第141話 最初の出逢い
「ん……んん……」
朝日の光で目を開ける。
この体になって、どれくらいの月日が流れたのだろうか。
体が全く成長していないので、感覚がわからない。
いったい、どっちが現実なんだろうな……
俺は先程まで見ていた夢を思い出す。
夢の中の自分は、どこかの屋敷のベッドで横たわっていて、意識がないのか、ずっと目覚めないままだった。
直ぐ側にはアリスとエレンさんが居て、俺の服を脱がしていた。
別に変なことをしていたわけではない。彼女たちは、目を覚まさない俺の体を拭いていたんだ。
狭い……
完全に目を覚ました俺は、身体が上手く動かないので、首だけを動かして左右を確認する。
「はぁ……」
そして、またかと思いながら、大きなため息をついた。
俺の右側にはアストレア様、そして左側にはクロエが寝ている。
彼女たちはまるで抱枕を抱くようにして、俺の身体をガッチリとホールドしていた。
あっちの体だったら、もの凄く嬉しい状況なんだけど。
誠に残念ながら、このショタっぽい身体には、今の状況でも何も感じない。
まぁ、血が繋がっていないけど母親と姉らしいので、これが正常なのか。
「うふふふ――」
「え?」
仰向けになったまま考え事をしていると、笑い声が聞こえてくる。
声がした方向……つまり左側に首を向けると、微笑みながら俺のことを見ているクロエとバッチリと目が合った。
「お姉様……?」
「人間の世界の神話では、姉弟や母と子が結ばれるのは、決して珍しい事ではありませんわよ?」
なっ!? 思考を読まれた!?
いや、顔に出てたのか……?
「な……なんの事ですか?」
俺の質問には答えずに、クロエは優しい顔をしたままクスクスと笑う。
本当にコイツは俺の前世なのだろうか? なんて考えていたら、反対側で寝ていたアストレア様も目を覚ました。
「おはようございます。クロード、クロエ」
「おはようございます、お母様」
「えぇ。おはようございます」
三人で挨拶をしているなか。俺は、やっぱりアストレア様って呼べないんだな……と、人知れず落胆していた――
「クロード様。朝食の前に、戦闘訓練に向かいましょう」
「はい……」
俺の教育係のアテナ様にそう告げられて、俺の身体も心の中の俺も元気をなくす。
アテナ様のことが嫌いなわけではない。むしろ、神王様たちの中では好きな方だ。
ただ、俺の戦闘指南役の御方が、とても苦手な人だった。
「遅い。時間は正確にと言ったはずです」
「ご、ごめんなさい。フレイア様……」
「様は必要ありません」
燃えるような赤い髪をしたフレイア様が、機嫌が悪そうにつぶやく。
敬称は必要ないと言われても、怖いので呼び捨てにすることが出来ない。
失礼な話だが。俺は、フランチェスカ様よりフレイア様のほうが怖かった。
この御方は神王フレイア様。アストレア様に言われて、俺の事を鍛えてくれている。
毎朝の訓練でわかったことだが。この人は普段から機嫌が悪いわけでも、ましてや、俺の事が嫌いなわけでもないようだ。
生まれつきなのかどうかは知らないけど、いつも不機嫌な顔をしている。
かといって、ずっと厳しいわけでもなく。優しいところもたくさんあった。
まぁ、俺は怖いんだけどね。
「剣に振り回されては駄目です。武器を、自分の手の延長だと思ってください」
「は、はい!」
フレイア様が、剣や槍などに持ち替えながら、俺に肉薄してくる。
かなり手加減されているけれど、必死にならないと全くついていけない。
武器の他に、魔法を使って攻撃してもいいと言われた事があるけど。
この前試しに炎の魔法をぶつけたら、魔法が顔面に直撃したフレイア様が、鬼のような形相で迫ってきたから、二度と魔法は使わないと誓ったのだ。
「今朝はここまでですね。あまり進展していません。もっと精進なさってください」
「はい……」
言いたいことはわかるが、八歳児? にそれは酷ってもんじゃないだろうか。
