第42話 社の重役として
知らない天井だ……。
西日が差し込み、壁紙を橙色に染めている。重力のある部屋で目を覚ますのは、何日ぶりだろう。そうだ、ここはサーシャの家で――お父さんのベッドに寝ていたんだ。
喉が渇く……。
ゆっくりと身体を起こし、ベッドの端にすわると「よいしょっ」と掛け声をかけて立ち上がった。
……重い。身体って、こんなに重かったか?
ムラサメの中では、毎日のようにプログラムに沿ったトレーニングを欠かさない。無重力や低重力の生活では、筋力の衰えがすぐに進むからだ。数百年にわたる研究で、宇宙で暮らすためのノウハウも、身体機能を維持するための機器も整っているはず。おまけにこの身体は、チート級の人造人間なのだ。
それでも、やはり、重力と無重力の差を完全に埋めることはできないらしい。そう考えたら、まったく疲れも見せずに飛び出していくサーシャは凄い。
廊下に出てリビング兼ダイニングへ向かう。テーブルの上にはハンナの置き手紙。掃除を終えて帰ったらしい。冷蔵庫からアイスコーヒーを取り出し、グラスに注ぐ。ほろ苦さと香りが鼻を抜け、冷たい液体が乾いた喉を潤した。
「ただいま! レイ! ハンナ!」
玄関から弾む声が飛んでくる、サーシャが帰ってきた。
「ハンナさんは帰ったよ。俺は少し寝てた」
「そう」
バタバタと足音を響かせ、両手いっぱいに荷物を抱えたサーシャが部屋に入ってくる。
「こんなことなら、レイを連れて行くんだった。やっぱ荷物持ちって必要だわ」
「友達と会うならいないほうがいいさ。ポーターを使えばよかったのに」
ポーターは四脚歩行の荷物持ちロボットだ。大きなカゴに買い物袋をいれて運んでくれるシェアサービス――レンタサイクルに近い仕組みで、利用料も安い。ずっと後ろを家まで付いてきて、利用終了のボタンを押すと勝手に近くのステーションまで帰っていくという便利さだ。
「それもそうね、忘れてた。あはは!」
笑いながら、サーシャは荷物をソファにがさがさと置いた。
「髪を切ったんだ」
腰まであった長い髪が、後ろは肩甲骨の下あたりで途切れていた。前から見ると、鎖骨の少し下で胸にかかっている。ゆるやかなウェーブは、その輪郭をはっきりとさせていた。
「うん、どう?」
サーシャは左手を腰にあてて、右手でさらりと髪を流し、得意げにポーズを決める。
「前は“ザ・大人”って感じの色っぽい美人だったけど、少し軽くなって雰囲気が明るくなったね」
「でしょ!」
そう言って両手をぎゅっと握り、身を乗り出すように笑った。
「例の件があったからさ、みんな口をそろえて大変だったねって言うのよ……なんか辛気臭くてね。気分転換に、イメチェンしたの」
「お色気美人から、活発そうな美人お姉さんになった」
一瞬きょとんとした顔でこちらを見て、目元を緩めながらサーシャが歩み寄ってくる。俺の唇に人差し指をあて、首を傾げて囁いた。
「どっちにしても、美人なんだ」
「うん。サーシャは綺麗だよ、間違いなく」
その言葉に、顔から耳まで真っ赤に染めて俯く。漫画のみたいに、ボンッと音が聞こえそうだ。
「あんた……褒めるの上手いんだから。レイのくせに。いったいどこで覚えてきたんだか」
そう呟き、指を唇から離すと、軽く胸をとんと突いてから、ソファにおいた荷物を手に取る。
そりゃそうだ、こちとら中身はおっさんだぞ。初めて男女の付き合いをするような、そこらの若造とは年季が違う。
「そうだ、これ。開けてみて」
差し出された大きな箱。
「う、うん」
胸に押しつけられるように渡された箱をテーブルに置き、ゆっくり開ける。中には黒いスーツの上下。続けて、サーシャが横に袋を置いた。中にはシャツやネクタイ、ハンカチが収まっている。
「ウチの役員なんだから、こういうのも必要でしょ。持ってなかったじゃない」
「サイズとかあるんじゃないの? 一緒に行かなくてよかったのかな」
「ハルにデータ送ってもらったから大丈夫。今どき採寸なんて、雰囲気を楽しむ金持ち向けの高級店くらいよ。結局はスキャンしてデータ取るんだし」
そう言いながら冷蔵庫を開け、大きな牛乳ボトルを取り出すと――そのまま口をつけて豪快にラッパ飲み。
……なるほど。あの胸は、こうして育まれたのか。ハルに言わせれば「牛乳とバストサイズに相関は確認されていません」なんて即答されそうだけど。
「なにしてんの?」
牛乳のボトルを冷蔵庫に戻したサーシャが、苛立ちを隠さずこちらを見ていた。
「ん? なにが?」
女心と秋の空とはよく言ったもので、コロコロと変わる気分は掴みどころがない。
「服を買ってもらったら、まず着てみせるんじゃない?」
「あ、そっか。じゃあ着替えてくる……」
「いいわよ、ここで着替えなさい。見ててあげるから」
