かさなる想い
合否判定は『桜咲く』で何とか私立に合格して、卒業式を迎えた。
クラスメイトや担任や顧問との写真の取り合いが終わって帰ると、家では家族が卒業祝いの食卓を準備しているところだった。
「おかえりなさい。もうすぐできるから」
「うん」
自室で着換えて、階段を下りているところに携帯へ着信音。祐輔からのメールだった。
{いま出れる?}
{いいよ。どこ?}
{ヒロんちの前}
は?なんだよ。だったら、チャイム押せばいいのに。
玄関ドアを開けると、門扉の前に立っていた。
「どした?」
「卒業、おめでとう」
「うん、ありがと」
「それで、スクールバックなんだけど、誰かにもうやった?」
「あ、山口に」
「そ、か」
ちょっと残念そうに声が沈んだ。
「欲しかったんなら、もっと早くに言ってくれれば」
「いいんだ。おれ以外にも欲しがってる奴いるの、知ってたから」
「そう?教科書なら、まだあるけど」
「おれ、理系」
言いながら、寒そうに手をポケットに突っ込んで小刻みに動いている。
「あがってけば?」
「いい。それより、ヒロ、ちょと」
「ん?」
手招きされて、門扉を開けて出ると、頬を両手で包まれた。
「冷たっ。どんだけ」
唇が重なる。
そういや、こんとこずっとキスしてなかった。というか、会ってなかったことに今更ながら気が付く。
合格の報告後の登校は卒業式までなかったし、おれは大学に提出する宿題に追われてたし。
唇が外れると肩を抱きしめられ、冷えた髪とジャケットの肩口が頬に当たる。
「啓樹―。できたわよー」
家の中から声がして、祐輔はおれを離した。
「はーい。今いくー」
家に向かって返事をして、祐輔のほうに向きなおる。
「祐輔冷え切ってんじゃん、上がっていけば?」
「いい。…おやすみ」
祐輔は止めてあった自転車で行ってしまった。
用事はそれだけ?
おやすみという前の少しの間はなんだったんだろう。
「誰か来てたの?」
上り框に母が出てきた。
「あー、祐輔。スクールバックあるかって」
振り返って、祐輔が帰って行った方を見る。
「あげたの?」
「ううん。後輩にあげてしまってたから」
「そう。せっかく来たなら、上がって行けばよかったのに」
「言ったんだけど、なんか用事あるみたいで」
「そう。寒いわね。早く入りなさい」
「うん」
街灯が灯っているだけの道の先は暗くて、もう何も見えなかった。
卒業を祝う言葉なら学校で聞いた。なのに、また言いに来るなんて、本当の用事は何だったんだろう。
家族との祝いの食卓の後で、祐輔にメールを入れた。
{少しでいいから時間作ってくれないかな。いつでもいい}
遅い時間にメールを入れたので、すぐの返事は期待してなかった。
案の定、翌日の部活終わりの遅い時間に返信がきた。
{日曜日は部活が休みだから。何時がいい?}
週に一度の休みだから、することは山ほどあるわけで、我儘は言えない。
午後からの1時間ほどを指定した。
{OK}
短い返事に、少しだけ淋しさがよぎる。
本当は、もっと会っていたいと我儘を言ってほしかった。
それは、おれの我儘かもしれない。祐輔には祐輔の生活がある。
おれは大学が決まったけど、祐輔はこれからだ。大事な3年の時期を迎えるのだから、おれの方が我慢しないといけないんだよな。
そして日曜日。自宅の玄関を出たところで、声をかけられた。
見ると祐輔が自転車を降りて立っている。
「え、なんで?」
「図書館の通り道だから」
「あ、そか。勉強か」
祐輔の家で話をするつもりでいたけど、考えてみればこの時期にうちの学校は模試があった。図書館行きはごく当たり前だ。
「修了式前に模試って、どんだけテスト好きなんだろな。うちの先生たち」
「春休み中に挽回させるためじゃない?一応は進学校なんだし」
「来年は受験生だし、しょうがないか」
自転車を押しながら、二人で歩き出す。
「なんかあった?」
歩き出してすぐに祐輔は聞いてきた。
「あったって言うか、あのさ、この前うちに来たとき、なんか言い足りなかったんじゃないかと思って」
「え?」
「いや、さ、ほら、おやすみ って言う前にちょっと間があったって言うか」
「あ、あれか。へんなとこ鋭いね。ヒロは」
なぜか祐輔は自嘲気味に笑って、俯き歩く。
それ以上は聞けなくて、おれも黙って歩く。
図書館が見えてきた。
図書館の中までついていくわけにはいかない。でも、もう少し一緒にいたかった。
だいたい、1時間ほど話がしたいって伝えてオッケー貰ったのに、図書館までの道のりは15分。
あんまりじゃないか。
それとも、図書館の共有スペースで話すつもりとか。
それって、二人きりにはなりたくないってこと?
