第39話 意地っ張り
メインベルト――そう呼ばれる小惑星帯には、数百万の小天体が漂っている。長さ百メートルに満たない小天体ですら、その成分によっては国家予算数年分の価値を持つ。
いずれの国の支配も受けず、国際条約も存在しない。すべては民間の自由競争に委ねられた、広大な無法の宙域。
力なき者は淘汰され、強者だけが莫大な富を得る。そこは、人類最大の資源の宝庫にして、冒険と死が背中合わせに在る修羅の領域だった。
「ちょっと待って! レイ!」
「サーシャ、どうした?」
出港準備に追われるブリッジに、切迫したサーシャの声が響く。ムラサメはサルベージャーとして回収した資材を満載し、クラフトン商会の工場へ戻るためにJTOの宇宙港からの出港準備に追われていた。
先日の戦い、ZEIとマース帝国企業の衝突。M型小惑星をめぐる争奪戦で勝利を収め、撃破した敵船から兵装、装甲板、電子モジュール、パワーユニット……積載容量が許す限り、船の残骸を積み込んだ。特に、マース帝国軍仕様のコルベットを一隻丸ごと鹵獲できたのは大きい。
おかげでカーゴスペースはすでに限界だ、人ひとり通る隙間すら残っていない。
「薬を……買い忘れたの……」
顔を赤くして俯くサーシャ。一体、なんの薬だろうか。
「ん? どこか具合でも悪いの?」
「違う……」
輸送員席に座ったまま、太ももの上で指を組み、もじもじと落ち着かない。
「ピルですね、サーシャ」
ハルは普段通りの声で、さらりと言い放つ。
「もう! ハル! あなた、ほんとデリカシーがないわね!」
「私はAIですから、心の機微には疎くて当然です。それに……今さらです、サーシャ」
「な、なんですって!」
サーシャとAIのやり取りを聞きながら、深くシートに座り直す。両肘をアームレストに置き、背もたれに体重をゆったりと預ける。
「まあまあ、両方とも待って。避妊薬はちゃんと発注してあるから」
「さすがキャプテン。吐き出すだけでなく、受け止める母体のことまで心配するとは、それでこそ紳士の鏡です」
「いやまあ……」
褒められてるのか、けなされてるのか。なんとも微妙な物言いに、複雑な気持ちをごまかすように頭を掻く。ふと、サーシャに視線を向けると、なぜかすごい目で睨まれていた。まったく意味が分からない。
「それに引き換え――サーシャ。あなた、本艦の輸送員ですよね。搬入される物資のチェックは、あなたの仕事ではなかったのですか?」
「そっ! それはそうだけど、いつもはハルが……ごにょごにょ」
何か言い訳しようとしたようだが、声は次第に小さくなり、最後は聞き取れなくなった。
「もう! 覚えてなさいよ! レイ!」
そう言うと、物資の一覧をパネルに表示させ、確認し始めた。
「安心してください。ピルは確かに納品され、医務室に保管されています」
その一言がダメ押しになったのか、すっくと席を立ち、ふわりと浮き上がったかと思うと……そのまま出口へ。扉が音もなく開くと、そのまま出て行った。
サーシャの後ろ姿を見送った後、天井に視線を向けて肩をすくめる。
「ハル、サーシャを煽るのは勘弁してよ」
さすがに今のやり取りは意地が悪い。
「サーシャは女の子の日です」
「なおさらじゃないか」
「ええ……しかし、彼女が怒った時の仕草が可愛くて、つい」
まあ、気持ちはわからなくもない。
後で様子を見に行こう。肩を抱いて甘い言葉をひとつ囁き、最後に軽くキスをしてやれば元に戻るはずだ。
「とにかくここを出ようか。カリストの工場に帰らなきゃ」
「はい。全ての準備が整っています。出航シークエンスを開始します」
メインモニターに、艦のステータスウィンドウが次々と立ち上がる。
「よし、APU始動」
艦内に電力を供給し、メインエンジンを始動する動力を確保する補助動力、核融合エンジンが始動する。
