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13/14

13,戦後に生まれた東宝

戦後の復興は、日本が冷戦の盾になったとかという地政学などで語られること多いです。

でも私は人間のエネルギーに注目します。

今回は、AIでなくいろいろ調べました。、

数年ほど前、私がコロナにかかった時のことです。


全然記憶にないのですが、Netflixでジャニーズのドキュメンタリー『ライドオン』が、知らない間に18話まで一挙見されていたんです。


配信サービスの視聴履歴には、くっきり残っている。


熱でうなされた記憶はある。でも、一挙見した記憶がない……。


おそるおそる(たぶん)18話の続きから見ると、SixTONESが、演劇論を、ちょんまげ姿で京都・太秦うずまさの映画撮影所で演劇論を熱く語っている――という、かなりカオスな映像が流れてきました。


いや~。私は「美しい男子」は嫌いじゃない。

でも、ジャニーズはちょっと違う。


……ただ、もう一人の私は、それを一挙見していました。


そして、そのカオスな映像だけは、もう一人の私も「無理」だったんでしょう。

私の記憶は、そこで途切れていました。


その“場所”が、京都。

東映太秦撮影所のある「東映」の話をします。


※※※※※※※※※※


前置きが長くなりました。


これまで、松竹、東宝について語ってきました。

御三家の最後は、東映です。


まず、四季報から引用します。


※※※※※※※※※※


【設立】1949.10

【上場】1952.11


【特色】映画製作・興行収入中位。アニメ、実写戦隊ものに強み。テレ朝と株持ち合い、同局ドラマ制作も


【連結事業】映像関連74(25)、興行関連11(4)、催事関連6(11)、観光不動産4(33)、建築内装5(5)【海外】36(25.3)

(前の数字は部門ごとの売り上げ割合、かっこの中は利益率)


【減益幅縮小】映画製作・配給不振で想定以下。ただ興行が『鬼滅の刃』や『国宝』等ヒット続出で上振れ。『ワンピース』の海外商品化権想定超。人件費増重いが、営業減益幅縮小。不動産売却特益。27年3月期は興行反落も製作・配給復調、アニメ高水準。


【再編】映画とドラマのプロデューサー集約した新部署開設、IP軸で企画開発。『仮面ライダー』を中国で国内と同時配信


※※※※※※※※※※


数字だけ見ても、他社に比べて不動産の比率が相対的に小さい。

「映像を作って売る」側に寄った会社だ、という印象が出ます。


ただ、私がいちばん注目したいのは、東映が「戦後」に立ち上がった会社だという点です。


ここからは、私の仮説で書きます。


※※※※※※※※※※


戦後日本が、瓦礫の中から立ち上がったのは事実だと思います。


ただ私は、そのエネルギーを「日本人すごい」で終わらせたくない。

もっと構造的に説明できる要素がある、と考えています。


私の仮説はこうです。


戦争末期から終戦直後にかけて、日本の人的リソースや経験値は、

外地(満洲、朝鮮半島、台湾など)や軍隊、統治機構へ大きく振り分けられていた。


それが敗戦によって、短期間に「日本列島へ戻ってくる」ことになる。


この「戻り」は、気分の問題ではなく、規模の問題です。

たとえば、海外からの引揚者数は、およそ660万人規模とされる資料が複数あります。


もちろん、これだけで復興の全てを説明できるわけではありません。

しかし、これが“現場”へ与えたインパクトは無視できない。

人口の塊が戻る=労働力だけでなく、現場の経験、技能、ネットワークが戻る、という意味でもあります。


※※※※※※※※※※


では映画産業はどうか。


戦前・戦中の満洲には「満洲映画協会(満映)」のような巨大な映画組織があり、

そこで撮影・技術・運営の経験を積んだ人も多かったと言われています。


つまり、映画の人材や技術も、戦前の日本列島だけに閉じていたわけではない。

外地にも“現場”があり、そこで蓄積されたノウハウが、敗戦とともに日本へ戻った。


ここまでが、「分散していたリソースが集中する」という私の基本仮説です。


(繰り返しますが、これは私の考え方であり、単純な因果で言い切るつもりはありません。)