あ、なんか凹んできた。つーか、祐輔はなんでずっと黙ったままなんだよ。
その角を曲がれば、図書館前の駐輪場への入り口ってとこで、祐輔の足が止まった。
一歩進んで止まったおれは、祐輔の方を向いた。
顔をあげた祐輔の口が開く。
「あの日、家に誘うつもりだった。でも、ヒロがあんあまり無邪気で、気がそがれた」
「え…」
誘う?そがれた?意味がよく分かんないんだけど
「不安で押しつぶされそうだったんだ。だから、ヒロを抱いたらそれが解消されるような気がして」
「ちょ ちょっと待って」
道端でそんな話。なのに、祐輔は続ける。
「だけどヒロってば、家にあがっていけって。不安そうなとこなんて全然なくて、おれのことまっすぐ見てて。そしたら、おれの考えてることって、浅ましいって思えてきてさ」
「不安って」
「ヒロには新しい世界が広がってて、どんな出会いがあるか分かんないじゃないか」
そんなこと考えていたなんて、思いもしなかった。いつも自信に溢れていて、振り回されてるのは、おれの方だとばかり思っていたのに。
「ちょっと嬉しいかも」
「なんだよそれ」
不機嫌そうな声の祐輔を見る。
「自信たっぷりに見えてたのに、可愛いとこあるんだなって」
「ヒロは不安じゃないのかよ。一年の間に、おれが他の奴に乗り換えるとか思わないわけ?」
「あ、そうか。そういうこともあるのか」
思いもしないこと言われて、思ったことそのまま口にしたら、呆れた顔した後で急に祐輔は笑い出した。
「自信たっぷりなのは、ヒロの方じゃん」
「自信とかそんなんじゃなくて、そんな先のこと考えたこと無いよ。それなのに祐輔は一年の間に心変わりとかするつもりで、おれに好きとかなんとか言ったんだ」
言葉にしたら、かなり凹んできたぞ。
つまりは、おれだけが能天気に祐輔に好かれてるって思い続けて、ある日気がついたらひとり寂しく風に吹かれてる状態ってことか。
「心変わりなんかするわけないじゃないか」
「そんなこと言って」
軽口をたたこうとして、それを遮るように祐輔が言った。
「三年も片思いしてて、やっと気持ちが通じ合えたんだから。離すわけない」
「三年もって、中学一緒じゃなかったよな」
「オープンキャンパスの部活体験で一目ぼれしたんだ」
「え?えーーーーー」
「道端で叫ぶなよ」
これが叫ばすにいられようか。てことは。
「一年の夏合宿の時はすでに?」
「そうだよ。こっちの気持ちも知らないで、無防備に寝顔さらして。しかも寝相悪くておれの布団に脚投げ出すし、こっち寄ってくるし。おかげで寝不足であの後、熱中症になりかけたんだよ」
思い出した。確かに夏合宿後に体調崩してた。あれは、おれのせいだったのか。
「ごめん」
ん?今謝ってもしょうがないのか?
