第165話 一目惚れ
屋敷に帰ってきた俺はアリス達と別れて、ひとりソフィアの所にいく。
ルナはエレンさんに連れられて俺の部屋へと戻り、アリスはお湯を沸かしにお風呂へと向かった。
「あら、戻ってきたの? おかえり」
「おう、ただいま」
ソフィアの部屋の前まで行くと、トレイを手に持ったクレアが部屋から出てくる。
昼は少し過ぎているが、ソフィアのために食事を運んでくれたのだろう。
俺は彼女に礼を言った後、リビングに客が来ているので相手をして欲しいと頼み込む。
「お客?」
「あぁ。そんなに疲れてはいないと思うが、俺達のために魔法を使ってもらったからな。お茶くらい出してやってくれ」
「わかったわ」
クレアが去ってから、ソフィアの部屋の扉をノックする。
部屋の中から返事をしてきたのはトリアナだ。ずっとソフィアの傍に居てくれたらしい。
俺は扉を開けて中に入る。部屋の中には、ベッドの上で上半身を起こしているソフィアと、その彼女の横で椅子に座っているトリアナの姿があった。
「おかえりなさいませ、クロード様」
「クロちゃん、おかえり」
「ただいま。霊草を取ってきたぞ」
「はいはい。それじゃ、こっちに出して」
「ありがとうございます」
ソフィアのお礼の言葉を聞きながら、トリアナに言われた通りに机の上に霊草を出す。
そのついでに、どうやっても草に触れなかったことを彼女に伝えた。
「あ、ごめん。言うの忘れてた。エレンちゃんなら、霊草を引き抜くことが出来たと思うんだけど」
「エレンさんが? 何か特別な力を持っているのか?」
「そんな特別な力は必要ないのだけど。えっと、クロちゃんにも分かりやすく例えると……信心深い人や霊感が強い人なら、霊草にさわれるんだよね」
「ほう……」
なるほど、分かりやすい。
エレンさんの霊感が強いのかどうかは知らないけど。確かにあの人は、かなり信心深い。
なにせ、毎朝教会にお祈りに行っているくらいだし。この世界の女神であるトリアナの事も、すごく大切にしてくれている。
「信心深さや霊感ねぇ……」
「クロちゃんはオバケ怖がってるのに、霊感は強くないの?」
「そっち方面は強くないと思う」
というか、霊感が強くて幽霊が怖いわけじゃないし。
元々俺が怖がりになったのは、クロエのあれが原因だろう。
「クロード様は、どのようにして取ってこられたのですか?」
「アリスの刀で刈り取ってもらった、あの刀なら触れることが出来たからな」
「そうですか」
二人の女神は、アリスの刀の神聖さを知っているようで、俺の一言を聞いて納得する。
トリアナにあの刀の事について聞いてみたけれど。神聖な力は感じるが、詳しくは分からないとの事だった。
「いっぱい取ってきたね」
「やっぱり多すぎたか?」
「ううん。多くて困るものでもないし、ボクとしてはたすかるよ」
アイテムバッグの中から沢山の霊草を取り出して、そして机の上に置く。
トリアナがそれをどう使うのか気になったので、椅子に座って彼女のことを眺めていると、なぜか部屋を追い出されそうになった。
「出ていかないと駄目か?」
「んー……いてもいいけど、そんなにソフィアちゃんの裸が見たい?」
「わたくしは見られても構いませんが」
どうやら治療のためには、ソフィアが全裸にならなければならないらしい。
彼女は全然恥ずかしがってはいないし、俺もルナとソフィアの裸は見慣れているので、いまさら動揺するようなことではないが。ここは大人しく従うことにしよう。
「分かった。それじゃ、治療が終わったら呼んでくれ」
「うん」
「クロード様、ありがとうございました」
「あぁ」
ソフィアから二度目の感謝の言葉を聞き、俺は彼女の部屋を後にした。
◆◇◆◇
「あ! こんな所にいたのですか」
「うん?」
階段を降りて一階まで戻ると、慌てた様子でマリアが駆け込んでくる。
そして自分が着ているメイド服の着崩れを直して、俺に向かって掴みかかってきた。
「ご主人様! 貴方はいったい何を考えているのですか!?」
「な、なんだ? 藪から棒に」
「なんだ? じゃありません。お嬢様に勇者の相手をさせるとか、何ですかその鬼畜の所業は!?」
「あ……」