「APU出力最大。電源、自立運用に切り替え完了。全システム起動、電力安定。外部電源ケーブル、パージ」
ハルが淡々と手順を告げる。
「メインエンジン始動」
ムラサメが低い唸りを上げて、僅かに船体が揺れる。
「メインエンジン始動確認、パワーモジュール出力、一◯◯パーセント到達」
船体の振動が収まり、ブリッジに静けさが戻る。
「TOSTC、こちらムラサメ。識別番号Z4S-SA-0011。出航許可を求む」
通信パネルを操作し、港湾管制局に出航を申請する。
『ムラサメ、識別確認。フライトプラン承認。出航を許可する。港湾内は混雑中だ、注意してくれ。ガイドに従うこと、指定速度厳守だ』
「了解。混雑に注意する」
JTO宇宙港は大半が露天係留式。艦は係留装置に固定されたまま、ゆっくりと縦方向に回転を始める。ブリッジの窓を埋め尽くす三機の連結スペースコロニーが視界いっぱいに広がり、次第に景色が流れ始める。宇宙港に係留された他艦や係留架台、光を反射する港湾構造物が次々と視界を過ぎ去った。
こうして艦を縦方向に180度回転させることで、真っすぐに、かつスムーズに出港できる。上下が反転する独特の動きは、宇宙港ならではの出港方法だ。
『係留解除』
「係留解除。確認よろし」
回転を終えた艦は、静かに係留装置から切り離され、港湾宙域へと滑り出す。光を反射する艦艇群を左に見送りながら、広がる暗黒の宇宙にむけてゆっくりと動き出した。
「両弦前進、最微速。ムラサメ、テイクオフ」
『ムラサメ、お気をつけて』
「航法装置、リンク。自動操縦です」
出港を終え、ハルの柔らかい声が天井から降ってくる。目の前の操舵モニタには、管制局から送られた青いガイドラインが光り、線に沿って艦が滑るように進む。
「ハル。シールド展開。港湾宙域を抜けたところで兵装チェック」
「了解、間もなく港湾宙域を離脱します」
ジュピター協商連合の拠点であるJTOには、多くの武装船が集結している。ここを襲撃する敵はまず考えられないが、追跡を受けながら逃げ込んでくる船は稀に存在する。管制宙域内で戦闘準備を整えておくのは、メインベルト航行の慣例だった。
「港湾宙域を離脱。ARES起動します」
メインモニターに戦闘関連のウィンドウが次々と立ち上がり、ブリッジの装甲版がせり上がる。透明窓は塞がれ、カメラ越しの視界に切り替わった。
「FCS(射撃管制)、WDS(火器管制)、CIWS(近接防御)、各システム異常なし」
キャプテンシートの前に、主砲の射撃管制・照準画面が浮かび上がる。しばらくしてJTO管制宙域を抜け、艦はメインベルト──無法の宙域──へと踏み出した。
目的地は最も近いジュピトル協商連合の勢力圏、クラフトン商会の工場がある衛星カリストだ。
「ARES即時待機。サーシャを見てくる」
「了解しました。何かあればお知らせします」
「ああ、頼む」
席を立ち、ブリッジを後にした。廊下のバーを握り、滑るように移動する。居住区画へ向かい、サーシャの部屋の扉をノックした。
「サーシャ。大丈夫か?」
二呼吸ほど待つと、静かに扉が開いた。目の前には、下を向いたまま立ち尽くすサーシャがいる。
「具合はどう? 少しは休めたかな」
ゆっくりと、できる限り優しい声をかける。顔を上げたサーシャの瞳から涙があふれ、首に抱き着くように体重を預けてきた。
「レイ。ごめんなさい。ひとこと『ありがとう』って言えばよかっただけなのに。私、意地を張って勝手に怒り出して……」
肩に顔を埋めるようにして、謝罪の言葉を口にするサーシャ。レイはそっと抱きしめ、指で髪をすくようにしてゆっくりと頭をなでる。
「あれはハルの意地が悪かった。それとサーシャ、君は疲れてるんだよ」
サーシャの腕の力がギュッと強くなる。
「君は責任感が強くて、とっても優しい女の子だ。だから、何もかも背負い込んで……心が疲れてしまったんだ」
