第45話 若頭のオザワ
クレーターに覆われた茶色い地表に、青みを帯びて明るく輝く巨大な穴――宇宙空間に露出した塩の塊。
火星と木星の間に広がるアステロイドベルト。ほかの小惑星帯と区別するため、メインベルトと呼ばれる宙域だ。その中で数百万といわれる天体のなか、最も大きな準惑星がこの星、ケレスである。
豊穣の女神の名を冠し、地中深くに海を抱えるケレス。ハルの説明によると、そこからは今も塩水が地表に湧き出しているらしい。
「ケレスSTC。こちらPMCの武装船ムラサメ。識別番号:Z4S-SA-0011。遭難していた三納一家のタキイシという男を救助、送り届けに来た。入港の許可を願う」
「ムラサメ。こちらケレスSTC。傭兵さんかい、入港を許可する。三納一家の件は問い合わせているところだ。MZ721ドッグへ誘導する、ガイドに従って入港してくれ」
通信パネルを通じてケレス宙域管制室と交信、入港許可と同時に操舵パネルに青くガイドラインが引かれ、指定されたドックへの航路が表示される。
「航法システムリンク、自動操縦オン。モニターします」
速度制限、衝突注意、進入禁止――次々と警告がポップアップし、その中をムラサメは滑るように進んでいく。眼前には、百を超えるシリンダー型コロニーが連結され、人口五億人の巨大な都市を形成する巨大なスペースコロニー。
その外周を覆うのは、まるで貝が殻を開いたかのような形をした巨大なソーラーパネル群。無数の板が太陽の方角に向かって整然と並び、金属の海のように光を反射していた。
「すごいな……」
ソーラーパネルにムラサメの姿が映りこみ、光の乱反射が幻想的な絵画のような景色を描き出す。長さ二〇キロを超える巨大な人工天体が、百本以上も束になって連結されている光景は、まさに圧巻だった。さらに、その束の前後には、円盤型の巨大建造物が挟み込むようにして繋がっている。すべてのコロニーと中心軸で結合され、その巨大な円盤の外周がゆっくりと回転していた。
ここは、コロニーの暮らしを支える心臓部。宇宙港としての機能はもちろん、船乗りたちが集う繁華街や歓楽街、他国では決して許されない違法改造屋が軒を連ねる整備区画に至るまで――宇宙船乗りにとって必要なものは、コロニーに降りることなくすべてここに揃っていた。
「ほんと綺麗……これがマフィアの根城だなんて、信じられないくらい」
サーシャは席を立ち、ブリッジの透明な窓に両手を添える。視界いっぱいに広がる巨大な人工建造物を、子供のような目で見つめていた。
「確かにマフィアの支配下ではありますが、彼らは法と暴力で秩序を保ち、一つの共同体として住民を束ねて暮らしを守っている。共和制国家と呼んでも、差し支えはないでしょう」
ハルの声が柔らかく響き、サーシャの感想を現実の話へと引き戻した。
「けどやっぱり怖いわよ。今でも本当に信用していいのか、不安があるわ」
振り向いたサーシャを安心させるよう、柔らかい笑みを向けて言う。
「組員を救助した恩人を、いきなり騙し討ちにする……なんてことはないだろう」
マフィアは無法者の集まりだ。だが、だからこそ道徳を説き、義理や仁義、人情といった世間体を大事にする。それをなくせば、ただの破落戸だ。
暴力は、明確なルールの上で振るわれてこそ力になる。手当たり次第に振り回すような奴は、人心を失い、孤立する。そうなれば、さらに大きな暴力に呑まれて粛清されるだけなのだ。
「そうね。ただの乱暴者が、この巨大都市を運営できるわけがないもの」
「そういうことだ」
サーシャは頭がいい。話せば理解してくれる。そこへ、ハルの声が落ちてきた。
「キャプテン。三納一家のワカガシラ、オザワという人物から管制室経由でコールが入っています」
よし来た。ワカガシラといえばナンバーツーだ。
「繋いでくれ」
ブリッジ前方のメインパネル左下に通信ウィンドウが開き、四十代ほどの男の顔が映る。切れ長の冷たい目をした男だった。
「三納一家ワカガシラ、ジン・オザワだ。ウチのタキイシを助けてもらったそうだな。かたじけない、礼を言う」
「ムラサメのキャプテン、レイ・アサイだ。成り行きでね……助ける力があるのに見捨てるのは、後味が悪い」
「相応の礼はさせてもらう。ドックに迎えを寄越すから、詳しい話は顔を合わせてからで――よろしいな?」
「ああ、結構だ」
「いずれにしても、まずはタキイシの無事を確かめ、話を聞いてからだな……客人、ケレスコロニーへようこそ。歓迎する」
短いやり取りを残し、通信は切れた。
「……なんか、上からよね。嫌な感じ」
サーシャが頬を膨らませ、不満げに睨んでくる。
「まあ、そう言うな。あっちにも面子ってもんがある。俺みたいな若造に、下手に出られるわけないだろ」
そんな会話をしている間にもムラサメはオートパイロットで進み、無事にドックへ接舷して船台に固定された。
