石田三成の生涯
ツンデレで不器用でワーカーホリックで中間管理職の悲哀を漂わせてる三成さんって、よくない?萌えるよね?というわけで皆で三成さんを愛でよう!そしてへし折れ関ヶ原フラグ!!という話になる予定です。
冷たく暗い牢獄の中――一人の男が凛と背筋を伸ばし、座していた。
敗軍の将とは思えないほど静かなたたずまいは、その場を訪れる者たちに動揺を与えた。
あれほどの大敗を期したのに――男は常と変らず、過剰なほどに清冽な気を放っていた。
男、石田三成41歳。
彼は先日の関ヶ原で起こった戦の中心人物であったため、徳川方の兵たちにより投獄されて、今や処刑の時を待つのみである。
けれど惨めな様子などどこにもなく、ただ黙ってその時が来るのを待っていた。
三成は姿勢を崩さず、そう遠くはないであろう処刑の時を待ちながら、今日までのことを思い返していた。
そう、行儀見習いのため近くの寺で修行していた折にたまたま鷹狩りで近くを通りかかった秀吉に請われるがまま茶を差し出し、その機転を気に入り取りたてられてからの日々を――
三成は当時佐吉という名前だった。
長浜城主であった秀吉が鷹狩りの途中、喉が渇いたと立ち寄った寺。そこが佐吉が預けられていた寺だった。
「すまんが喉が渇いてしもうての。茶をもらえんかな?」
そう秀吉は応対した小姓にそうお願いをした。
小姓は黙ったまま、こっくりと一つ頷くとぱたぱたと軽い足取りで立ち去った。
そしてすぐに大きな茶碗にぬるめのお茶を一杯に入れて持ってきた。
ぐびり。ほとんど一息で飲み干した秀吉は、それでも喉の渇きがおさまらず、茶碗を差し出して「もう一杯もらえるかの?」と言った。
小姓は先ほどと同じく黙ったまま一つ頷いて茶碗を受け取り、また戻っていく。
次に差し出されたのはやや小ぶりな碗にやや熱めにしたお茶。
それを受け取った秀吉は内心で(ほほぅ、やるなこやつ)と感心した。
それも飲みほした秀吉は、次はどうするのかと俄然興味がわき、にこにこと笑いながら「もう一杯いただけるかの?」と訊ねた。
茶目っ気たっぷりなその様子に、小姓は今度は少し考えた様子を見せたが、やはり頷いて中へと戻っていった。
そして最後に出されたのは小ぶりな碗に熱く立てた茶。
「はっはっは!」
秀吉は小姓の機転に満足して大笑いしてしまった。
当の小姓はなぜ笑われているのか分からず、きょとんとした顔をしていた。
秀吉はこのやり取りですっかりこの小姓が気に入ってしまった。
「おぬし、わしのもとで働かんか?」
こうして佐吉は秀吉の部下となった――
信長の配下で働く秀吉の下で仕える期間は、実はそう長くはなかった。
五百石の扶持をされていたころ、渡辺勘兵衛を全部与えて召し抱えたりなどという無茶をしたりもしたが、中国征伐を命じられた秀吉に従い転戦していた佐吉は元服し、名を三成と改めた。
その数年後に明智光秀が謀反を起こし、彼の主である信長が討たれてしまったからだ。
その時中国地方攻略を進めていた秀吉はその知らせを聞くと逆賊を討つべく、後に中国大返しと呼ばれる大強行軍を決行した。
その際、三成は後方支援部隊として活躍した。
街道に知らせを送り、行く途中の村や町に炊き出しを行わせたのだ。
また、寺にいたこともあって寺院の人間を使っての諜報活動も行った。
その後起きた賤ヶ岳の戦いでも柴田軍の動向を探る偵察部隊として働くだけでなく、先駆け衆として一番槍の武功をあげた。
その功績で近江の水口城主となった。
水口城主。
その当時は三成にとって少し特別な意味を持つ。
その頃を思い出し、ふっと口元が緩んだ。
あの男はいまごろ、どうしているだろうか・・・もう先に逝ってしまったのだろうか?それともどこかに潜んでいるのだろうか・・・
知行四万。その半分を与えると言って召し抱えた男。
島左近。
半分を与えても少しも惜しくなかった。
それほどあの男が欲しかった。
「三成に過ぎたるもの、島の左近に佐和山の城」
