第49話 日本文化の残滓
オザワへの依頼完了の報告を終えてムラサメに帰還し、昇降ハッチから船内へ戻った。廊下を歩きながらハルにサーシャの様子を尋ねる。
「サーシャは?」
「はい。居住区画から出てくる気配はありません。バスルームには頻繁に立ち入っているようですが」
「そうか……」
少し間を置いて、話題を変える。
「オークションに出した船とパーツが、かなりの高値で売れた」
「それは僥倖です! すぐに知らせてあげましょう」
「これで機嫌が直ると良いが……」
ブリッジには立ち寄らず、居住区画へと足を向けた。サーシャの部屋の前に立ち、ノックする。直後、内側で何かがぶつかる音が響いた。
「うるさい!」
ドアの向こう、室内から籠った怒声が響く。
「サーシャ。オザワの所へ行ってきた。オークション、二一億で全部完売だ!」
ドア越しでも届くよう、大きな声で叫ぶ。次の瞬間、音もなく扉が開き、満開の笑顔を浮かべたサーシャが立っていた。
「うそ……! レイ、大好き!」
首に手を回し、飛びつくように抱き着いてくる。その勢いに押され、背中が廊下の反対側の壁に打ちつけられた。サーシャはそのまま唇を重ねてくる。あまりにもわかり易すぎる反応に、思わず苦笑が漏れた。
恐らくだが、彼女もどこかで仲直りを望んでいたのだろう。オークションの結果は、そのきっかけになった……そう思うことにした。
「サーシャは、俺より金のほうが好きなのか?」
少し悲しげに、拗ねたような口ぶりで問う。
「そうじゃないけど……この気持ちは、資金繰りに追われる零細企業の経営者をやってみたらわかるわよ」
サーシャは胸に顔を埋め、左右に小さくぐりぐりと押しつけるようにしてから、見上げてきた。切れ長の美しい瞳に、俺の顔が映り込んでいた。
「お金の心配をしなくて良い。そのことが、どれだけ幸せな事か」
そう言うと、再び唇を重ねてくる。
「ごめんね、面倒な女で。ついカッとなって、謝りたいたのにあたし……意地っ張りだから。いつもこうやって来てくれるレイにいつも助けられてる――感謝してるんだから」
サーシャから漂うシャンプーの香り、密着した身体の柔らかい感触、全てが愛おしくてそのまま抱きしめ、引き寄せる。
「今日は外で食事をしよう、何が食べたい?」
耳元でそっと囁くと、サーシャはむずがゆそうに顔を動かし、小さな声で返した。
「レイの好きな物」
食事に誘っておいてなんだが「何でもいい」と「あなたの好きな物」と答えられるのは、案外困るものなのだ。
「ラーメン……チャーハン……」
ぼそっと、言葉が漏れた。そういえば、こっちに来てからラーメン食ってねぇな……いちど意識してしまうと、無性に食べたくなってきた。
「わお! ラーメンヌードルね! フライドライスもいいわね……太りそうだけど」
「大丈夫、食べた後でしっかり運動すれば……ね」
腰を抱き寄せるようにして、下半身を密着させる。
「スケベ……」
耳元で小さく漏れたサーシャの声が、たまらなく可愛くて、とても艶っぽかった。
そうと決まれば、さっそくタウンネットワークで口コミ情報を検索。しかし初めての街、いまいちよく分からない店が多い。ここは兄弟分の、オザワに連絡を取ってみることにした。
「すまないね、えーっと……」
「ゲンと申します、レイさん。こっちの金髪はテツ。まだ駆け出しですが、地周りであちこち顔を出してますので、街の案内はお任せください」
結果、事務所を訪ねたときに顔を合わせたあの角刈り傷顔の男と、金髪の若い男。二人が車でエスコートしてくれることになった。
「アメリカ系の女性にはトンコツが人気と聞きやすが、どうしやしょう」
ゲンが後ろを振り返り、サーシャを見て顔を赤くする。
「トンコツいいわね、レイは?」
「ああ、サーシャに任せる。とにかくラーメンなら何でもいい気分だ」
「じゃあ、とびっきり濃いやつ。泡立つポタージュ系ね」
ゲンは大きく頷き、「なら決まりだ」と前を向くと、金髪に店の名前を告げた。
「テツ! イッツーだ」
「がってん、アニキ」
暖簾をくぐり、ゲンが開けた扉を抜けて店内に入る。コンクリートの床に施された緑の塗装が、少しねちゃっと音を立てる。豚骨ラーメンの脂のせい……そんな前世で流行った昭和レトロ感満載のラーメン店に案内された。
「ラーメンの起源、ジャパンの昭和時代をイメージしたコンセプトショップですぜ」
『いらっしゃいませー、空いてるお席にどうぞ』
少し高めの女性の声が出迎える。いわゆる、アニメ声だ。