実際の年齢はわからないし、それは甘えだというのは理解しているのだけどね。
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アストレア様やクロエと一緒に朝食を終えて、俺はすぐに逃げる準備をする。
最初の頃は、神様も人間と同じような暮らしをしているんだなぁ……なんて平和なことを考えていたけど。
このままここでじっとしていたら、クロエが獲物を見つけた感じで迫って来るのだ。
別に変な意味ではない。虐められるんだ。
ただイジられるだけなら、俺も何とも思わない。相手は美人だからね。
だけどクロエには、アンデッドを召喚して俺を追い回す趣味? があるので、いい加減学習した俺は、いそいそとこの場から離れることにした。
「クロード様、おはようございます」
「おはよう、アスタルテ様。今日も畑なの?」
「はい。わたくしの日課となっておりますので」
大きな食堂を出て廊下を歩いていると、神王の一人である、アスタルテ様と遭遇した。
彼女は、ここからかなり遠い場所にある畑の管理をしているらしい。
場所が遠いので俺は行ったことがないのだが、いったい誰が耕しているんだろうな。
神様が畑を? それとも戦乙女が田植えをするのか? なんて最初の頃は思ってしまっていたが。
今はもう深く考えないようにしている。常識なんてものは、俺が作るもんじゃないし。
「天候が荒れるらしいから、気をつてけてね」
「お心遣い痛み入ります。ですが、あの子達を放っておくこともできませんので」
あの子達とは作物の事らしい。彼女は我が子のように可愛がっていると、アテナ様から教えられた。
ちなみに、天候が荒れるという話もアテナ様から聞いたので、俺が調べたわけではない。
神界の事情なんてさっぱりわからないしな。
お辞儀をした後、アスタルテ様は外に出ていく。
その後ろ姿を見ながら、神王様たちが畏まったまま俺に対応するのは、自分がクロフォードの生まれ変わりだからなのか? なんて考えていた――
ゴロゴロと、雷鳴が轟く音が聞こえてくる――
「雨……?」
自室で本を読んでいた俺は椅子から立ち上がり、窓に近づいて外の様子を確かめる。
神殿の外は激しい雨が降っていて、遠くではピカピカと雷が光っていた。
時間的に夕方だと思うけど、空の色は真っ暗だ。
「今日はここまでにいたしましょう、クロード様」
「あ、うん。ありがとう」
不意に背後から声をかけられて、アテナ様に勉強を教えてもらっていた最中だったことを思い出す。
存在を忘れられていても彼女は嫌な顔ひとつせずに、優しく微笑みながら俺の部屋から出て行った。
ソフィアに逢いたいな……
アテナ様の優しい表情を思い出しながら、俺はそんな事を思う。
自分の知っているアストレア様やクロエには出会えても、ソフィアにはまったく出逢えないのだ。
それに、ルナにも逢いたい。
ここは神界だ。魔族である彼女がここに居るはずがない。
それでも逢いたい。逢って彼女を抱きしめたい。
俺の好きな人たちに出逢えない焦燥感に駆られていると。ふと、自分の後ろに誰かがいるような気配を感じた。
外は雨が降っているから誰も居ないはずだし、後ろにはバルコニーがあるだけだ。
俺は不安を覚えながら、ゆっくりと後ろに振り向く。
そこには、確かに誰かが立っていた。真っ黒なローブを着てフードを深くかぶっているので、誰なのかはわからない。
身長は今の俺よりも少しだけ高いくらいで、その身体は細い。どこかの子供だろうか?
子供らしき人物を見ながら考え事をしていると、その子が、被っていたフードを少しだけ上にずらす。
赤い瞳と青い瞳が見えた。左右の目が対照的に違う。そして、銀色らしき髪の色をしている。
ま……まさか……
ルナ……?
俺が見間違えるわけがない。ここは神界のはずなのに、魔族が居るはずはないのに。
バルコニーには俺の大好きな魔王女が、激しい雨に濡れながら、確かにそこに存在していた――




