第105話 再会、そして別れ
「ぐぅ……はぁ……はぁ……はぁ……」
「なんじゃ、もうしまいかの?」
うぇ……カビ臭い……
俺は今、強烈なカビの臭がする畳の上で、うつ伏せで倒れている。
ジイさんに教えを請うた日から、数日が経過していて。毎日相手をして貰っているが、まるで歯がたたない。
この場所は、屋敷の地下にある道場で。ジイさんに案内をされてから、ずっとここで修行をしていた。
ここでなら、音が漏れることもなく。近所迷惑にならないとのことで、案内されたわけだが。
最初にここに来た時は、部屋中に畳が敷き詰められているうえに、地下なので湿気が酷くて、それはもう臭いがきつかった。
なんとか俺が考えた浄化魔法で、掃除をすることが出来たが。畳のカビの臭いだけは、いまだに取れていない。
「ほれほれどうした? かかってこんか」
「くそぅ……」
俺は自分の足に魔法かけ、素足で畳を踏みしめる。
そして高速で移動しながら、手に持っていた刀でジイさんに斬りかかった――
「ひょ」
奇妙な声を出しながら、俺の攻撃をかわしたジイさんは。手にした木刀で俺の背中を叩きつけた。
「ぐあ……」
「まだまだじゃのう。せっかく便利な魔法が使えるのに、いつ動くのか、バレバレじゃぞい」
今俺が練習している技は、縮地法と呼ばれる移動技だ。
ギルさんと戦っていた時に、彼の速さにまるでついていけなかった事を話したら。この技を使っての体捌きだと説明された。
その技を、俺に教えてくれと頼み込んだわけだが。
ジイさんの説明が、身体をこう向けて、足をこうして重心はこうじゃ――とか……
まるで要領を得ない説明だったので、サッパリ分からなくて途中で挫折した。
ならば、魔法を使って移動すればいいじゃろ――とジイさんに言われて、今それを練習している。
しかし実際にやってみると、これが中々に難しく。俺が攻撃しようとしたら、視線止まって体が前に傾くので、バレバレだと言われた。
「そんな事言われても……難しい……」
「ふーむ……素質はあるんじゃがのぅ……」
ジイさん曰く。ギルさんみたいに、体格に恵まれているわけでもなく。かと言って、アリスのように才能があるわけでもないが。
何度も生まれ変わり戦ってきた経験が、俺の中で生かされているそうだ。
「体が覚えているってやつか……」
「いやお主、その身体は生まれ変わりじゃろ」
「それもそうだった」
俺の前世の蔵人も、その経験を活かして冥王に勝ったのかな?
トリアナの記憶でしか見たことがないから、わからないが……
「クロ」
「クロード様」
「ルナ」
「そろそろ休憩したらどう? クロード」
俺が考え事をしていると。道場の中に、ルナとソフィア、そしてアリスの三人が入ってくる。
彼女たちは数日前にこの屋敷に到着して、俺たちは再会した。
約二ヶ月も離れ離れだったので、それはもう心配をさせすぎたみたいだった。
「いつも優先するのは、ルナの事なのですね……クロード様」
「いや……別に他意はないんだが……」
三人同時に近寄ってきて。俺が、ルナの名前呼びながら彼女を抱きしめたので、ソフィアが拗ねていた。
ルナの方から抱きついてきたので、反射的に抱きしめただけで、本当に他意はなかった。
「フッ……当然だ」
ルナは俺に抱きついたまま、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「ソフィアも、結構優先されているじゃない。私なんか……」
「そうですかね……」
アリスはアリスで、落ち込んでいるような表情をして、ブツブツと何かをつぶやいている。
「ワシはアリスちゃん一筋じゃぞーーー!」
「ひっ お祖父様……」
今、ひっ――って言ったぞ……
道場の真ん中で、こちらを見ながら、声高らかに叫んでいるジイさんに。アリスが怯えたような声を出していた。
まぁ、自分の身内が死んだ挙句に。地縛霊のようなものになって、元気にうろうろしているから。その心境は複雑なのかもしれない。
「そんなに怯えんでも……」
「ご、ごめんなさいお祖父様。別に、怯えているわけじゃないんです」
「わかっとる、わかっとる。ワシは部屋に戻る。ボウズ、アリスちゃんを頼むぞ」
「あぁ」
道場から出て行くジイさんの後ろ姿が、少し淋しげに見えた。
「なんか、悪いな……アリス」
「ううん。アナタは悪く無いわ。私も、お祖父様の元気な姿を見れて、嬉しかったから」
ギルさんとアリスがこの屋敷に帰ってきた時に。ジイさんの姿を見て、最初は驚いていたが、そのあとは喜んでくれていた。
しかし、アリスは何か思うことがあるらしく。ジイさんを見るたび、複雑な表情をしている。
「幽霊を実体化させた、俺が言うのも何だが……もう少しだけ、ジイさんに優しくして欲しいな」
「違うのよ。本当に、そうじゃないの……」
「うん?」
アリスが言うには。ジイさんは、自分の好みの服をアリスに着せるのが趣味だったらしく。
昔から、服を大量に買っていたそうだ。アリスも最初は、喜んでその服を着ていたらしいが。
彼女が成長するにつれて。その買ってくる衣装が、だんだんと色気が増したりしてきて、着せられるのが恥ずかしかったみたいだ。
なるほど……
ジイさんの存在自体に怯えてるんじゃなくて、着せ替え人形みたいにされるのが嫌だったと……
ジイさんの服の好み、偏ってるしなぁ……というか、こんな態度をされるのは、ジイさんの自業自得じゃね?
