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『理系』相馬ゆうの映画界のコラム~芸能・企業②東宝カレンダーから世の中の全てがわかる編  作者: 相馬ゆう
【二章,四季報からカレンダーを読む】自分を知るにはまずライバルを知ること
12/15

12,阪急創業者『小林一三』

東宝を調べていたら行き着いた『小林一三』という人物。紹介させてください。

前回は阪急が、鉄道による「都市開発」の新しいモデルを作り上げた。

その延長上に「タカラヅカ」や『東(京)宝(塚)劇場』が誕生したことを書きました。


今回は、阪急の創設者・小林一三の、功績を簡単に書きます。


今回はAI使わず資料ベースでかきましたので訂正あればお伝えください。


※※※※※※※※※※


・経営者として


小林一三が阪急で実践した私鉄都市開発モデルは成功を収め、

関東でも東急電鉄の立ち上げに協力したり、

東京で不振に陥っていた電気会社「東京電燈」の立て直し、

「日本軽金属」の設立などに関わります。


・商工大臣・国務大臣


1940年 商工大臣

当時、ヨーロッパで成功していたドイツの「統制経済(国家社会主義)」を支持し、国務大臣に任命されます。


終戦後は国務大臣・戦災復興院の総裁になりますが、

二次近衛内閣の商工大臣だった経緯で、占領軍(GHQ)から公職追放になります。


・文化・芸術分野への貢献


もちろん都市計画の思惑があったことは否定できませんが、


プロ野球「阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)」

宝塚歌劇団

東宝設立


など、文化・芸術分野への貢献は多大なるものがあるでしょう。

歌劇団の脚本を自ら書いたという話もあります。


また、ナチスなど、ファシズム支持者という部分もありますが、


1938年(昭和13年)宝塚歌劇団、ヨーロッパ公演

1939年(昭和14年)宝塚歌劇団、アメリカ公演

1942年(昭和17年)宝塚歌劇団、満州公演


と、一見整合性のない海外公演。

1939年は第二次世界大戦が始まった年。彼は何を思ったのでしょうか。


・遺言


「私が死んでもタカラヅカとブレーブス(プロ野球球団)だけは売るな」と遺言したと言われています。


まあ、プロ野球は結局売られてしまうんですが……。

このあたりは企業ガバナンスがちゃんと成立している会社とも言えそうです。


※※※※※※※※※※


小林一三は、歴史的には様々な評価がある人です。

でも、善や悪の二元論で私は書きたくない。


私の抜粋にも、私のフィルターがかかってます。


『東宝』には、徹底した経営的なイデオロギーと、芸術文化のイデオロギー、

一見、二律背反の二つのDNAが流れている企業と言えるでしょう。


次回、最後に比較会社として、「東映」行ってみようと思います。


松竹:興行会社でファミリー路線

東宝:都市型エンタメ企業で王道路線


そして、戦後立ち上がった東映は……。


東映、凄いよ!君は!という回です。

シンプルな善悪ってわかりやすいけど、そんなもんじゃない。嫌な上司もよき父だったりするかもしれませんし...... 。そんな中自分を最適化させていかないといけない。


そんなこと大人なんだからわかるけど、やっぱり紋切り型も捨てがたい。


そんな不安定な相馬ゆうでもよろしければ、ブックマーク/感想/★で応援してもらえると励みになります。

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