転移魔法を使って、俺達をここまで連れてきてくれたのはカズマだ。
つまりクレアに、お茶を出して相手をしてやってくれと頼んだのは彼の事である。
迂闊だったというか、完全に忘れていたけど、クレアはこの世界の魔王だ。
凄いまずい状況なのが、手に取るように分かってしまう。
「す、すまない。二人は今どこに居るんだ?」
「リビングでお茶を飲んでいますよ。もしかしたら、一触即発なのかもしれません」
「そんな状況で、クレアの傍を離れてきたのか?」
「……気が動転していました、すぐ戻ります」
マリアも慌てすぎていたようだ。もしかしたら、この場所が安全だという安心感から、気が抜けていたのかもしれない。
初めて目にするマリアの全力疾走を見ながら、俺も走って彼女の後を追いかけていく。
そしてリビングに辿り着き、二人の姿を確認したら、わけが分からない状況になっていた――
◆◇◆◇
「あの……ご趣味は?」
「えっと……今は料理にハマっています」
「料理ですか、いいですね。とても女の子らしいと思います」
「ありがとうございます……」
なんだこれ?
ハァハァと息を切らせながらリビングの中を覗くと、対面になって座っている勇者と魔王の二人が、まるでお見合いをしているような感じで話をしていた。
「お、お嬢様……?」
俺の横に居るマリアも困惑している。
彼女の気持ちはすごくよく分かる。どうしてこうなった?
「そ、その……す、好きな人とか……い、いらっしゃいますか?」
「えっと……」
勇者の緊張した問いかけに、魔王が戸惑いながら口ごもる。
敵対者同士なので緊迫した雰囲気なのは分かるけれど、この勇者はなぜこんなにも緊張しているのだろうか。
「今はまだ……気になる人は……いますけど……」
「そ、そうなんですか……」
クレアの返答を聞き、カズマがあからさまにガッカリする。
そして、部屋の入口で呆けて立っていた俺の事を見つけると、気合を入れたような表情をしながら駆け寄ってきた。
「か、カズマ?」
「蔵人! 頼みがある!」
「な、なんだ……?」
すごく嫌な予感がする。マリアも同じ事を思ったのか、巻き込まれないように、静かに俺の視界外へとフェードアウトした。
「彼女を紹介してくれ!」
「はぁ!?」
目の前に来たカズマが、真面目な表情をしながら俺の両肩を掴む。
クレアに聴こえないようにするためなのか、言葉に力が入っているけど小声だった。
「どういう事だ?」
「ハッキリ言う。彼女に惚れた! 一目惚れだ!」
「は……? はぁ!?」
何を口走ってやがるんだコイツは?
「陶器のように白く美しい肌も、あの薄紫で美しく長い髪も、少し強気な性格も全部含めて惚れた! 二人っきりになると、口調が優しくなる可憐なところもだ!」
呆気にとられている俺を余所に、カズマはクレアのどこに惚れたのか力説してきた。
正直に言ってついていけない。勇者なのに、魔王を相手に暴走しすぎだろう。
俺がどうすることも出来ずに、助けを求めて視線を彷徨わせていると。いつの間にかマリアがクレアを連れて、キッチンの方へと移動しているところを目撃した。
「あ、あのな……カズマ……」
「メイドの格好をしているってことは、お前が雇ったんだよな? 彼女の実家はこの街にあるのか? だったらそっちの方も紹介してくれ」
「いや、ちょっと待て」
「ご両親は健在なのか? 家の裕福さは関係ない、俺が幸せにしてみせるから」
「人の話を聞けよ……」
カズマは興奮しているのか、矢継ぎ早に質問をしてきて、全く聞く耳を持たない。
仕方がないので俺は言葉を変えて、西の大陸に居たときの噂話を彼に話すことにした。
「惚れたのは理解したが、そんな簡単に紹介できないぞ。お前について良くない噂も聞いたしな。それに、一緒にいた女の子達との関係はどうなんだ?」
「噂? メルティとシェリルの事なら、確かにそんな話はされた事はあるけど。エドさんの娘だから、手を出すわけ無いだろ」
「え? あの二人って、エドワードさんの娘なの? 王族じゃん」
「シェリルはそうだけど、メルティはクリストファー様の娘だ」
「クリストファー? 誰だそれ」
「クリストファー・ゼルキス・ヴァンデミオン様だ」
ヴァンデミオン?
