第106話 剣となり盾となり
「ふっ はっ はぁっ……」
俺は地下の道場の隅で、刀を使ってひたすら巻藁を斬っていた。
もう……どれくらいの時間、こうしているのかわからなかったが。体を動かさずにはいられなかったかった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「クロードさん」
息も絶え絶えに、太い巻藁を睨みつけていると。俺を呼ぶ声が、背後から聞こえてくる。
刀をおろして振り返ると。そこには、心配をしているような顔をした、エレンさんが立っていた。
「エレンさん……」
「手を、見せてください」
「いっ……つぅ……」
エレンさんが俺の所へ来てそう言ったので、言われた通り手を差し出すと痛みが走る。
刀を振るっている時はわからなかったが、自分の手が血まみれになっていた。
「大気に宿りし精霊よ。彼の者に、やすらぎと癒しの力を……キュアー」
エレンさんが治癒魔法を唱えてくれて。俺の体が、暖かな光りに包まれた。
「あまり、思いつめないでください」
「すみません……」
エレンさんが俺の手を優しく握ってくれて、少しだけ気分が和らぐ。
自分の体を傷めつけた所で、何かが変わるわけではなかったが。俺は、この何とも言えない気持ちのぶつけどころが欲しかった。
「クロードさん。ありがとうございます」
「え……?」
俺の手を握ったまま、エレンさんがお礼を言ってくる。
礼を言われるような事を何もした覚えがないので、俺は戸惑ってしまう。
「俺……何かしましたっけ?」
「アリスさんの……あの娘のために、苦渋の選択をしてくれたのでしょう?」
「…………」
エレンさんには、見抜かれていたか……
そうだ…… 俺は、レティを切り捨ててでも……アリスを選んだんだ。
「ふぅぅ…………」
エレンさんに気持ちを見抜かれた俺は、大きく息を吐きだす。
「俺には……そうそうする事しか、できませんでしたから」
「あの娘の生まれた環境と立場を考えれば、すぐにわかりました」
エレンさんの言う通りだ。
魔王のルナや、女神のソフィア達ならともかく。アリスはこの世界の人間で、しかも名の知れている貴族の血を引いている。
王国を敵に回すということは、彼女を国の敵意に晒す事になり。ひいては、バーンシュタイン家にも迷惑をかける事になる。
俺の中で、レティとアリスを天秤にかけた時。どうしても……レティを選ぶ事ができなかった――
「ギルさんに誓いましたから。アリスを……必ず幸せにすると」
「クロードさんのお気持ちは……痛いほどわかりましたから。だから……あの娘の代わりに、お礼を言います」
エレンさんが俺の手を離して、頭を下げる。俺はこれ以上、何も言うことが出来なかった。
俺がしばらく無言でいると。頭を上げたエレンさんが、真剣な顔をして俺を見てくる。
「でも……あの娘は、そんなに弱くはないですよ?」
「知っています」
アリスが本当の理由を知れば、怒るだろう。むしろ、張り倒されるかもしれない。
それでも俺は、この選択しか選ぶことが出来なかった。
相も変わらず、俺は情けないな。
「なんじゃ、そんな理由じゃったか」
「ジイさん……」
自分の不甲斐なさに歯をかみ締めていると、道場にジイさんが入ってきた。
「なっさけないのぅ、ボウズ」
「あぁ、その通りだな」
「否定せんのか……」
「俺はまだ、強くなっていないからな」
「まだ……か。ふむ。己の弱さを自覚して、強くなりたいという志はあるようじゃの」
「当たり前だ」
もしも俺が、クロフォード並の力を持っていたとしたら。この世界の人間を敵に回す事も、躊躇わなかっただろう。
だがそれはもしもの話であり、現実的ではない。自分がおかしくなる事を期待して、力を引き出すのも馬鹿げた考えだ。
「ワシの大切な孫娘を選んでくれた事は、感謝するぞ」
「…………」
俺は、自分の気持ちや欲望に忠実に生きているだけで、それは感謝されるような事じゃない。
「ジイさん。少し相手をしてくれ」
「いいじゃろ。その憤りをぶつけてこい」
俺は魔法で木刀を作り出し、数時間稽古をつけて貰った。
ジイさんは一切反撃する事なく、ずっと受け身で俺の剣を受けてくれていた――
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「はぁ……」
食事をしている時の空気が、重かったなぁ……
時刻は夜――
俺は部屋のベッドに座りながら、ため息を吐く。
昨日までは、皆楽しく雑談を交えながら食事をしていたが。
今日は雰囲気が重く、口を開いている者がほとんど居なかった。
「まぁ、俺のせいなんだがな……」
一応、明るく振る舞おうとはしていたが。話す話題があまり思い浮かばず、俺も会話をせずに食事をしているだけだった。
せっかくアリスが手料理を振る舞ってくれたのに、その味も全然覚えていない。
「駄目だな、明日からしっかりしないと」
――コンコン――
独り言を喋っていたら、部屋の扉をノックされる音がした。
「開いてるぞ」
「クロード様……」
「ソフィアか、どうし…………た?」
尋ねてきたのはソフィアだったが、その姿を見て、俺は言葉が詰まってしまう。
彼女が来ている服が、それはもう……とても魅力的な格好だった。
「何だ……その格好……」
「これはその……ルナが……」
彼女は、黒い下着が丸見えのベビードールを着ていて、モジモジとしている。
いつかルナが似たような格好をしていたが。ソフィアが同じ衣装を身につけると、暴力的なまでの破壊力がある。
思わず見惚れてしまう……というか。俺も男なので、ソフィアの姿をガン見してしまっていた。
「ルナに、着せられたのか?」
「はい。今日はクロード様と、一緒に寝なさいと言われました」
マジでか……
何でまた、そんなことを……
「クロード様」
「はははい」
「部屋を追い出されてしまったので、一緒に寝てもいいですか?」
oh……
これはあれか? 俺を元気づけようという、ルナの作戦なのか?
