倒になり自分の頭をガシガシと掻く。
自分が頭を悩ませても解決できそうにないので、俺はすぐに考えるのをやめた。
今日は果物でも買っていくか。
「らっしゃい」
ここ最近は家に帰る前に、ソフィアのために手土産を買う癖がついている。
彼女は快調に向かっていて、今のところは問題は起きてはいない。
ただ少し気になるのは、俺が寝ている時に聞こえてきた、女神達の会話を振り返ると。
彼女の体が不調だったのは、冥王だけのせいではなく、俺にも原因があるとの見解だった。
俺と肌を重ねたせいで、ソフィアの力が不安定になるとか……そんなの俺に分かるわけ無いだろ。
「ニーチャン、買わねえのかい?」
「あ、はい。買います」
無意識に桃らしき果物を揉み揉みしていると、店員のおっさんに睨まれる。
俺が両手で抱えるほどの果物を買ったら、おっさんは機嫌が良くなり、帰る時には「また来てくれよな!」と大声で言ってきた。
ま、あいつらよく食べるし、別にいいよな。
帰路につく俺の脳裏に、リアや白亜、それにルナの顔が思い浮かぶ。
あの子達はそんなに体が大きくないのに、成人している他の女性達よりも沢山食べるんだ。
「エレンさん?」
「はい?」
家に帰る道すがら、見慣れた後ろ姿を発見する。
ピンク色の髪をした女性に声をかけると、それはやはりエレンさんだった。
「お買い物ですか?」
「そんなところです」
俺が抱えているたくさんの果物を見て、エレンさんがクスクスと笑う。
俺が女の子達に甘いのはよく知っているので、それが可笑しかったのだろう。
「エレンさんがこんな時間にひとりで外出しているのは、珍しいですね」
「まぁ、私だってずっと家に居るわけではありませんよ?」
「そ、そうですね。すみません」
確かに女性に引きこもりっぽく言うのは、かなり失礼だった。
俺は彼女の行動をあまり把握していない。見かけるのは家に居るときだけだし、いつもアリスにべったりだという事しか知らなかった。
「今日はどこに行っていたのですか?」
「それは……」
世間話でもしようかと会話をしていると、俺達の後ろから喧騒が聞こえてくる。
「どけ! どけー! 道を開けてくれー!」
「なんだ!?」
騒がしい声に道を開けると、商人の物らしき大きな馬車の上で、御者が大声を張り上げながら通っていく。
「なにか……あったんですかね?」
馬車が通った跡を見ながらエレンさんに話しかけると、彼女は難しい顔をしながら馬車の方を見ていた。
「エレンさん? どうかしましたか?」
「血の臭がしました」
「え……?」
彼女が言うには、あの馬車の中からかなり強烈な血の臭がしたらしい。
馬車には大きな幌が張ってあったし、その中がどうなっているのかはわからなかった。
エレンさんが気になると言って駆け出したので、俺は自分のアイテムバッグの中に、先程買った果物を詰め込み、慌てて彼女の後を追いかけた。