鼻を啜る音が返ってくる。
「だけどもう大丈夫。ハルがいて、この船があって、俺もいる。もう一人で背負わなくていい。すぐには無理だろうけど、少しずつ……その重荷を下ろしていけばいい」
「だけどあたし。子供みたいに我儘で、あなたの前だといつもあまえてばかり。迷惑ばかりかけて……面倒な女でしょう?」
言葉を遮るようにサーシャの肩を持って体から引き離し、まっすぐ泣き腫らした目を見つめる。静かに唇を重ね、言葉を塞ぐ。
唇を重ねたまま、ゆっくり口を開けて受け入れるサーシャ。長いディープキスの間、鼻息や微かな震えから、彼女の心が少しずつほどけていくのが伝わる。
目元を少し緩め、しっかりと彼女の瞳を見つめながら、静かに言葉を紡ぐ。
「そんなサーシャが大好きなんだ。俺も、そしてハルも。大丈夫、何があっても君を守る、ずっと傍に居る。だから君は君らしく、いつも通りでいいんだ」
サーシャは下を向き、口元をかすかに緩めて小さく呟いた。
「……一〇〇年早いわよ」
「ん?」
「だから、あたしを守るなんて、一〇〇年早いって言ってるの。レイのくせに」
そう言って顔を上げると、口角をわずかに吊り上げ、挑むような視線を向けてきた。
「一〇〇年も経ったら、俺、死んじゃうよ?」
眉をハの字にして、わざとらしく困った表情を作ってみせる。
「ぷっ……あはははは。そうだね」
二人は釣られるように笑い合う。サーシャの自然な笑顔が戻ったことに、胸の奥がじんわりと温まった。
「じゃあ、もう少し。部屋で休んでいるといい」
立ち去ろうと踵を返すと、右手を強く握られた。
「いいえ、ブリッジに戻る」
強い意志を感じる眼差し――いつものサーシャだ、間違いない。
「身体は大丈夫?」
「まだ仕事中だもの。この船には回収したパーツが大量に積まれているの、分類分けして工場で手間取らないように準備しないとね」
「そうか。では、参りましょうか――サーシャ姫」
おどけて大仰に礼をすると、サーシャは呆れたように笑って手を差し出す。その手を取って、二人で並んでブリッジへ向かった。
「ハル。さっきは……ごめんなさい」
ブリッジに入るなり、サーシャはまずハルへ謝罪の言葉を口にした。
「いえ、サーシャ。私も意地悪でした、こちらこそ申し訳ありません」
ハルが珍しく、謝罪の言葉を口にする。AIでありながら、この頃はどんどん人間らしくなっていく。
サーシャは驚いたように瞬きをし、それからふっと笑みを漏らす。
「……なら、おあいこね」
ブリッジに和やかな空気が戻る。
「それよりも、元気になって何よりです。やはり最高の薬は――レイとの口づけ、でしょうか」
いつも通りの優しい声音。だが、その一言でサーシャの頬は一気に真っ赤になる。
「な、ななな……何言ってんのよ! こ、こんな頼りない男。せっかく様子を見に来てくれたから、顔を立ててあげただけなんだからね!」
いそいそと輸送員席に腰を下ろし、次々と計器を立ち上げ始める。
「ですって、キャプテン」
ハルがどこかおどけたような声を、天井から落とす。
「サーシャ。僕の言葉じゃ、君の心には届かないのかな」
わざと悲しそうに呟いて、捨てられた子犬のような視線をサーシャに送る。
「……ちゃんと届いてるわよ。バカ」
耳まで真っ赤に染めながら、サーシャは小さく言い捨てた。
――俺たち二人、このごろはいつもこんな調子だ。避妊薬がなければ、いったいどうなることか……
「ちょっと、レイ! 毎日は無理だって、中一日は休ませてって言ってるでしょうがぁ!」
サーシャの悲鳴が居住区にこだまし、低重力の通路を枕が飛ぶ。目的地まで二週間。長い船旅は、まだ始まったばかりだ。
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