しかし自ら来ないで、ソフィアを向かわせるとは……
いつもは俺と一緒に寝たがるルナだったが、まさかこんな行動に出るとは思いもしなかった。
「えっと……部屋には戻れないのか?」
ソフィアは空き部屋で寝ていて、トリアナと白亜もそこに居たはずだ。
「中から、鍵をかけられてしまったので……」
なんてこったい……
「ご迷惑なら、アリスさんにお願いして、別のお部屋を貸してもらいますが……」
「いやちょっとまて。その格好でうろうろされると、マジで困る」
ギルさんが戻ってきてから、俺も別の部屋を与えられたが。この部屋は二階の奥にある。
他の空き部屋は、もう一階にしか無いので。そこまで行くには、いやがおうでも、彼女の美しい肢体を他の男に晒すことになる。
そんな事は絶対にさせたくない。特に、ジイさんに見られるわけにはいかない。なぜか、危険過ぎる気がする……
「ここまで来るとき、誰にも見られなかったか?」
「はい。隠れながら、来ましたので」
「そ、そうか……」
それを聞いて俺は、本当に心からホッとした。
ルナはリアと一緒の部屋で寝ていたはずだが。この作戦のために、白亜と交代したのか?
ここでソフィアを追い返すのは簡単だが、それはできないな……
真剣な表情をして、俺の顔色をうかがっている彼女は、勇気を振り絞っているようにも見えた。
「……わかった。一緒に寝よう」
「は……はい……」
俺の言葉を聞いたソフィアが。顔を真っ赤に染めて、いろいろと至らないところもありますが、よろしくお願いします。と言ってきた。
何をよろしくするのかと聞きたかったが。それは無粋なので、俺は言葉にせずに。彼女をベッドに受け入れた――
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「クロード様」
「なんだ?」
布団の中で、俺の腕に抱かれているソフィアが語りかけてくる。
「レティシアさんの事は、諦めてしまいましたか?」
「…………」
俺の態度が露骨過ぎたのか、彼女もそんな事を思っていたようだ。
諦めるのか諦めないのか、とは違う気がするが。レティと別れる前から、ずっと悩んでいたが。まだ答えは見つかっていない。
「諦めるもなにも……俺にはどうする事も……いや、ちがうな……」
何度も自問自答していた言葉だが、これはただの言い訳にすぎない。
「全部、俺の弱さが……招いた結果だ」
「最初から、完璧に強い人などいません。もし居たとしてもそれは、何か大切な物を犠牲にした、不完全な強さだと思います」
「不完全な強さ……か……」
「自分の弱さや欠点があるほど、人は……強くなれるのです」
「そうだな……」
なんでも完璧にこなす人生ほど、つまらないものはないだろうな。
もしかしたら……クロフォードが人間に転生したのも、そんな理由なのかもしれない。
外に出てきたクロフォードを思い出すと、人間に憧れていたようなふしがあった。
「ソフィアは女神なのに、人間の事をよくわかっているんだな」
「……戦乙女の時代に、人間と接する機会が多かったですから」
「そうか」
「クロード様。しばらく悩んでしまうかもしれませんが。もし答えが見つかったその時は……」
ソフィアが真面目な表情をして、俺の顔をじっと見る――
「私は、貴方の剣となり盾となり、共に歩む覚悟があります」
「ありがとう……」
そう言って、ソフィアは決意を固めたあと。その可憐な唇で、俺にキスをしてきた。
俺は、そんな彼女が愛おしくて。二人で抱き合ったあと、共に眠りについた――