そう謳われたほどの武将。
彼は自分によく仕えてくれたが、果たして自分はそれに足るだけの主であっただろうか。
あぁ、勘兵衛にも百万石の太守になったら十万石やると言っていたのに、結局果たせずじまいであったな・・・
自分に仕えてくれた部下達一人ひとりを脳裏に鮮やかに思い描き、必死で歩んできたこれまでを思う。
苦労をさせた。
なにせ自分は喜んでいるとかが分かりにくいくせに、機嫌が悪いのはよくわかるという実に難儀な表情筋の持ち主で、正しいと思えば上司である秀吉にも顔色を窺わずずけずけ言ってしまう。
晩年の秀吉にはそれがもとで疎まれ、遠ざけられたりもした。
元は同じ釜の飯を食った仲の加藤清正・福島正則らに襲撃され、命からがら伏見城内の自分の屋敷に逃げ込んだこともあった。
そんなこともあって、左近には徳川殿を討ち果たせと言われたこともあったな。
そこまで考えてから、ふとそんなことを思い出す。
そして口元がほんの少し皮肉気に歪む。
左近、お前はそれを否定した俺を潔癖が故だと思ったかもしれん。だが違う。違うのだ左近よ。
俺は政治的な面を主に担ってきた。
だからわかるのだ。
正当でないやり方で徳川殿を排すれば、それを口実に今度は俺が消される。
徳川殿がいるから表立っては動かん連中が動き出す。
それこそ群雄割拠の戦乱の世に、ほんの少し前に戻ってしまう。
俺はそれこそが最も忌避すべき事態だと思ったのだ。
だがおかげでこのような大掛かりの戦になってしまった。
自分に味方してくれた武将達はどうなっただろう。これからどうなるのだろう。
忍城攻めの時からの仲である長い付き合いの武将達もいた。
親友の大谷吉継は自害したと聞いた。
忍城攻め――それは三成が秀吉によって貧乏くじを引かされた戦いでもある。
彼の政治的パフォーマンスのために、ムリだとわかっていながら水攻めを決行。
とにかく非常に労力とコストがかかる戦い方で、そんな攻め方ができるのは秀吉軍以外にはなかった。
それを諸将に見せつけるのが目的で、それを一番能率的かつ意図を汲んで動けるのが三成だった。
それを承知の上で(一応反対の文は送ってみたが)動く三成に、思うところでもあったのか、共に参戦していた武将たちはほとんど全員自分の味方についてくれた。
まぁ、そのうちの一人である真田昌幸は自分の嫁の姉の旦那で、義兄弟でもあるし・・・そして何より徳川家康が大っきらいと公言してはばからない人物なので、それが理由ではないのかもしれないが。
義理の兄弟を想いちょっともやっとした三成は親友を思い出すことで意識を切り替えた。
大谷吉継。
秀吉から百万の軍を指揮させたいとまで言われたほどの手腕と人柄の持ち主。
だが実に残念なことに業病(今で言うハンセン病)にり患し、第一線を退かざるを得ない状況であった。
そんな彼が此度の戦に参戦してくれたのは、自分にとってはそんなこともあったな、程度のことが決め手になったのだという。
それは業病に侵された彼が茶会に出席した日のこと。
顔がただれ、目もよく見えなくなり、頭巾をかぶっていた吉継が茶を飲もうとした時、膿汁が一滴、茶碗の仲に落ちてしまった。
居並ぶ諸侯達は感染を恐れ、誰もその茶を飲もうとはせず、口をつけるふりだけして茶碗を回した。
そのことに、その場にいることに、言い様のない屈辱を感じたのだと、吉継は言った。
立ち去りたい。消えてなくなりたい。どうしてこのような晒しもののような目に会わねばならぬのだと叫びたい。
そう手が真っ白になるほど握りしめて俯いていた吉継の耳に、一人の声が響いた。
「もうのどが渇いて待ちきれぬ。失礼」
そう言ってずんずんと歩み寄ってきた三成は茶碗を奪い取り、そのまま一息ですべて飲み干してしまった。
そしてふん、と鼻を鳴らすと「上手かったので飲み干してしまった。すまんな」と言ってのけた。
茶会はその後、何事もなく終わった。