「許すから、入学式の日と時間を教えて」
「4日だけど、なんで?」
「ヒロんちは誰か行く?」
「いや、平日だから来ないと思う」
「そっか。じゃ、行こうかな。ヒロのスーツ姿見たいし、入学式も見たいし」
「いいけど」
なんで家の人が来るかを気にするんだ?別に会っても困ることなんてないと思うけど。
「入学式後って、なにかある?」
「えーと、案内見ないとちょっと」
「じゃ、あとで教えて。て言うかオレ、図書館で5時まで勉強するんだけどその後、ヒロん家寄っていい?」
「いいよ。じゃ、待ってる」
そか、祐輔はおれの家に来るつもりだったんだ。
祐輔とそこで別れて、家に戻った。
門扉を開けたところに、玄関から姉が出てきた。
「あ、啓樹お帰り。私、友達と遊びに行くから、お母さんにはお夕飯要らないって言っといて」
「うん。わかった。え?お母さん出かけてるの?」
「忘れたの?お父さんと映画に行くって、先週から話してたじゃない」
「あぁ、あれって、今日だったんだ」
「じゃ、よろしくね」
「うん。いってらっしゃい」
家に入ると、しんとしている。
テーブルの上に母親からのメモが置いてあり、それには、8時ころには帰ってくるけど、それまでにお腹がすいたら、冷蔵庫のピラフを食べるようにと書いてあった。
祐輔が来る5時までには、まだ時間がある。祐輔が勉強しているのだし、おれも提出課題がまだ少し残っていたので、それをすることにした。
休憩をはさみながら、課題を終えたところに、チャイムが鳴った。時計を見ると、5時を過ぎている。
玄関を開けると、祐輔が門扉の前に立っていた。
「自転車、中入れといて」
駐車場を指すと、祐輔はいつもの場所に停めて、そちら側から玄関に来た。
「お邪魔します」
「うん。あがって」
「あれ?家の人は?」
いつもならリビングから母が出てくるのに、それがないことに祐輔は戸惑ったような声を出した。
「あー、夫婦で映画に行ってる。8時くらいに帰ってくるかな」
「そ、うなんだ」
「祐輔 腹減ってない?おれ、今からピラフ食べるんだけど、食べる?」
「減ってる。食べる」
食べたいだけ、皿によそって、レンジでチン。カップスープを作って、テーブルに置くと、祐輔はおれの前から横へ皿やカップを移動させて座った。
「なんで隣?」
「いいじゃん。隣に座りたいんだから」
「いいけど」
「いいなら言うなよ」
なんていうか、こんな風に二人きりって、告白されてから初めてかも。
意識しすぎて、言葉が出ない。結果、黙々と食べて、あっという間に食べ終わってしまった。
「ご馳走になったから、食器洗うよ」
「いいの?ありがと」
片付けが終わるまで、椅子に座ってそれを眺めていた。手際がいい。祐輔って家が定食屋だからか、料理とか食器洗いとか上手なんだよな。おれがやると、5回に1回は食器を落とすんで、今じゃ頼まれなくなった。
時計を見ると、6時を回っている。
「あ、もう1時間経ってる」
「飯食ってたらそうだろ。で、ヒロ、大学の入学式の時間は?」
「あ、忘れてた」
「なんだよ」
2階の自分の部屋へと階段を上る。机の本棚に立てかけてあった封筒を持って振り返ると、祐輔が立っていた。
「それん中?」
「うん」
「ちょっと寒いな」
「あ、今エアコン入れる」
祐輔はベッドに腰掛けると、封筒から書類を出して見ていた。
「ヒロって何学部だっけ」
「経済学部」
「じゃ、式は午後1時からか。受け付けが11時30分。その後、説明とかちょっとあるのか。うん、分かった。はい、ありがとう」
書類を封筒に戻しておれに返すと、そのままでヒロは部屋を見回した。
「あんま変わってないな」
「そんなことないよ。教科書とノートは片づけたし」
「なに突っ立ってんのさ。座れば?」
自分の左を指す。
「うん」
ベッドに腰掛けられるなんて、別に今までと変わらないけど、なんかドキドキするのは、おれも一緒に座ってるせいか?いや、でも、こんなこと今までもあったし。でも、今までとは違うと言うか。
「ヒロ」
呼ばれて祐輔の方を向いたら、唇が重なっていた。頬を両手で包まれて、一度離れる。
「口開けて」
「え?」
舌が前歯の間から入ってくる。今までのキスとは違う。
離れては、また重なる。そのたびに体の力が抜けていくようで、思わず祐輔の服を掴んだ。
唇が外れ、祐輔が耳元に口を寄せた。
「何?嫌?」
「嫌じゃ、ない」
小さな声でそれだけ言うのが精いっぱいだ。
「やっぱ、無理」
何が?と聞く前に、頬にあった祐輔の手が肩を押した。
押し倒されたと分かっているのに動かないのは怖いからじゃない。
灯りの下で陰になっているのに顔がよく見える。自分もきっと、泣きそうな、苦しそうな、切なそうな、こんな同じ顔して祐輔を見ているんだ。
真上に見える祐輔の首に手を伸ばした。引き寄せて、近づいて、額と額をくっつけて、きっと今同じ気持ちだ。
「祐輔」
自分から唇を重ねようとした時
「ただいまー 啓樹ー。祐輔君、来てるのー?」
玄関の方から母の声。
慌てて離れて飛び起きる。
ドアを開けて下に向かって、声が上ずらないように、低めに返す。
「おかえりなさーい。うん、来てるー」
「じゃ、夕飯買って来たから、下りてらっしゃい」
えーと、えーと、この状態で?
