第54話 火星からの逃亡者
「なかなかの船じゃな、そこらの軍船などでは話にならん」
デニム生地のオーバーオールにピンクのロングTシャツ、サラサラとしたストーレートのセミロング、明るい金髪にピンクの大きなリボン。まるでアニメの世界から飛び出したような、可愛らしい装いのリシュア。そんな少女が目を細め、心底驚いたように言った。
ここはムラサメのリラックスルーム。現在船は、ケレスコロニーにある宇宙船ドックで出港の準備を進めている。主に補給物資の積み込み作業中だ。この時間を利用して、亡命を望む侯爵令嬢と、その護衛兼逃がし屋のマッチョ女を前に、これからの段取りについて軽く言葉を交わしていた。
「協商連合宇宙軍が、持てる技術力の粋を集めた新鋭艦ですよ。そこらの傭兵や海賊と一緒にされては困ります」
天井から、ハルの誇らしげな声が降って来た。
「なんだてめぇ、軍関係者か。どおりで、食えねぇ顔してやがる」
筋肉女、ヒルダが、皮肉めいた笑みを浮かべながら、睨みつけるように視線を寄越してきた。
「なによ筋肉女! 人に助けを求めておいて、その言いぐさはないんじゃないの?」
サーシャが立ち上がろうと腰を浮かせたところを、右手で肩を押さえた。
「否定はしないが、いちおう彼女はサルベージ会社の代表でな。俺はそこの役員。この船のカーゴスペースには、回収したデブリがぎっしり積んである」
隣に座るサーシャの肩を軽く叩いて宥めながら、ゆっくりとヒルダに微笑みを向ける。
「木星のサルベージャーってのは豪華な船に乗ってるもんだな。驚いたぜ」
椅子の背もたれに片腕をかけ、体を斜めに捻ってふんぞり返るように足を組むヒルダ。
「こら、ヒルダ。お主、自分の立場をわきまえよ。儂らはこの二人に命を預けねばならんのだぞ」
リシュアにたしなめられ、ヒルダはバツの悪そうに顔を歪めつつ姿勢を正した。だがすぐに恨めしそうな視線をサーシャに向ける。
「てめぇのせいでお嬢に叱られたじゃねぇか、牛女」
その瞬間、右足をサーシャのかかとが俺の足を踏み抜いた。思わず顔が歪む。
「いてっ……! なにすんだよ、サーシャ」
彼女はそのまま俺の胸倉を掴み、鼻先が触れるほど顔を寄せてきた。顔を真っ赤にして、凄い剣幕だ。
「レイ、この筋肉……叩き出して。もう限界。お嬢様だけ連れて行けばいいんでしょう?」
慌ててリシュアが両手を前に出して、割り込むように身を乗り出した。
「すまぬ、この通りじゃ。こ奴の事は、儂の顔に免じて……のう? 後生じゃ……」
「お嬢……」
必死で頭を下げる少女を見てヒルダも思うところがあったのか、神妙な面持ちとなって頭を下げた。
「きゃー! 可愛い、ちょっとレイ! もうだめ、鼻血が……」
そう言って上を向く残念サーシャ。
「サーシャ。話が進まない、ちょっと席を外してくれる?」
言った瞬間、サーシャは椅子を鳴らして身を乗り出し、テーブル越しにヒルダを指さす。
「駄目よ! そんなことしたら、そこの筋肉がレイを誘惑するに決まってるもの」
「ふん。誰がこんな……顔が良いだけの軟弱男を」
ヒルダが腕を組み、鼻で笑い飛ばす。
「なんですって!」
サーシャが腰を浮かせたまま、机に両手をつく。
「ヒルダ……お主もじゃ、黙らんのなら席を外せ」
リシュアが目を細めてヒルダを睨みつける。
「そんな、お嬢! こんな変態と二人きりになんて!」
慌てふためいたように叫ぶヒルダに、サーシャが言葉を返す。
「ちょっと、あたしのレイに向かって、変態ってなによ!」
そのまま俺の肩に腕を回し、抱きつくように身を寄せる。頬まで寄せてきて……次の瞬間、サーシャの動きが止まった。
「ん? あれ? 思い当たるかも……だめだ、やっぱここに残る。口は閉じてるわ、安心して」
ぼそりと呟き、気まずそうに腕を離すと、椅子に座り直して姿勢を正した。
「もう変態でもなんでもいい……とにかく話を進める。次に騒いだら、キャプテンとして二人には即時退去を命じる。いいな?」
『分ったよ(わよ)』
声がぴたりと重なった。この二人、案外、似た者同士なのかもしれない。
「とにかく、俺は軍の情報部と繋がってる。君たちの事を報告しておいた方が、後々スムーズにいくと思うが……いいかな?」
リシュアの目をじっと見つめながら、問いかけた。
「そうじゃの。マフィアが言う政府ルートよりも、お主のほうがよほど信が置けそうじゃ。レイに任せよう。いずれにしても、この船に乗った以上、この身はお主らに預けておる。否はない」