三成は諸侯の態度が気に食わなかっただとか、感謝しろよといったことを言ってくるかとも思ったが、何も言ってこなかったので礼を言うと、何のことかわからないと心底そう思っている表情でキョトンとされた。
それが吉継にとっては救いになったのだと、共に戦ってくれると言ってくれた日に教えてくれた。
けれど三成には未だによくわからない。
だって当たり前のことをしただけなのに。
秀次や秀長、氏郷の家臣団を召し抱えた時もそうだった。
舞兵庫も蒲生頼郷も、他にも誘いはあっただろうに「このご恩は忘れない」と言って励んで、先の戦でも勇猛果敢に戦ってくれた。
彼らが何故そんなことを言うのか、俺には分からない。
これがへいくわいもの(横柄・驕慢)だと言われる所以なのだろうか。
自分には過ぎたるものだと称された城も燃えた。
妻も、三男三女をもうけてくれた妻も自害して果てたという。
おそらく子らももはや生きてはおるまい。
いや、三女はおねさまの養女となっておるから、あの子だけは生き延びていることだろう――
妻にも苦労をさせた。
世間の嫌われ者で、佐和山の狐などと称される俺の妻だと知れ渡ると何かと面倒だろうと
世間には出さず、ひっそりとだが自分なりに大事にしてきたつもりだ。
側室は持たず、妻一人を愛してきたが、徳川殿の策略で側室を持ったこともあった。
けれど彼女は間諜であり・・・俺を愛してしまったが故に殺されてしまった。
大一大万大吉。
一人は皆のために皆は一人のために動けば、人は幸福になり、天下泰平の世が実現していく。
そう掲げていた自分が、自分を愛してくれた人を不幸へと追い込んでしまった。
とかく、ままならぬ世の中である――
先日の合戦では襲撃事件の責任を取れと家康に言われ、蟄居生活を送っていたがために地位もなかった三成が吉継に「お主は智力はあるが人望がない。総大将には不向きだ」と言われ、毛利輝元を総大将に据えて皆果敢に戦ったが、小早川秀秋らの裏切りによって敗れた。
少ない人数ながらも、わざわざ検地の際に自分を指名し、その時一緒に算盤で帳簿の付け方を教えてくれた恩があるからと駆けつけてくれた島津殿。
彼らは無事に国元へと帰還できただろうか。
今近くに投獄されている行長は朝鮮で共に清正らに苦しめられた。
朝鮮侵略は秀吉に秀長と共に何度も考え直すよう進言した。
けれど清正らは阿諛迎合し、それに秀長は「そんなに高禄が欲しければ我が禄を与えよ!」と怒りを露わにしていた。
海を越えての物資補給は非常に困難であり、いずれ全滅するであろうと朝鮮の地へと渡った三成は予想し、漢城へと軍勢を集結し、明の大軍を破った。
その時には「臆病風に吹かれたか!」などと罵声を浴びせられもしたし、その後の和平交渉の時にも行長を商人だと現地人に言ったり、正使の財貨を奪わせ帰国に追い込んだりと、本当に清正らには苦労させられた。
先日も捉えられた自分を嘲笑いにやってきた。
・・・正直暇な奴だと思ってしまった。
どうせ来るなら真田信之殿のように、徳川の軍門に下るよう言いに来るとかすればいいのに。
長い間文を交わし合う間柄だった信之殿はわざわざこんな暗い牢獄までやってきてくれた。
泣きそうな表情を一瞬浮かべ、徳川の軍門に下り、その才覚を活かすことで生き延びるよう言ってくれた。
確かに秀吉さまの晩年辺りから徳川殿に、旗下に下るよう何度か言われている。
俺の実務処理能力と、深い忠義心を買ってのことだろう。
だが、忠義心を買っているのならばわかるだろう。
秀吉さま以外のものに仕える俺など、俺ではない。
俺が欲しいのだというのならば、貴様に仕えるような偽物の俺を求めたりするな。
しかし裏切り者の秀秋にもとりあえず言いたいことは言ったし・・・田兵(田中吉政)にニラ雑炊ももらって腹も膨れたし、捕まってからというもの、たまに訊ねてくる者と面会するくらいで暇にあかせて過去のことなどつらつらと考えていたが・・・いい加減あきたな。寝るか。