それって、エドワードさんの名字だったよな。
確か……
エドワード・アドルフ・ヴァンデミオンが、フルネームだったけ。
という事は、エドワードさんの親族か何かか?
「クリストファー様は、エドさんの弟だ」
「え? それって王様じゃん!?」
カズマが拠点にしている国の事はよく知らないが、エドワードさんが面倒くさがって、弟に王位を譲った事だけは教えられた。
つまりそのクリストファー様の娘だという事は、メルティさんは王女様という事になる。
「お姫様だったのかよ……」
「そうだ。手なんか出せるわけ無いだろ? で、噂ってなんだ?」
カズマの言葉に動揺してしまったが、俺はすぐに落ち着きを取り戻す。
そして、アリスの実家に居た時に聞かされた噂話を、彼に伝える。教えてくれたのは、バーンシュタイン家当主のアルベルトさんで。その内容は、カズマが女性にだらしなくて、今まで多くの貴族女性と付き合っていたとの事だった。
「そ、その事か……」
俺の言葉を聞いたカズマは、頭を抱えながら視線を落とす。
俺もハーレムなんかを作ってしまったので、彼を非難する資格はないけれど。断る口実というものが欲しかった。
「言い訳にしか聞こえないかもしれないが……俺はひとりも手を出していない。そもそもあれは、勇者として断ることができなかったし」
シュバルテンの貴族連中は、勇者とお近づきになりたくて、母娘共々カズマに言い寄ってきたらしい。
勇者として名を上げたカズマは、エドワードさんの命令のもと、延いては、貴族からの支持をもらうために、仕方なく付き合っていたそうだ。
「エドさんやクリストファー様からあの二人を紹介されてからは、すっかり鳴りを潜めたけど」
「まぁ、相手は王族だしな。それで、何人くらい居たんだ?」
「さ……三十人くらい……」
「それは多すぎだろ……本当に手を出しちゃいないのかよ?」
アルベルトさんから聞かされた噂話は、尾ひれがついているのかと思ったけど、流石にその数は予想外だった。
「その中には人妻や未亡人も含まれているし、手は出していない。それに俺……まだ……女の子としたことがないし……」
最後の方は聞き取りづらいくらい小声で呟いていたけれど、俺の耳にはバッチリと届いてしまう。
「お前……童貞だったのか……」
「ど、ど、ど、ど、童貞ちゃうわ!」
大声で吃りながらカズマは否定したが、その態度が全てを語っている。
意外だ。俺よりも年上っぽいし、結構軽い奴だと思っていたのに。これからは見方を変えなければならないかもしれない。
というか、この世界に来てすぐに消失した俺の方が、結構軽い奴だった。
ルナやソフィアの事は愛しているし、後悔なんて全然ないけど。
どうするか……
紹介するのは癪だし、クレア本人に断らせるか?
いやそもそも、前提から無理だったな。
カズマのあまりにも豹変ぶりに、すっかり大事なことを忘れていた。
カズマは勇者だし、言うまでもなくクレアは魔王だ。つまりこの二人は、相容れない運命なのだ。
勝手にそういう事にして、俺はクレアが魔王であることを、カズマに打ち明けることに決めた。