呆れたように近づいてきて、服を脱がせようとする。
「大丈夫。自分で着替えられるって」
「そう? じゃあ早く見せてよ、レイのスーツ姿」
サーシャはソファに腰を下ろし、にやにや笑いながら待っている。
視線を浴びながらシャツに袖を通し、ネクタイを結び、ズボンと上着を整える。美女に見つめられながらの生着替え――新しい何かに目覚めそうな気がする。
「似合ってるじゃない」
サーシャが立ち上がり、挑むような眼差しで近寄ってくる。そのままネクタイを掴んで引っぱられ、互いの鼻先が触れるほどの距離で囁かれた。
「やっぱ、レイっていい男だね」
唇が重なり、隙間から舌が忍び込む。口を開けて受け入れた瞬間、そのままソファに押し倒された。
「ちょっと……シワになる」
「バカね、そのスーツ高かったんだから。形状記憶繊維に決まってるでしょ」
息を荒げ、互いの体温と鼓動を確かめ合う。そのまま二人の時間は、夜の訪れとともにゆっくりと深まっていった。
――しばらくして。
「レイ! お腹すいた」
「え? 何か買ってきてないの?」
「知らない!」
「まったく……ちょっとそこのコンビニに行ってくる。なにがいい?」
「あたし、サーモンのクリームパスタ! なかったら、とにかくクリーム系のパスタ。あと甘いもの適当に。明日のパンも忘れないでね」
サーシャは裸のまま布団にくるまるようにして背を向けて、お尻で押すように俺をベッドから押し出した。
そして翌日――
「それでは、会議を始めさせていただきます。本日は社長と、当社がチャーターしているサルベージ船ムラサメのキャプテンであり、役員でもあるレイ・アサイ氏にも同席頂いております」
クラフトン商会の一室で会議に出席していた。若い管理職と思われる男性社員からの視線が、どこか鋭く、怖い。
「議題は『他のサルベージャーからの持ち込み受け入れについて』です。工場長、お願いいたします」
指名されたグリムが立ち上がり、軽く一礼して口を開いた。
「はい。他社からの持ち込み品の受け入れについてですが、大きく三つの柱で進める計画です」
グリムが言った三つの柱、この工場を生かすための新しい方針について説明がなされた。
一つ目は、工場を持たないサルベージャーが回収したスクラップやデブリを分別・再生処理する事業。材質を分離してインゴットなどの再利用素材に戻すほか、レアメタルなど希少素材も取り出す。その処理代金を徴収する仕組みだ。
二つ目は、持ち込まれたスクラップやパーツを直接買い取る事業。買い取ったものは商品にして売らねばならないため、販売営業部門も同時に強化する。
三つ目は、パーツの再生・修理事業。現在この工場に修理機能は無いが、前社長が空きスペースを確保していたため、ここに設備と整備ロボット、AIを導入すれば修理が可能になる。ただし、メーカー毎の整備ライセンスを取得し、修理ごとに技術料を支払う必要があるため、初期費用はかかる。
とはいえ、前世のように熟練のエンジニアがいなければどうにもならないわけではない。AIと機械、制御システムさえ揃えば、あとは整備工程のロボットラインを作るだけ。資金次第で実現可能な計画だ。
「グリムに工場のことは任せます。お金が必要なら言ってちょうだい。それがあたしの仕事だから、遠慮はいらないわ。コバヤシや他の皆も、グリムを助けてね。これを機会に会社を変えるのよ」
サーシャの言葉が会議室に響き、皆の視線がグリムに集まる。その流れを受けて、口を開いた。
「我々はメインベルトで得られた兵装などを、直接ケレスで販売することを考えています。工場独自の利益と、ムラサメがメインベルト内で生み出す利益――合わせれば、今までとは比べ物にならない額になるはずです」
グリムとコバヤシ、そして他の従業員も大きく頷く。若い従業員たちがこちらに向ける厳しい視線は、きっと嫉妬だろう。
サーシャは子供の頃からずっと、この会社のマスコットのような存在だった。そしてこの美貌。少なからず女として意識していた社員もいただろう。それを、どこの馬の骨とも知らぬ船を持った金持ちがさらっていったのだ。しかも新入りでありながら、会社の屋台骨を支える重役として――。
まあ、それでも、彼らは決してバカではない。男としての心情は別として、頭では理解しているはずだ。
少しずつ暮らし向きが良くなれば、おのずと関係もよくなっていく。この会社の皆が笑って暮らせるようになれば、それがそのままサーシャの幸せにもつながる。
重苦しかった会社の空気が、前を向いたものに変わりつつあるのを感じた。
皆さんの反応が、創作のモチベーションに繋がります。
面白い、もっと続きが読みたいと思っていただけたなら、ぜひブックマークや☆での応援をお願いします。