「船体の固定を確認。外部電源接続、電圧安定。外部電力へ切替完了」
「よし、全エンジン停止」
「了解。主機、補機全停止。ムラサメ、オールストップ」
ブリッジに静寂が訪れる。
「ねえ、レイ。迎えが来てはいるんだけど……ちょっと凄いわよ」
外部モニターに映るのは、黒塗りのロングリムジン。その前後を固める高級セダン。
「ま、まあ……歓迎すると言ってくれてたし、大丈夫だろう」
一三人の黒服に真っ黒なサングラス、左右に六人ずつの二列、真ん中に一人……まるでヤクザ映画の出迎えシーンじゃないか。
「どんな手を使ってでもムラサメに戻りさえすれば、不肖このハルが、田舎ヤクザごとき――まとめて消し飛ばしてご覧に入れます」
「こら。田舎ヤクザなんて言うな」
そういう言葉は、たとえ陰で思っているだけでもふとした拍子に態度や口ぶりに出てしまう。相手を侮る気持ちは、どれほど抱いたとしても口にしてはいけない。まして、いまから挑むのは交渉の場なのだから。
「ねえ、やっぱり……あたしも行く」
「サーシャ、それは……」
サーシャがキャプテンシートの横までゆっくり歩み寄る。「だめだ」と言いかけた唇を、人差し指で止められる。
「クラフトン商会の代表はあたし。あなたは出資者ではあるけれど、非常勤の役員にすぎない。そしてこれは、ウチの商談よ」
口元には柔らかな笑み。しかし瞳は真剣そのもの――覚悟を決めた女の眼だ。ここまで腹をくくられてしまえば、もう止めようがない。
「レイ……ちゃんと守ってよ」
「あぁ、わかった」
差し出されたサーシャの手を握ると、軽く引かれて立ち上がる。彼女と向き合い、大きく頷いた。
「ハル、船を任せた。行ってくる」
「はい。お戻りをお待ちしております」
ブリッジを出て廊下を進み、ゲストルームに軟禁していたタキイシを迎えにいく。武器は腰のホルスターに実弾の拳銃、予備の弾倉は四。重装備をしたところで囲まれれば意味はない。ただ、体裁を整えるために持っていくだけだ。
「キャプテン。そちらの美人は?」
「クラフトン商会代表取締役社長。俺のボスで、婚約者のサーシャだ」
タキイシは目を丸くして口笛を吹き、わざとらしい仕草で驚いてみせると、すぐに真顔に戻った。
「三納一家、若頭補佐。エイイチ・タキイシだ」
「クラフトン商会代表、サーシャ・クラフトン。よろしく」
差し出された右手を、サーシャは強い視線を返しながらしっかりと握り返した。
「すげえ美人だな、キャプテン。いい趣味してる。情に厚そうな女だ……ただ、気が強いのが難点か」
「まあな」
タキイシが小声で囁いた瞬間、サーシャの肘が脇腹に突き刺さり、思わず息が詰まった。それを見て楽しげに笑うタキイシを、サーシャが鋭く睨みつける。
男同士で目が合い、互いに肩をすくめた。
船外ハッチを開け、エレベーターで地面に降りる。先頭にタキイシ、その後ろをサーシャと並んで続いた。左右に六人ずつ、一二人が整列し、中央には通信モニターで見たワカガシラのオザワが立っている。
タキイシはオザワの前まで進むと、両手を膝について頭を下げた。
「カシラ……申し訳ねぇ。一人だけ無様を晒して帰ってまいりやした」
オザワは剃刀のように冷たい目を細め、こちらを一瞥してから視線を落とす。
「よく帰った。おやじがお待ちだ。まずは無事の挨拶を済ませろ。話はそれからだ」
「へい……」
深く頭を下げ、背筋を伸ばすと、タキイシは俺たちへ視線を向けた。
「脱出ポッドを拾ってくれた恩人。サルベージャー、クラフトン商会代表のサーシャ社長と、その婚約者でこの船のキャプテン、レイ艦長です」
「通信でも話したな、キャプテン・レイ。そしてサーシャ社長。この度はウチの者を助けていただき、感謝する。ありがとう」
オザワは両手を体の横に真っすぐに添え、静かな所作で頭を下げた。
「いやいや、頭を上げてください。宇宙船乗りとして当然のことをしただけです」
「それは違うぞ、キャプテン。稼業者だと知ったうえで助けるなんて、そうそう出来ることじゃない。とにかくここでは何だ、もてなしの席を用意してある。車に乗ってくれ」
促されるまま車に歩み寄ると、列の最後尾にいた男が駆け寄り、ロングリムジンの扉を開けた。重厚な皮張りのシートが向かい合わせに配置され、俺たちは奥の席へと案内された。
「すごい車ね、レイ」
「ああ。そうそう乗れるもんじゃないからな」
「なんだか重役になった気分」
そう言って足を組み、シートに深く沈み込む。ちなみに、今日のサーシャはパンツスーツ姿である。
「重役も何も、社長じゃないか」
「うるさいわね。気分の話をしてるのよ」
そのやり取りに、向かいのタキイシが吹き出す。横に座る強面のオザワの口元も、わずかに緩んだように見えた。
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