そう判断するや否や、今まで姿勢よく座っていたのが嘘のようにごろりと横になり、ぐっすりと眠り始めた。
牢の番をしていた者がなんという豪胆な・・・!と恐れ慄いていたことなど、当然気付いてすらいない。
そして、処刑の日が来た――
刑場へと運ばれていく途中、野次馬どもが「石田治部が天下を取った!」と囃し立てたが「俺が大軍を率いて天下分け目の合戦をしたことは変わりようのない事実だ。恥ずかしいことでもない。そのように囃し立てんでもいい」と気にも留めなかった。
野次馬どもは徳川方の工作員だったようで、石田三成は反逆者であるという空気を出したかったのであろう。
だが、運ばれていく様子を物言いたげな眼で、すがるような眼差しで見送る者や手を合せて拝むようにする者がほとんどを占め、そのもくろみは失敗していた。
三成は人情味あふれる施策を取っていたため領民に愛されていた。
関ヶ原から落ち延びた三成をかくまっていたのも農民だった。
だが追手の執拗な捜索、懸賞金騒ぎに、この村の者たちにこれ以上迷惑はかけられんと思い、食事を差し入れてくれていた与次郎に「このままだとお前たちにも累が及ぼう。俺を田中に差し出し、金をもらうといい」と言った。
だが与次郎は涙ながらに「そのようなことはできません。どうぞいつまでもこちらにおいで下さい・・・!」と言って、聞かなかった。
結局折れたのは与次郎だった。
ぐるり、周囲を見回す。
かくまってくれた村の者も、そこにたどり着くまで助けてくれた者の姿もあった。
ふっと口元に笑みが浮かぶ。
静かに、彼らに向かい頭を下げた。
その様子に泣き崩れる者があった。
石田様、石田様!と声を上げる者、治部様!と泣き叫ぶ者もいた。
あぁ、自分は愛されていたのだなぁと少し面映ゆい。
同様に共に刑場へと運ばれている行長も名前を呼ばれている。
安国寺恵瓊の名前がほとんど呼ばれていないのに、少し笑えた。
連行している側の徳川の兵たちは「黙れ!黙らんか!!」と民衆を怒鳴りつけるが、その声すら掻き消すように民の声が市中に響き渡る。
その声を振り切るように、先ほどまでよりも速度を上げ、六条河原へと連れて行かれた。
先に恵瓊の首が、続いて行長の首が落とされた。
二人とも怯えることも臆することもなく、堂々と武士らしく死んでいった。
その際、見守る民から悲鳴が上がり、涙声のお経や多分キリスト教の文句(だと思う)に送られて冥府へと旅立っていった。
恵瓊は坊主だし、行長はキリシタンだから喜んだだろう。
「喉が渇いたので茶をくれ」
群衆の中に親しくしていた萬代屋宗安の姿があった気がして、三成はついそんなことを言った。
宗安は利休の弟子であり娘婿で、以前もらい気に入っていた唐物の肩衝を先の戦いの前に返していた。
「戦いに敗れてしまえばこれも虚しく失われてしまう。武運なく討死した時はこれで茶を点てて追悼してくれ。その代り勝利した時にはそれなりの額で買い戻したい」そう言って。
だから追悼には少し早いが、末期の茶を求めてしまったのだろう。
だが当然と言えば当然かもしれないが、徳川の兵たちはその辺りの機微を全く解さず「干し柿ならあるぞ」と言ってきた。
むっとした三成は「干し柿は痰の毒になるからいらん」と突っぱねた。
言われた徳川の兵たちは「今から首を刎ねられるというのに、身の養生をしてどうする!」と気色ばむが、三成はふんっと鼻を鳴らして馬鹿にしたような顔で「お前らにはわからんだろうが、大義を思うものは首を刎ねられる瞬間まで命を大切にするものだ」と言った。
それを聞いた徳川の兵たちはますます気色ばむが、もはや三成は彼らの方をちらりと見もしなかった。
三成は固唾をのんで三成の最後を見届けんと、必死で涙をこらえている民の姿をまっすぐ見ていた。
「石田殿、口が過ぎますぞ!」
多分この場にいる兵たちの中で最も立場が上なのであろう男が、他の者を宥め、そう言った。
「ふん、俺の口が過ぎなかった時などあったと思うか?