※※※※※※※※※※


次に、東映の「母胎」についてです。


東映は、複数の映画会社が統合して生まれた“戦後型”の会社であり、

その中核に「撮影所=プロダクション(制作現場)」があった。


言い換えると、

東映は「興行会社が作る」でも「都市型企業が作る」でもなく、

現場を抱えて“量産”しやすい形で立ち上がった会社だ、と私は捉えています。


そして、ここにもう一つの要素が入る。


東急の経理畑出身の大川博の、徹底的な合理主義がシナジーを起こす。


現場の推進力と、経営の合理主義。

この二つが同時に成立したことが、東映の強さの説明になるのではないか――私はそう考えます。


※※※※※※※※※※


次は、東映がどんな作品領域を開いたか、です。


合理化や効率化は、ときに現場を縛ります。

しかし同時に、それは「作り続ける」ことを可能にする。


松竹は、興行を母胎にして、家族向け・生活者向けの物語を磨いた。

東宝は、都市型・王道・ショーアップされた大作の回路を太くした。


では、東映は何をしたか。


私は東映が、

他の二社が正面から扱いにくい題材――

たとえば「アウトロー」や「任侠にんきょう」のような大衆ジャンル――

を、制作現場の推進力で“作品化”していった会社だ、と考えています。


ここで大事なのは、

それを現代の「反社」や「暴力団」という枠組みで単純に断罪したり、

逆に美化したりする話にはしたくない、という点です。


戦後の混乱期には、国家の統治も、地域の秩序も、いろいろな形で揺れていた。

その中で「強い個人」「強い組織」「裏の調停者」といった存在が、

物語上の“ダークヒーロー”として機能した面があった――

その程度に、私は整理しておきたい。


当時の観客がそこにカタルシスを見たとしても、不思議ではない。

ただし、ここは価値判断の話ではなく、歴史的な「受容の構造」の話です。


※※※※※※※※※※


まとめます。


東映は、

戦後に生まれた「統合型」の映画会社で、

撮影所=制作現場の推進力を軸にしながら、

大川博の合理主義がそこに乗り、

松竹・東宝とは違う大衆ジャンルを切り開いた。


その背景として、

終戦による大規模な人口移動(引揚)と、

外地・軍・統治の現場に分散していた経験や技能が日本へ戻る、

という構造があったのではないか――


私は、そう考察しています。


私は、現代の目で見て「昔の人は愚かだった」とは言いたくありません。

普通の人が、なぜその時代の空気の中で、ある選択をし、ある物語に熱狂したのか。

そこには、個人の善悪ではなく、構造としての再現性がある。


歴史を読む意味は、そこにある。

私はそう思っています。


※※※※※※※※※※


……と、ここまで堅めに書いておいてなんですが、

私の中のもう一人の私は、例のジャニーズのドキュメンタリーを一挙見するようなキャラでもあります。


うぉー、またアイツが。

頭がいたいよ!!


次回。

実は東映は、カレンダーを2022年以降作成していない(少なくとも私はそう認識している)のですが、

そのラインナップを、松竹・東宝と比較してみましょう。


以上。


【参考(数字・事実の根拠にしたもの)】

・海外からの引揚者数(約660万人規模):

https://adeac.jp/hakodate-city/text-list/d100020/ht054370

https://www.forth.go.jp/keneki/tokyo-kaigan/2_ship/ship_timeline_1945.html

・満洲映画協会(満映):

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E6%B4%B2%E6%98%A0%E7%94%BB%E5%8D%94%E4%BC%9A

・東映の成り立ち/創立期(※会社側の記述として参照):

https://note.com/toei70th/n/n7436c31973b7

https://www.toei.co.jp/company/history.html

あの『KADOKAWA』文庫のあとがきは、『第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たちの若い文化力の敗退であった。』あのKADOKAWAですよ。

歴史好きで大きな国々のエネルギーや個人で語られること、おおいけど私はもう一つの可能性あるんじゃと思います。


実は、このエッセイは、歴史ヒューマンドラマの新作を書くときのためにかいてる副産物だったりします。


そんな不安定な相馬ゆうでもよろしければ、ブックマーク/感想/★で応援してもらえると励みになります。

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