見た目はまだ一二歳くらいだろうか。幼女からようやく女の身体に変わり始めたくらいの年頃だというのに、この落ち着きと達観した物言い。そして覚悟だ。貴族教育の賜物、とでも言えばいいのだろうか――なんとも微妙な気持ちになる。
「このまま我々は衛星カリストに向かう予定だ。リシュアはどこか、行く宛てはあるのかい?」
六人掛けテーブルのベンチソファにちょこんと腰掛け、両手を前に揃えてお行儀良く座る少女。完璧な美少女だ。そんな彼女が困ったような顔をして、口を開いた。
「儂に行く宛てなどあろうはずがなかろう。ことがことじゃ、臣下を頼る訳にもいかず、そもそも、火星から出たこともないのじゃから」
隣のサーシャがふっと席を立つ気配、ダイニングのカウンターに向かって歩いていく。それを見た筋肉……ヒルダが後を追う。
「すべてはあの運び屋任せ?」
席をたったヒルダの後ろ姿に視線を向けながら訪ねる。
「そうじゃ」
「それはまた……思い切りがいいというかなんというか」
肩をすくめて、リシュアへと視線を戻した。
「準備などしたら、あっという間に屋敷の者にバレる。貴族家の嫡子にプライベートなどありはせんのだ。出たとこ勝負、逃げられるときに逃げる。それしかなかったのじゃ」
テーブルの下でしきりに指を組みかえながら俯きがちに応えると、リシュアは小さくため息を吐いた。
「それで、あのヒルダは信用できるのかい」
真っすぐな問いかけに、リシュアは眉をわずかに動かした
「しらん。爺が連れて来た女じゃ。爺だけは臣下の中で唯一、間違いなく儂の味方だったと言える男じゃ」
そう言うと、リシュアは感情を隠したまま、こちらをじっと見つめ返してきた。
「了解。状況は理解した」
そこへ、ヒルダとサーシャが戻って来る。それぞれの前に飲み物を入れたカップが置かれる。俺の前にはいつものアイスコーヒー、ブラックだ。
「ただ、普通なら、リシュアがこの船に乗ったことも、今からケレスを出てカリストに向かう事も、誰にもバレないはずなんだ……」
テーブルに肘を付き、少し身を乗り出して言う。
「スパイがおると?」
リシュアが疑問の声を上げる。そっとヒルダに視線を向けると、彼女は「えっ! あたし?」とでも言いたげに目を大きく見開いた。
いい反応だ。見た目通りの筋肉バカ、わかりやすくて助かる。
「彼女がそうという訳ではない。ただ、マフィア同士も一枚岩じゃない。ケレスの統治と運営では協力しても、仕事の内容によっては対立することもあるだろう」
「どういう事じゃ」
「つまり、逃がす仕事をマッケル・ザハヴが請け負った。じゃあ追う仕事は?」
「なるほどの」
リシュアはとても敏い、隣のサーシャなど「どういうこと?」といった顔でキョロキョロしている。ヒルダが勝ち誇ったような顔をしたので、サーシャと喧嘩にならないよう、目で黙っていろと告げた。
「そう、ケレスの別のマフィアが請け負っていてもおかしくない。そうなると……マッケル・ザハヴ内部にスパイがいる可能性もある。というか、全てのマフィアがそれぞれにスパイを忍ばせていると考えたほうが良い」
「前途多難じゃな」
リシュアは小さな肩をさらにすぼめ、可愛く吐息を漏らした。その仕草に、サーシャは思わず抱きしめたくなったのか、手をわきわきと動かす。だがヒルダが鋭い視線でそれを睨みつけ、けん制していた。
「そうだね、途中で襲撃をうける可能性は極めて高い。だがまあ、この船に適う船はそうそう居ないと思うから、安心してもいい。軍の艦隊からでも逃げてみせるさ」
そこへ、落ち着いたハルの優しい声が降ってくる。
「キャプテン。予定の物資の格納を完了、いつでも出港可能です」
「よし、行こうか」
そう言って席を立ち、足を踏み出したところへリシュアが急いで近寄り、腕を掴んだ。
「ん? どした?」
「儂を、儂をブリッジに連れて行ってくれんか? 後生じゃ。儂は……戦艦乗りになりたかったのじゃ」
目を潤ませるリシュアの頭に手を載せて、目線を合わせるようにしゃがみ込む。
「畏まりました。ご案内いたしましょう、お姫様」
そう芝居じみた仕草で言うと、静かに手を取って口づけした。
「レイ!」
その瞬間、尻の割れ目に強烈な衝撃が。思わず前につんのめる様にして、床に手を付く。危うくリシュアに抱き着きそうになったが、なんとか斜め前に倒れることで回避した。
「そっちに行ってはダメ」
慌てて後ろを振り向くと、真剣な眼差しで右足を振り抜いたまま固まるサーシャが居た。尻を蹴り上げられたのだ。
馬鹿だな。おれはどっちかというと年増好きだ、バカヤロウ。さすがに口には出さないが……
「サーシャ、ちょっとやきもちが酷くない?」
そう言って尻を撫でると、リシュアがクスリと笑った。




