第29話 早すぎるフラグ回収
数えきれない星の光に囲まれているにもかかわらず、漆黒の闇が支配する宇宙空間。最初のうちは、星々を見てロマンだの何だのと楽しんでいたものだが──まあ、さすがに毎日同じ景色じゃ、飽きてくる。
そんな漆黒の闇の中、太陽の光を受けてキラリと輝く宇宙船。艶消しのダークグレーを基調に、正面と側面には黒の追加装甲。重厚なツートンカラーが特徴の戦闘艦……もっとも、こんな暗がりじゃ色の見分けもつかないだろうが。
艦首側面には、白い塗料で“MURASAME”と書かれていた。
カリストⅨを出て十日目。
「レイ。ほら、起きなって」
緩やかなウェーブがかった金髪に、切れ長の目じり。吸い込まれそうなスカイブルーの瞳と、ふわりと香る甘い香水──それと、嗅ぎ慣れた恋人の匂い。
目の前にいるのは、サーシャ。恋人でビジネスパートナー。絶世の美女……ただし座ると腹が段になる、デブまではいかないちょっと太め。むしろ、そこがいいんだけど。
結局、中二日の条件が守られたのは最初だけで、今じゃ二日に一度。あれだけ強気なことを言ってたくせに、簡単に折れてくれるあたり……可愛いやつだ。
「母さん。僕は今、最高に幸せです」
そう言って、サーシャの胸に顔をうずめる。
「なに寝ぼけてんのよ。あたしはあんたの母親になったつもりはないわよ? てか、実の母親とこんなことしないでしょ、バカ」
頭を思いっきり叩かれ、顔を上げた。
「もうちょっと手加減してくれてもいいでしょうに」
「うるさい! さっさと起きろ、この下衆男。ハルに有ること無いこと全部言いつけるぞ」
「いや、無いことはやめて……」
いそいそとツースーツの接続を外し、ブーツを引っかけるように履いて部屋を出る。
艦内の微弱な重力では、自然な体勢での密着は難しい。だが、そのために“ツースーツ”がある。薄くフィットする合成繊維は肌にやさしく、滑りも良く人の動作を妨ない。ダボっとした大きさがあるため、スーツの中でかなり自由な姿勢が取れるのもいい。
表面には微細な磁性繊維が織り込まれ、互いのスーツを吸い寄せ、くっつき、ベッドや壁、椅子などへの固定も可能にしている。
一定の距離まで近づけば、スーツ同士が磁力を帯びて“カチリ”と音を立てて接続される。互いに前面ファスナーを開けば、素肌同士の触れ合いも可能。接続されたツースーツの中で二人の身体は安定し、無重力の不安定さから解放されるのだ。
部屋を出たその足で浴室に向かい、簡単にシャワーを浴びる。さっと髪を乾かし、艦長室で身だしなみを整えた。出勤の時間だ。
居住区画を出た瞬間、天井からハルの声が降ってきた。
「キャプテン。緊急通報があります」
「ああ……って、緊急通報?」
手すりのハンドルをつかみ、引っ張られる慣性を利用してブリッジへ急ぐ。
「いつ受信した?」
「二〇分ほど前から継続して送信されています」
扉が音もなく開き、キャプテンシートに腰を落とす。
「どうしてすぐ報告しなかった?」
一拍の沈黙のあと——
「馬に蹴られたくありませんので……」
相変わらずのAIらしからぬ返しに、思わず吹き出しそうになる。
「すまん、ハル。気を使わせた」
軽く頭を下げ、背もたれに身体を預ける。
「内容を頼む」
「ジオ・カーゴ・オペレーターズからの通報です。鉱石運搬船が襲撃を受けているようです。戦況をモニターに投影します」
俯瞰映像とは別に、球形のホロパネルが浮かび上がる。量子レーダー、光学観測、通信傍受を組み合わせて生成された、敵味方の配置が分かる立体図だ。
「……輸送船三隻。護衛がたったの四隻か。やけに手薄だな」
「はい、キャプテン。敵は当初、両用型コルベット級四隻。その艦載機が四機。輸送船団の護衛はガンボート八隻、コルベット二隻の計十隻でした。ですが、すでに護衛の六隻が撃破され、襲撃側もコルベット一隻と艦載機一機を喪失しています」
「略奪というより、通商破壊のようだな。私掠艦の可能性が高いか……」
「さらに言えば、メインベルトを離れて木星への帰還ルートに入った直後。護衛が手薄になったところを狙われたようです」
