第二話
緩やかに弧を描いて複雑に枝分かれする道は、草を刈っただけの粗末なものだった。
平素であれば荷馬車の一つくらい走っている草原の道には、現在フェルゲルグ一人だけが歩いている。
道の左側に寄って歩くフェルゲルグは、目印の木を見つけて道を外れる。草を掻き分け木の元へ辿りつけば、風に揺れる草よりも頼りなげな少女が立ち上がった。薄汚れた布は元々が丈夫だったのか、未だ服の形を保って少女の細い体を覆っている。
フェルゲルグは背負っていた荷を傍らに下ろし、取り出した携帯食を少女へ放った。
問うような視線に、食べろ、と手ぶりで示して腰を下ろす。この大陸の言葉に不自由な少女は、口で言うより動きで意思を伝える方が理解が早い。
少女はその場に座り、日持ちすることだけを考えられたそれに噛り付く。お世辞にも美味しいとは言えないものの筈なのに、少女はそれを嚥下すると満足そうに眼を細めた。
不満気では無い事に息を吐き、フェルゲルグは下した荷の中へ鎧を押し込む。代わりに取り出したのは、神殿都市が発行している広報紙だ。主に魔王の動向と勇者について記すそれを斜め読みし、フェルゲルグは眉を寄せた。
「勇者の記事が無い」
フェルゲルグの独白に少女がこちらを見る。気にするなと首を振ると、少女は不思議そうに瞬きながらも食事を続けた。
再度読み直しても、今代の勇者についての記述が全く無い。
召喚に難航しているのかと思い数えてみても、勇者を召喚するとの情報を目にしてから既に数日。時間がかかりすぎている。
「……、どうした?」
口元に手を添え考え込んだフェルゲルグの視界に少女が割り込む。何かを言いたげな少女にフェルゲルグは短く問いかけた。だが、少女はただ立ち尽くしている。
瞬いてそちらを見やると、少女が首を傾けながら携帯食を差し出した。
「お腹、空く、ない?」
単語を継ぎ接ぎしたような言葉は、発音自体がつたない。
己のそれを分けようとする少女を留め、フェルゲルグは再び首を振る。
「気にしなくていい。食べろ」
「お腹、十分?」
その問いに頷くと、少女は傾げていた方とは反対に首を動かす。やや間をおいて、不思議そうに手を引っ込めた。フェルゲルグが食事をしている所を見たことが無いのだから、不思議に思うのも仕方のない事だ。魔物に類するモノは、生命維持に必要な養分を魔力で補うので食事をせずとも生きていける。
少女が食事を再開するのを見届け、もう一度読み直した紙面を地に置く。右腕で円を描くと手から魔力が放出され、風の魔術が紙を切り裂いた。
少女が感情の籠っていない驚きの声を上げて最後の一欠けらを口に押し込む。少女が手についた食べかすを払い終わるのを待って、フェルゲルグは荷から藍色の外套を取り出した。どう見ても大人物のそれを、立ち上がった少女に被せる。
「……あつい」
外套に身を包んだ少女が小さく不満を述べた。
「まともな服を手に入れるまで我慢しろ」
少女は口をへの字に曲げたものの、己の着ているものが雑巾と変わりない代物だとは理解しているのだろう。それ以上は不満を口にしなかった。
少女にとって大きすぎる外套は地を這う程に布を余らせている。適当な長さの位置を手で押さえ、一旦外套を脱がせた。服をつまむ少女の傍ら、フェルゲルグは懐から取り出したナイフで外套の裾を裂き始める。
「――あの」
少女が気後れしたような声を上げる。布を裂いていたフェルゲルグは、少女を見ずに声で続きを促した。靴を履いていないせいか、足踏みをした少女の足音は酷く静かだ。
「私、ナナ。あなた、名前、何?」
弱々しく発せられた問いに、外套を半ばまで裂いたフェルゲルグは手を止めた。