いつだろうとどこだろうと、俺は俺なのだ」
こちらを見もせずに言ってのけた三成に、男は一瞬あっけに取られ、そして笑顔を作るのに失敗したような、そんな表情を浮かべた。
「実にあなたらしいですな」
「石田殿、御覚悟は良いですか?」
「ふむ。死にたくはないが、それを言ってどうにかなるのか?
だったらさっさとしろ」
「・・・そんな身も蓋もない。
辞世の句は詠まれますか?」
男の声が少し震えている。
おかしなことだと思いながら、三成は口を開く。
「筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり」
消えゆくだろう、豊臣は。このまま存続させるほど徳川殿は甘くあるまい。
俺の生涯は豊臣と共にあった。
ならば消えゆく時もまた、共にあろう。
「・・・では」
刀を構えたのだろう。背後に影ができた。
そしてそれがほんのわずかに震えているのが分かった。
仕損じるなよ。とそんなことが過ったが、視線は揺るがず、相変わらず民を見ていた。
刀が振り落とされる――その時、民から堪えきれずに悲鳴が上がる。
男は振り上げた刀を、その声に思わず止めてしまい・・・
「まさかあの展開から生き延びるとは思わんかった」
「殿はなかなかに悪運が強うございますなぁ・・・」
民衆があまりにも騒ぐので、そのまま続けることができなくなり、一時中断。
執行役がやりたくないなどと言い出し、再度牢へと逆戻りになった三成。
えぇい、さっさと処刑せんか!と逆に怒りだしそうな三成に面会があった。
「もう一度だけ聞く。
わしの下で働かんか」
「何度聞かれても同じだ。断る」
徳川家康がやってきたのだ。
きっぱりと断ったのに、どこか安堵したような表情を浮かべ、そして勝者とは思えないほど情けない顔になった。
「わしはどうやらお前に死んでほしくないようだ。
ここまで来たからには、もはやお前も再起は不可能だとわかっておるだろう?
お前の悪評も半蔵らに流布させた。
だから・・・天封された佐竹殿のもとへ行け。
あそこならわしも知らぬ振りができる」
「佐竹義宣のもとに・・・?」
義宣も三成の親友で「治部殿が死んでは生き甲斐がなくなる」とまで言ってくれた仲で、秋田に領地を持っている。
家康の手引きの下、義宣の部下達に連れられ、三成は北へと向かった。
義宣と再会し、用意してもらった寺で過ごしていたら、噂を聞きつけ落ち延びてきた部下達が集まってきた。
その中に左近の姿もあった。
結局三成を慕って集まった兵たちが100人を超したので目立ってしまい、さらに北へと向かうはめになった。
「俺が仕えるのは殿だけですよ」と言って、その後も付き従ってくれた左近が、老いであの世へと旅立とうとしている。
床に伏せた左近の傍で、昔話をしながら、三成は穏やかな気持ちになっていた。
「左近」
「なんです?殿」
「お前がいてくれてよかった。お前のような部下を持って俺は幸せだった。
もはや戦もあるまい。だから・・・安心して休め。ありがとう」
「俺の方こそ・・・貴方のような殿に仕えれて幸せでしたよ。
ありがとうございます」
左近は幸せそうに笑い、逝った。
三成も、義宣が逝ったのを見届けてから、あの世へと旅立った。
徳川の世は長く続いた。
その間に三成は姦臣だとされていった。
けれど三成の想像とは裏腹に、そして世間のイメージとも違い、三成の子は全て生き延びていた。
孫娘などは三代将軍徳川家光の側室になっている。
そして三成の遺伝子は現在にも伝えられている。
悪評がたくさん立てられたにもかかわらず、かの有名な水戸光圀公は「石田三成を憎んではいけない。主君のために義を持って行動したのだ」と評価している。
徳川の世にあっても信之も文を大切に保管していたし、遺品を大切に保管していた者もいた。
徳川260年の間否定され続けた石田三成。
そして彼が死んで数百年の時が流れ――日本の、豊臣秀吉が首都を置いた大阪に、一人の少女が生まれた――
前振りなっがいな!そして多分シリアスはこの回くらいで、これ以降はシリアルになると思います。