「クロさま」
「クロ坊。そろそろ時間なのじゃ」
「あぁ、そうか」
休憩をしていると、リアに抱っこをされている白亜が俺を呼びに来た。
リアはここに来た時、ひどく落ち込んでいた様子だったが。
白亜が彼女の相手をしてくれていて、今では元気になっている。
落ち込んでいた理由は、グラさんをバーンシュタイン家に置いてきたからだ。
小さなペット類は可能だが、流石に騎乗ペットは飛空船に乗せられることが出来ずに。仕方なく、バーンシュタイン家に預けている。
白亜が喋った時に、リアは驚いていたが。同じ立場だからか、現状を見ればずいぶんと仲良くなっている。
同じ立場だというのは。白亜の首には、奴隷の首輪が付けられているからである。
彼女が買って欲しいといったので、隷属の首輪を買ったわけだが。
首輪を欲しがっていた理由は、リアと同じく、人間にさらわれないようにするためだった。
「本当にいいの?」
「なにがだ?」
一階へと続く階段を登っていると、俺の横に居たアリスが話しかけてくる。
「王女様の事よ」
「レティか……」
彼女が俺に、何を言いたいのかはわかっている。
レティは今日、バルトディアへと帰るために、俺たちと別れることになる。
アリスはこの屋敷に来てレティを見た時に、また恋人候補を増やしたのかと、呆れながら聞いてきたが。
俺は、彼女は妹のようなもので、そんなんじゃないと伝えた。
彼女は俺の事を兄と呼んでいるし、俺もレティにはそんな態度をとってはいなかったが。アリスには、そうは見えなかったみたいだ。
「レティは俺の妹みたいなもんだが、どうする事もできないだろ」
国の王女として、この先結婚をする事があるが。俺にはそれを止める権利もない。
「女神ですら恋人にしているくせに、何をいまさら……」
確かにアリスの言う通り、俺は女神を恋人にしているが。
この世界と離れている、曖昧な神界とは違って。実際に目の前に存在している国を、敵に回すことは出来ない。
ソフィアを好きになった時、神族を敵に回してもいいとは思っていたが。今この場で、神族と敵対しているわけではないので強気でいられた。
もしもレティを、バルトディア王国から力づくで奪えば追われる立場となり。それこそ俺の恋人たちを守りきれる自信がない。
「レティ……」
「お兄様……」
屋敷の玄関までたどり着くと、レティとその護衛のラルフさんが、俺達の事を待っていた。
「姫様。私は、外でお待ちしております」
俺の顔を見たラルフさんが、レティに一礼をして屋敷から出て行く。
そして、レティが手探りをしていたので、俺は彼女に近寄ってその手を握った。
「お兄様……今まで、ありがとうございました」
レティの手を優しく握ったら、彼女は微笑みながらそう語りかけてきた。
「あんまり、大したことは出来なかったけどな」
「そんな事はありません。お兄様と過ごした時間は、とても……充実した毎日でした」
「そうか……」
彼女は俺と過ごした時間を振り返り、楽しそうに話しているが。
そんなレティを見て俺は、これ以上何も言うことができないでいた。
時間にして数分ではあったが、何時間も語りかけられたほどの想いを……俺は感じた。
そして……別れの時がやってくる――
「お兄様。私は……きっと、強く生きていけます」
「…………あぁ」
俺が言葉に詰まっていると、レティがそっと、俺の体に抱きついてくる――
「さようならです……大好きなお兄様……」
「っ…………」
涙が溢れそうになるのを我慢していたら、彼女が俺の体から離れた。
「クロちゃん……」
「すまない……しばらく、ひとりにしてくれ……」
レティが屋敷から出て行くのを見送ったあと、トリアナが俺に話しかけてきたが。
俺は一人、道場の方へと、その足を引き返した――