そう言えば名乗っていなかったかと思い返し、再び手に力を込める。
「フェルゲルグだ」
「ヘゥ、ゲーグ」
未だこの土地の言葉に慣れていないせいか、名前を上手く発音出来ていない。
ナナは首を傾げて再度フェルゲルグの名を呟いた。自分でも言えていない自覚があるようで、何度も名前を繰り返す。
どこか力の抜ける発音を繰り返す様が蛙のようだと思いながら、フェルゲルグは布を裂き終えて余った布とナイフを片付ける。
「……裾」
「道具は後でやるから、自分で繕え」
ただ裂いただけの裾を示されたが、フェルゲルグはそのまま外套を被せた。元々縫い付けられていたフードはナナの顔を半分程隠し、黒い色の瞳も影のせいでそう見えると言えなくも無い。
頷いたフェルゲルグの耳に蹄の音が届いた。ふと振り返ると、砂塵を上げてこちらへ駆けてくるそれが見える。馬は躊躇うことなくこちらへと駆けより、フェルゲルグの傍らに嘶きながら立ち止まった。
「旅の方ですか? 今時珍しいですね」
皮肉にも思える言葉を穏やかに語り、青年は微笑みながらフェルゲルグとナナを見比べた。
こちらを見下ろしてくる碧の瞳に身を竦め、ナナがフェルゲルグの背に身を隠す。
「わざわざそれを言いに来る方も珍しいだろう」
「あぁ、良く言われます。……と、そうではなくてですね」
鼻を鳴らした馬を軽く撫で、青年はその背から降りる。乱れた銀髪を手で撫でつけて、彼は頭を下げた。
「私は初代勇者の子孫、アルフィと申します。今代の、七代目勇者様を探しているのですが。見かけませんでしたか?」
先ほど聞いたばかりの音と気付いたのか、勇者、とナナが呟いた。
その声にアルフィはフェルゲルグの後ろに目をやり、一層口元を緩める。
「ええ。既に召喚は成功し、噂では勇者は旅に出ていると、それで」
彼が言葉を切った後、その場に落ちた沈黙は不自然な長さだった。黙しているフェルゲルグの外套をナナが引っ張る。
返事を待たれていると漸く気付き、フェルゲルグは眉を寄せて南へ視線を逃がした。そちらの方角にある筈の神殿都市は、当然ながらここからは見えない。
「さあ。知らないな」
言葉を投げつけるように素っ気ない口調で返し、フェルゲルグは荷と少女を纏めて抱え上げた。苦も無く抱えているフェルゲルグを見て、アルフィが驚嘆の声と共に目をみはる。
「力持ちですねぇ。……あ、まだ話は終わっていませんよ」
道へと歩きだそうとしたフェルゲルグを、アルフィは馬の手綱を引いて進路を妨げた。
「今代の勇者については何も知らない」
「ただの好奇心ですよ。貴方が旅をしている理由をお聞きしたいのです」
明らかに苛立ちの滲んだ声にも、アルフィは笑みを崩さなかった。今度は不自然な間を生まないよう、フェルゲルグはおざなりに返答する。
「遊牧民だった祖父の影響を受けた」
もう良いだろう、と低く呟きアルフィの横を通り過ぎようとする。けれど、答えを聞いたアルフィが明らかに当惑したのを見て踏みとどまった。アルフィは視線をさまよわせ、まさか、と聞こえるかどうかも危うい声を上げる。
「……なんだ」
「いえ。ですが……貴方が?」
声を掛けてから殆ど笑みを張り付けていたその顔が強張っている。抽象的過ぎる問いに答えは返さず、フェルゲルグは今度こそ道の方へと歩き出した。
しばらくの間をおいて、カサリ、とこちらへ歩む足音を聞く。
渋面を隠さずに振り返ると、アルフィと視線がかち合った。
「ついて来るな」
「四代目勇者様はこう仰いました。『旅は道連れ、世は情け』と。見習いの薬売りですが、どうぞよしなに」
得体の知れない笑みを浮かべる青年は、馬を間に挟みフェルゲルグに並ぶ。フェルゲルグは苦い息を吐いて、少しだけ歩を速めた。




