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狐の花嫁  作者: 篠田葉子
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スパイと芸術

素直に忍城攻めの話に行かないのが私なんだなぁと思いました。

りんがまたも地味~に歴史に影響を与えています。

歴史の教科書に載っていて、テストにも出ますが、そんな人物全てを覚えていたら、りんはここまでボケをかます主人公にはなっていないと思います。

三成は忙しい。

秀吉の側近だからというのもあるが、本人が好きでやっている部分も大きい。


「仕事と私とどっちが大事なの!?」というのはよく聞くフレーズだが、この時代、しっかり働かないと文字通り死んでしまう。

この場合相応しいのは「仕事と自分とどっちが大事なんですか!?」だろう。


三成の仕事は他の人に肩代わりをしてもらうことができないものが多く、必然的に彼がやらねばならない仕事が増えていく。


りんは三成を困らせるのは本意ではないため、忙しそうにしている時は、自らも仕事に打ち込むようにしていた。

それが引き起こす事態など、想像もせずに――





スパイの用い方には五つの方法があると『孫子』の兵法にはある。

“因間”“内間”“反間”“死間”“生間”の五つである。


まず“因間”は敵の領内または敵将の内部深くに潜入し、重要な機密情報を盗み出すというもので、スパイとしては最もポピュラーな手法と言える。

ただしこれを実行するにはかなりの力量が必要で、特に敵将の信任を得て、敵側のトップシークレットを盗み出そうとすれば並みの武将では到底務まらない大役である。


次に“内間”であるがこれは敵側の武将(特に重責にある武将)で、以前から領主に不満や個人的恨みを抱いている者に言葉巧みに接近し、味方に引き入れてスパイに仕立てあげてしまおうという方法である。

もちろん見返りには高い地位と俸給――


一方の“反間”は敵のスパイの裏をかくものである。

敵側の“因間”であることを隠して領内に入ってきたときにそれを故意に暴かず、逆に優遇して安心させ、ニセ情報をどんどん流すのだ。

そうとは知らない敵の“因間”は得意になって極秘情報を味方に送り付け、それを信じた敵軍はまんまと罠にはまって自滅するという次第。

また、この“反間”は逆スパイを仕立てあげる方法としても使われたという。

つまりこの敵側のスパイを金品や地位などで誘惑し、こちらの情報を流させているように見せかけてその実、敵側の機密情報をこちらに流させるというものだ。


四つ目は“死間”である。

これは文字通り死を覚悟で敵領内に潜入し、スパイとして機密情報を盗み出させるというものだ。

それだけにきわめて忠義心が厚く、しかもよほど信頼する部下でないと無理な方法だった。

そのためいわゆる忍者がこの仕事に当たらされていた。

つまりはプロのスパイ活動ということになる。


それに比べると最後の“生間”は比較的楽である。

行商人や放浪僧、また旅芸人などに扮したスパイ(その多くがやはりプロの忍者であった)が敵領内を頻繁に訪れては重要な機密を持って帰るというものだ。



スパイ活動として紹介したため、敵という表現を用いたが、必ずしも敵対している相手に対してのみ使われるというわけではない。

政治的・軍事的に重要な相手や場所の情報を必要としているのはいつの時代も変わらないため、敵地以外にもスパイ活動は行われていた。



もともとりんは旅芸人たちを敵地以外に赴く“生間”として雇うつもりだったのだ。

ただ、雇った芸人の中に出雲阿国がいることが判明したため、彼女たちの使い方をスパイからプロパガンダ要員へとシフトさせたのだ。


りんの現代知識を用いた台本や演出によって有名になり、民衆を味方につけ、世論を操作する。

もしも史実通り、関ヶ原の合戦が起こったとしても、民衆が反対すれば処刑だけは取りやめさせることができるのではないか。との考えからの方向転換である。



そのためりんのお抱え芸人たちは各地を飛び回って興行をしている。

そのついでに情報を集めてもらったりもしているが、こういった筋からの反響は、芸人たちからしても想像だにしないものだった。



「これを描かれたのはどなたですか!?」

「は、はい?」


SFやファンタジー要素のある脚本を書いた本人であるりんが、その世界観をイメージした背景を描いた。

それが意外な人物たちの目に留まってしまったのだ。


「長谷川さんと狩野さんという方が私の絵について話を聞きたいと?」

「えぇ。なんでも見たことがない技法を使って描かれてるからって話で」

「え~?あ、あぁ~・・・」


芸人たちには反応によってはその後に書く脚本を変える必要があるので直接報告してもらっているのだが、皇室と関係を持ったおかげ?で京都の方まで興行に行っていた者から、有名(らしい)絵師からそう言って声を掛けられたとの報告をもらい、首を傾げてから、納得した。

そしてやらかしたかもしれない。と冷や汗が流れた。


この時代の絵画は当然のことながら日本画である。

が、私の描く絵は漫画絵か、美術の時間に習った水彩画などの西洋画である。

それはこの時代の絵師たちにはさぞかし奇異に写ったことだろう。


背景画を描いたのは三成がいない寂しさによる手慰みのようなもので、特に何も考えていなかった。

というか、以前からママ友に絵本を作って贈っていたのだけれど、それもよくよく考えたらアウトなんじゃないの!?


「どうしましょう。

なんかすごい熱意で・・・断りきれずに聞くだけ聞いてみますって言ってしまったんですけど・・・」

「あ~うん。そうねぇ・・・」


なんかどっかで聞いたことがあるような気もするけど、絵の一枚や二枚くらいで歴史は変わらないでしょ。


「参考になるかはわからないけど、一応二人共に構わないと伝えてもらえる?

まぁいつ会えるかはこちらの都合に合わせてもらう必要があるけどとだけ断りを入れて」

「いいんですか!?

すいません。じゃあ伝えてきますね。

あの人たち着いてきちゃってるんで・・・」

「え?!マジで!?

凄い執念ね・・・」

「えぇ、本当に・・・」


通りで疲れた顔をしているわけだ。

よっぽど粘ったんだろうなぁ。

その長谷川さんて人と狩野さんて人。

・・・そういやお笑いに狩野って人いなかったっけ?


意外な業界と縁ができたな~。とのほほんと(多少現実逃避しながら)思っていたりんは、その二人がまさか歴史の教科書に載っていたり、博物館に大事に所蔵されている絵を描いた人物だとは考えもしなかった。

そのため、気軽に絵の知識を自分の知りうる限り教えたり、仕事を依頼したりした。

武将や大聖人などとは違って、歴史にさほど影響はしないだろうと――


彼らの描いた作品が、りんの知る史実通りだったかについては、想像にお任せする。

ちなみにりんがその絵を見た感想は「あれ?なんか・・・どっかで見たことあるような?いやでも何か違うような?」だったとだけ付け加えておこう。


七話目くらいになってようやく、あ!別に無理にサブタイトルってつけなくてもいいのか!とほかの方の作品を読んで気付きました。

しかしやってしまったものは仕方ないとそのままきましたが、今回サブタイトル何つけたらいいんだろう?と悩みましたね。

どういう繋がり?と書いて我ながら思いましたもの。

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