「課題の切りがいいとこまでしたら下りてくー」
「はーい」
あー 焦った。
ドアを閉めて振り返ると、祐輔が笑いを堪えた顔して見ていた。
「ごめん」
「しょーがないじゃん。でも、謝るってことは、ヒロもしたかったんだ」
「う…」
さっきのことを思いだして、急激に恥ずかしくなってきてドアの方を向く。
「ヒロ」
後ろから肩を抱きしめられて、耳元に声。
「邪魔が入るってことは、まだダメってことなのかな」
答えられないおれに、祐輔が言う。
「焦るなってことかも」
「焦ってなんかないよ」
「いや、オレがってこと」
そして腕を解くと、ドアを開けて階段を下りて行った。続いて下りていくと、テーブルに準備ができたところだった。
「お邪魔してます」
「いらっしゃい。祐輔君は啓樹の隣ね。玲奈は?」
「友達と遊びに行ったよ。夕飯は要らないって」
食器を並べ終えた父が、思い出したように言った。
「啓樹の入学式は4日だったな。休みが取れたから、お母さんと行くよ」
「え?いいよ。そんなわざわざ」
祐輔に親は来ないって言ったのに。
「そう言わないでよ、啓樹。入学式はこれで最後なんだから」
母も行く気満々なのが、伝わってくる。どうしよう。祐輔の顔を見ると、にこにこ笑っていた。
「いいなあ、羽生先輩は。オレん家なんて、自営業だから小学校以降は誰も来たことないんですよ」
「そう なんだ」
「そうですよ。来てくれるって言うのを断るなんてもったいないですよ」
「う ん。分かった」
「じゃ、オレはこれで失礼します」
「あら、ご飯食べて行ってよ」
「ありがとうございます。でも、すみません。試験前なんです。寄ったのも、昨年の試験問題をもらうためだったので」
そう言われてしまうと、母もそれ以上は引き留めることはできないと諦めて、気を付けて帰るようにと言った。
駐車場から自転車を出してきた祐輔を門扉の外で待つ。
「ごめん、祐輔。来ないって言ってのに」
「いいよ。気にしなくて。親だもん、見たいよな」
「うん」
視線が下がる。さっきまでは来ると思っていたから、嬉しいようなくすぐったいような気持だったのに、来ない気なんだと思ったら、淋しいような気持ちになった。
「ヒロ、そんな顔しなくていいよ」
どんな顔してたんだ、おれ。
祐輔の手が頬に触れる。暖かい。
「写メ送ってな」
「うん」
「じゃ、また」
自転車で帰っていく祐輔の後姿を見送る。
さっきの続きって、いつできるんだろう。っておれ、がっついてる?いや、でも、祐輔だって。ん?あれ?こんなこと前にあったような。あ!告白されたとき。抵抗しなければあのまま…。てことは、おれ、祐輔に3か月近く我慢させてるってことか?うわ~ ごめん。
思わず、帰って行った方角に両手合わせて、頭を下げた。
次は、ちゃんと。いや、おれだけが意気込んでもしょうがないんだけど。でも、同じ気持ちでいるんだから、次は迷わず抱きしめるよ、祐輔。