メインベルトは、とりわけ危険度が高い。そのため、宙域内だけ追加の護衛を依頼していた可能性もある。
ムラサメが向かっている大型小惑星には、JTO(ジュピター交易前哨基地)が設けられており、そこを拠点にメインベルト内だけで活動する傭兵が数多くいるのだ。
「通信を傍受したところ、敵コルベットの内、二隻はクラッシャーというコールサインを使っています」
「なに? クラッシャーだって?」
まさか……あのナカノシマさんに教えてもらった賞金首かよ。さっそく、フラグ回収ってやつか。
「ちなみにですが、本艦は全速で戦闘宙域に向かっています。敵はこちらの存在に気付いたようですが、まさか戦艦砲があるとは思わないでしょう。射程外であるため、今のところ警戒する動きはありません。完全に不意を衝けます」
操舵パネルを確認すると、速力は第五戦速。カタログ上の最高速度だ。
「奇襲位置へ移動しています、主砲射程まであと三分。脅威識別、敵コルベットCO1からCO3、艦載機FB1からFB3、全目標ロックオン。射撃準備完了しています」
量子レーダー、熱源、磁気、光学の各センサーを駆使して敵艦を補足し、追尾している。球体の俯瞰モニターに宙域の情報が表示され、敵艦にロックオンマークが灯る。
「キャプテン。有効射程ギリギリからのレーダー照準砲撃で、CO2を仕留めます。」
ムラサメの主砲――有効射程は二〇EU。一二万八千キロ。地球と月との距離、その三分の一。ちなみに、巡洋艦クラスのレーザー砲だと、射程は半分程度だ。それだけ戦艦砲は出力の桁が違う。
「機動性がありそうだ、照準レーダーを照射したら回避されるかもしれんぞ」
光学センサーに連動したカメラは、スペースシャトルを大型化したようなシャトル型コルベットを捉えていた。見るからに軽快そうな船体だ。
照準用の火器管制レーダーを照射してから実際に砲の照準が合うまで、場合によっては数秒を要する。AI制御の戦闘艦なら、レーダー照射を受けた瞬間に自動で回避機動に移る。小型で機動性に優れる艦艇なら、そのタイムラグを利用して回避が成功する可能性も高い。
「既に光学および熱源による照準は完了しています。レーダーは最終補正のみに使用。発射までの所要時間、〇・二秒です」
主砲には複数の照準方式が用意されている。光学、熱源、磁場、慣性、そしてレーダー。中でも最も精密なのがレーダー照準だ。
レーザーは光速、撃った瞬間命中している。撃たれたら回避は不可能だ。可能性があるとすれば、ランダムな機動による先行回避か、照準を察知して射撃までのタイムラグで回避するか、できなければシールドで受け止めるしかない。
「そいつ、クラッシャーか?」
これは重要だ、確実にやれるならまず最初にクラッシャー(お金)を狙う。
「はい。クラッシャー・ツーと呼ばれている船です」
「了解。そいつは賞金五億だ」
この一言で、ハルの雰囲気が変わった。
「賞金首ですか! ふふふ……今後は“カウボーイ・ハル”とお呼びください!」
艦内に、得意げなAIの声が響く。姿がないぶん、余計にその調子が癪に障る。
「……いやだ」
間を置かず、短く言い捨てる。
「なぜですか?」
静かな艦橋に、少し寂しそうなトーンでハルの柔らかい声が落ちる。
そこへ、音もなくブリッジの扉が開いた。サーシャが入ってくる。
「サーシャ、早く席へ。戦闘が始まります。五億クレジットが二機います」
モニターに映されたシャトル型の船を見、ハルが言った五億が二機の言葉を聞たことで、ナカノシマが言ったあの話を思い出したのだろう。
「えっ! うそっ。兄弟そろってんの? 一〇億じゃない! やったわね!」
手を叩きながら椅子に駆け寄るサーシャ。頬が緩みきっている。
「宇宙を股にかけるバウンティハンター、カウボーイ・サーシャとは私のことよ!」
「全隔壁閉鎖します」
ハルの冷めたアナウンスが、サーシャの声にかぶせるように流れる。
「……」
お前もか、という視線をサーシャに向けてやる。こういう無邪気な残念美人は大好物なのだが……
