5.誘惑と決意
それからの、実に身の入らない日常が過ぎ去っていく。
ある日は、ゴルディアに「身体を動かすと気分が良い」と畑仕事に誘われた。
荒れた土地を耕そうとして、力加減を間違い巨大な大穴を作ってしまう――。
何やら大穴より水が湧き出たらしいが、今はどうでもいい。
次の日は、フェリアスに「最近、牛の魔獣が郊外で暴れている」と報告を受けたので、退治へと出かける。
やはり婚姻の日が気になり、身が入らない。
そのせいで突進してきた魔獣の攻撃を避けられず、岩山に頭から突っ込んでしまった。
そこで金の鉱山が見つかったと報告されたが、今はどうでもいい。
また次の日は、カルロスに「腑抜けている今こそ絶好のチャンス。オルディンよ、奇襲させて頂く!」と叫びながら大浴場で襲ってきたので、全身までゆっくり疲れるように関節を全て外して湯舟に沈めておいた。
その晩、誰かが医務室に緊急搬送されたと報告を受けたが、今はどうでもいい。
そのまた次の日には――。
◇
「魔王様。大丈夫ですか?」
「なんだ。俺は大丈夫だ、問題ない」
民より上がった陳情に対し、各部門の責任者が解決案を出して来たのでそれを確認し、承認する仕事を行っている最中の事だ。
シルヴァ公爵に頼まれた婚約の日は、今日の夜。
既に夕方に近い時刻だ――急がねばならぬ。
執務室の机の上には山ほどの書類が積まれ、俺が機械的に魔王印を押していると――ネーティアが隣へとやってきて、手元を覗き込んできた。
横目で見ると、仕事以外でよく見る胸元と背中が大きく開いた蒼のドレスだ。
つまりネーティアはプライベートの時間、ここへ訪ねてきたことになる。
ただ俺の仕事ぶりを茶化しに来たか……監視でもしに来たのか。
だがまぁ、今はどうでもいい。
「でも印鑑、逆さですよぉ?」
「大丈夫だ」
「食事も残されたと――調理担当者が嘆いていましたよ」
「問題ない」
「あとカルロスが全治1週間の入院するそうよ?」
「大丈夫だ、問題ない」
「……魔王様」
「なんだ――」
「わたしを抱きませんか?」
「ぐ、むッ――」
そこは聞き流せなかった。
思わず作業の手を止め、顔を上げようとすると――それよりも早く、まるで水ようにスルリと懐へ潜り込まれた。
俺の視界が彼女に支配され、その湖底のように深く蒼い瞳に魅入られる。
朱に染まった頬と、緊張したような吐息の漏れ。
両手を後頭部へと回され、そのまま覆いかぶさってきたネーティア。
「おい、ネーティア。ふざけ――」
昔はこうしてよくからかってきた。
だから、避けられなかった――。
「――ん」
その柔らかな唇が、深く触れる。
俺の呼吸を奪うように――深く、深く。
どれだけの時間が過ぎただろうか。
唇から離れた彼女の熱が残っている間に、こう囁いてきた。
「……いいんですよ」
預けてきた体が、より重くなる。
互いの体温だけではない。
心臓の鼓動さえ、よく聞こえる。
「……」
俺は思わずネーティアを抱き抱え、書類の残った机へと押し倒してしまう。
書類の山は崩れるが、彼女はされるがまま――。
乱れたドレスの胸元と、サキュバスらしからぬ乙女のような表情は――堪えない程の情欲を生み出す。
「さぁ……忘れましょう」
俺は彼女の胸元に手を掛けると――。
『オルディンさんとの何気ないお話も好きでした』
そう言って少し寂しそうに笑うユーリの顔が――焼き付いて離れない。
「……魔王様」
「……なんだ」
「女性との行為の最中に、他の女の事を思い浮かべるのは――マナー違反ですよ」
「…………すまない」
俺は彼女とドレスから手を離し、再び椅子へと座り直す。
「やはり、忘れられませんか――ユーリの事を」
「ああ……」
こうした感情を抱いた事は、今まで1つも無かった。
ただ1人の女性に、何故魔王である俺が、ここまで心を奪われるのか。
彼女もサキュバスのように魅了魔法が使えるのだろうか――いや、使われたのなら俺がすぐに気付く。
「余計な事を考えてるだろうけど――オルちゃん」
「その呼び名は止せ」
乱れた衣服を整え、机を座るネーティア。
細い脚線美と、その奥より見え隠れするものを見せつけるように脚を組む。
彼女は余裕のあるように振舞うが、両腕に自身の爪が食い込むほど突き立て――だがそれも一瞬の事だ。
「はぁ――サキュバスからこう言うのもなんだけど……」
「なんだ」
「それは、恋よ」
「恋!?」
思わず素っ頓狂な声が出てしまった。
「ユーリの事が四六時中頭から離れなくて、他の女を抱こうとしてる時も考えちゃうなんて――ちょっと遅い初恋かしらぁ? ――わたしが初恋だと思ってたのにぃ」
「――すまない」
「その謝罪は、なに?」
「いや、それは……」
「しっかりしなさい。貴方は、魔王オルディンなの――この国の王。王なら、示すべきモノがあるでしょ」
魔王が示すべきモノ。
それは――。
「……そうだな。ネーティア」
「なぁに?」
「礼を言う……」
俺は立ち上がり、自身の上着を脱ぎ捨て――壁に掛けていた儀礼用の黒曜石の如く黒いスーツへと着替えた。
窓の外を見ると既に夜――今夜は月明りもない、絶好の月無の夜だ。
「行ってくる」
「はぁい、いってらっしゃい~」
いつもの軽い口調へと戻ったネーティアを残し、俺は窓を開け――闇が支配する空へと、飛び出したのだった。
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