「こいつはまた、随分と本格的だな。出迎えの声以外は……」
「ああ、あれはジャパニフード系の店でよく使われる“カンバンコムスメ”というヴォイスロイドです」
思わず漏れた言葉に、すかさずテツが応えてくれた。
店内には一〇人分のカウンター席と、四人掛けのテーブルが四つ。そのうちの一つに腰を下ろすと、テーブルの上には割り箸、胡椒、辛子高菜の壺、すりおろししたニンニクが置かれていた。
テーブル席にホロパネルが浮かび上がり、メニュー名と写真、説明、材料、価格、成分、カロリー、さまざまな情報が表示されていく。そのメニューの上部に、小さくデフォルメされたに二頭身のメイドが現れた。
『いらっしゃませ、ご主人様。ご注文は、メニューパネルをタッチしてくださいね♡』
気のせいか、日本の文化が間違えて未来に伝わってる気がする……いや、まてよ。間違えてはいないのか、妙な混ざり方をしているだけで。
「あたしはこれ! ド・トンコツ・イッポンシオに、煮玉子とチャーシュートッピング」
豚骨塩? ふむ、なるほど……そういうものもあるのか。トンコツだけでなく、鶏ガラや魚介系とのハイブリッドスープなんてのもあって、なかなか先進的なラーメン屋だ。
「よし、ならアリアケトリとトンコツのハイブリッドスープに、黒マー油と煮玉子だな。あと、チャーハンと餃子」
「あ、ギョーザいいね、あたしも頼も! ニンニク抜きで」
『かしこまりました! 心を込めておつくりしますね♡』
なんだかなぁ、ラーメン屋でこれは少し違和感がある。
「なあ、ゲンさん。今時のっていうか、ケレスのラーメン屋って、どこもこうなのかな。なんかこう……」
気を利かせて少し離れたカウンターに座っていたゲンが、呼びかけに応じて振り向く。
「そうですね、ジャパン系のラーメン店はたいてい……あ、そうだ、ひょっとしてアッチですかい、頑固イッテツ系」
「やっぱあるんだ、『へい! らっしゃいっ!』っていう店」
「まあ、あるにはあるんですが……なんせガンコ系の店は、いろいろとローカルルールがうるさくて」
ゲンは頭を掻き、眉をしかめる。
「スープと麺と、食べる順番を間違えただけで追い出されたり、二分手を止めただけで『冷めたらまずくなる』って強制的に下げられたりで、面倒なんですわ」
「そ、そうなんだ……」
まあ、日本文化としてはあるにはある。間違ってはいないが……世界が一つになったことでありきたりな部分は埋没し、極端な一面だけが切り抜かれて残ったのだろう。
「ええ、一見さんにはおすすめしやせん。アッシらも全ての店のルールを把握しているわけじゃありやせんので。とにかく、あっちはそういう雰囲気を楽しむ店なんで、その、容赦がなくて」
そのとき、ひらひらのレースで縁取られたメイド服を纏い、胸元はハート型にくり抜かれ、谷間がくっきり見える美少女メイドが料理を運んできた。
サーシャの元に向かったのは、同じくメイド服を着ているが、胸板はぺったんこ。超ミニで薄いパンツが丸見えで、股間部分には棒のようなシルエットが浮き出ていた。
「おぉっ! 男の娘! 尊い! 尊すぎる!」
サーシャは声を弾ませ、無邪気に大はしゃぎしていた。
「ねぇ、レイ。男の娘ドール、買ってもいいかな?」
「そりゃ、好きにすればいいけど……それって、ドールも交えてスルってこと?」
言った瞬間、サーシャの顔がボンッと真っ赤に染まる。
「んなわけないでしょ、何言って……!」
そう言って俯くと、両手を太ももの上で強く握りしめ、わなわなと震え出した。
「レイ……想像したでしょ」
「ま、まあね……」
「殺ス……後で覚えてなさい……」
低く殺気の籠った声が、俯いたままのサーシャから発せられた。カウンターの二人にも聞こえたのか、おもわずサーシャを凝視して、立ち上がった時には少し前かがみになっていた。
ちなみに、ラーメンは抜群に美味しかった。もちろん餃子もチャーハンも。すべて培養肉やプラント栽培、宇宙環境に最適化された遺伝子改造しまくりの食材なのに、かつての天然素材よりも遥かに美味しい。
宇宙世紀、おそるべし。
それよりも、サーシャの新たな一面を見られてとても充実した一日だった。あとはまあ、船に帰ってからそっと抱きしめ、キスでもすれば機嫌を直すだろう。
男の娘ドールか……ちょっと、調べてみよう。
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