「ふふん、あたしは運がいいわけでも、腕がいいわけでもない。顔がいいのよ。ラブリー・エンジェルよ!」
左手を腰に、右手を突き上げ、腰をくねらせて奇妙なポーズでアピールしてくる。
「……」
無言でじっと見つめる。残念な人を見る目というのは、今この瞬間の視線を言うのだろう。
「ちょっと、あんたたち、何とか言ったらどうなのよ!」
「主砲射程まで一分。ブリッジ消灯。サーシャ、おすわり。ベルトでその大きなお尻を固定なさい」
淡々としたハルの音声が、静かに響く。さっきやられた分を、サーシャにやり返しているように見える。ハルが人間ならば笑いを押し殺していることだろう。
いや、AIでもそうかもしれない。ハルならありえる。
「わかってる……」
しぶしぶ席に着き、シートベルトを締めるサーシャ。微かに「覚えてなさい、レイ」と聞こえたが、無視する。
「艦首目標に固定。CO2、主砲射程に入ります。……三・二・一、撃て!」
「おうよ!」
コンマ秒の狂いもなく、レーダー照射とほぼ同時に放たれた光の矢。モニター越しに図太いレーザーが四本、前方へと一斉に解き放たれる。
「命中、CO2撃破。五億です!」
「ハル、はしゃぐな。友軍に通信、急げ」
通信コンソールを見つめ、よそ行きの顔を作る。
「オンライン。どうぞ」
手を叩いて両手を挙げかけたサーシャが、そこで固まった。微妙な空気に動きが止まる……気まずそうだ。お気の毒に。
「識別番号Z4S-SA-0011、ジーフォース所属のムラサメ。キャプテンのレイだ。緊急通報を受けて戦闘に介入した。おくれ」
『ムラサメ、こちら護衛戦隊旗艦、レッド・ヘリックスのゴルドバ。識別番号RHP-SA-0108、キャプテンのガブリエルだ。救援に感謝する』
「先に行け、ここは引き受ける」
『了解、恩に着る。報酬はカリストⅨの管理局を通す。後ほどメッセージを送る。武運を祈る。ゴルドバ、アウト』
「こっちも局にスコアを出しとくよ。じゃあ気をつけてな。……以上、おわり」
さあて、残るはコルベット二隻と攻撃機三機。相手の方が多いが……
また人の心を読んだように、ハルが言葉を紡ぐ。心なしか怒ったような声だ。
「あんなもの、このムラサメの敵ではありません。大気圏内外両用艦で宇宙専用艦に挑むなど、しかも格上の艦を相手にしようとは……身の程知らずも甚だしい!」
「ハル、落ち着け」
思わず声をかけると、すぐ隣でサーシャが頷いた。
「そ、そうよ。頭に血が上るとほら……」
「大丈夫です、私は冷静ですよ。サーシャ、私に血が上るような頭はありません。さらに言うと、血も通っていないのですから……ふふふ」
一瞬の沈黙。
モニターに映る船の挙動を確認しながら、俺たちは顔を見合わせた。
「……なんか怖い」
サーシャが小さく呟いた。
「冗談ですよ、サーシャ」
この時ばかりは、ハルの妙に優しく柔らかい声に底知れぬ何かを感じた。その何かがなんなのかは、よくわからないけど。
とうことで、最初の一撃は見事な奇襲で幕をあけた。ここからが本番だ。ハルの言う通り、油断しなければ勝てる相手。慎重に、そして確実に賞金首を仕留めるのだ。
ちなみに、後でハルに聞いたところによると、大気圏内外両用艦には以下のような欠点があるらしい。
大気圏突入時の空気抵抗に耐えるため、艦の表面は極力滑らかに保たねばならず、突起物はすべて格納式になっている。そのため、レーダーやセンサー類の多くが小型で貧弱となり、格納スペースも必要になる。
また、大気圏内での機動に不可欠な翼やフラップ、ラダーといった制御系統は、宇宙空間では無駄になる。これにより艦の構造に余裕がなくなり、装備も限定されるため、純粋な宇宙戦闘に特化した船と比べて性能面で劣ることが多いのだという。
格下が身のほどをわきまえていないことに激怒したハル。彼女はプライドが高いAIだった。
AIにプライドがあるとは、果たしてどういうことなのか――という疑問は、この際ひとまず置いておこう。
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