第26話 コネと後ろ盾
窓のない部屋。
壁も床も、天井すらも、無機質なグレーに塗りこめられて、装飾は皆無。部屋の中央にはスチール製の対面式デスク。その上には、卓上を照らす小さなスポットライトが一つだけ灯っている。
部屋の隅にはもう一つ、小さな事務机。そこには男が一人、記録を取っているようだった。
天井はやや高く三メートルほど。埋め込まれた白い照明と、唯一外に張り出した半球型の全方位カメラが無遠慮に見下ろしている。
中央のデスクに椅子は三脚。こちら側に二人、サーシャと並んで腰掛け、向かいに一人。そして、その右後ろに、もう一人の男が無言でこちらを見下ろすように立っている。
デスクの上にも置かれた卓上のスポットライト。その鋭い光がこちらに向けられているせいで、相手の顔は影になり判然としない。
「こういう場所じゃ、かつ丼が出てくるんだっけか」
「はぁ? 何言ってんだよ、お前」
……一目でわかる。ここはあれだ、取調室だ。
「レイ、かつ丼が好きなの?」
隣に座るサーシャが、首をかしげながら問いかけてくる。
「いや、嫌いじゃないけども……」
ちらりと横目で彼女を見ると、サーシャは小声で「かつどんのレシピは……」と呟いていた。
なるほど。この時代では、通じないネタだったか。
レイはわずかにため息をつき、椅子にもたれる。
「それでいいのかい。武器を持たせたまま、拘束もなしで」
背負ってた軽機関銃と対物ライフルは預けた。でも、腰のホルスターには拳銃が残っている。ふと、腰の拳銃に視線を向ける。
立っていた男がそれに気いて足をずらし、半身に構える。それを正面に座ってる男が、片手を軽く上げて制した。
「ああ、あんたらが意味もなく暴れるとは思ってない」
落ち着いた声だった。こちらに何かを仕掛けようという意図は、今のところ感じられない。
「事情はさっき話した通りだ。映像も残ってただろ。こっちに非はない、一方的に絡まれただけだ」
「……ああ、わかってる」
無実はわかっているにもかかわらず、こうして拘束している。
何かを引き出そうとするわけでもなく、ただ時間を稼いでいるだけのように見える。
さっぱり意図が読めない。
隣のサーシャを見ると、彼女は眉をよせ、両手を広げて肩をすくめた。こっちも同じ感想らしい。
「なら、そろそろ……ここから出してくれませんかね。私掠船の登録を済ませてから、彼女と飯を食う約束をしてるんだ」
何の時間稼ぎだ、まったく。
両肘を机に突き、指先で二度、三度と軽く叩く。音が薄い金属板を伝って、部屋に小さく響いた。苛立ちが伝わったのか、数秒の沈黙のあと、男の声が返ってくる。申し訳なさそうな響きだった。
「……悪いが、もう少しだけ待ってくれ」
男の声が落ちると、次の瞬間、空気がふっと動いた気がした。入口の扉が音もなく開く。現れたのは、黒いスーツを着た一人の男。
年は三十半ばくらいか。背はせいぜい一八〇センチ。この時代だと平均的な身長。胸板が異様に厚く、首と一体化した肩。ずんぐりとした体型で、スーツが窮屈そうに見えた。
戦場で頼りになるベテラン軍曹……そんな印象を受ける男だ。
男は速足でこちらへ近づき、机の横、右斜め前でぴたりと止まった。
正面に座っていた男がすぐに立ち上がり、他の二人も姿勢を正して敬礼する。どうやら偉いさんらしい。
「ジーフォースのレイ君だね。待たせてすまなかった」
男は軽く答礼し、きっちりと姿勢を正してから、謝罪の言葉と共に深く頭を下げた。
俺も軽く頷き、「頭を上げてください」とだけ返す。
「カリストⅨ私掠船管理局の戦務指導官、ヨアヒム・シュリーガーだ」
顔を上げた彼は、柔らかい笑顔を浮かべながら名乗り、右手を差し出してきた。
「……戦務指導官?」
聞き慣れない肩書きだった。
「レイ・アサイ。よろしく」
こちらの名を知っていた。そして周囲の反応を見るかぎり、ただの事務官ではなさそうだ。首をかしげつつも、とりあえず座ったまま差し出された手を握り返す。
「ここではなんだ。部屋を変えよう、ついてきたまえ」
ヨアヒムが踵を返し、立ち上がってあとに続く。サーシャも無言で立ち上がり、三人で部屋を出た。
扉が開き、静かな廊下へ。先を行く背中を追って歩く。
案内された部屋に入ると、室内の全てが木の内装で統一されていた。壁も、床のフローリングも、ふんだんに木製の素材が使われている。
「サーシャ、なんかすんげぇ高そうな部屋に来たんだけど」
「天然素材だったら、小型の新型宇宙船が一隻買えるわね」
デザインは古きアメリカを思わせる。西部劇に出てくるようなオールド・アメリカン──いや、ウェスタン・スタイルか。とにかく、宇宙コロニーの中でこんな部屋に出くわすとは思わなかった。
部屋の中央奥には重厚な木製のエグゼクティブデスク。手前に高そうな革張りのソファセットが堂々と、その存在を主張していた。
「どうぞ、そこに掛けたまえ」
「はぁ……」
なんか、すごい大物感出てるな、この人。
少し圧倒されながらも、手で示された四人掛けのソファに腰を下ろす。視線を横に向けると、サーシャが「座っていいの?」みたいな顔をして、少し遅れて腰を下ろした。
木の壁の一部が音もなくスライドし、配膳ロボットがティーカップとポットを載せたトレイを持って現れる。コーヒーを順番に注ぎ終えると、何も言わず退出していった。
「すまなかったね。傭兵は基本的に喧嘩両成敗。だから君たちにも、取り調べという形をとらざるを得なかったんだよ」
「なるほど、理解しました」
そういうことか。確かに片方だけ拘束して、もう片方はお咎めなしじゃ示しがつかない。
「それにしても……俺たちだけ、ちょっと特別扱いされてる気がするんですが。気のせいですかね」
そう言いながら、ソファの感触を手のひらで確かめ、木製の巨大なエグゼクティブデスクに視線をやる。
「はは、ここの木材はすべて人工材だよ。もちろん、ソファの皮もね」
「それって……安いやつなんですか?」
サーシャがコーヒーを噴き出しそうになりながら、ギリギリで耐えた。
「ちょ、本人に何を聞いてんのよ」
涙目になってこっちを見る。可愛い。……いや、今はそんな場合じゃない。
慌てて肩をすくめ、軽く頭を下げる。
「あ、すみません……」
二人のやりとりがよほど面白かったのか、ヨアヒムは肩を揺らして笑いながら、テーブルのカップに手を伸ばした。
「あはは。いや、まあ“安い”わけじゃないけどね。天然素材と比べれば、ゼロが二つくらい違う。今だと……それ以上かもしれないな」
そう言って、湯気の立つコーヒーをひと口すする。
「そ、そんなに違うんですか……」
驚いて目を丸くしながら、ソファの感触を改めて確かめる。しっとりと張りがあり、見た目以上に上質だった。
「ところで、君たちは調査四室の関係者かね」
「え、えぇ……。そんなところまでバレてるんですね」
「バレるも何も」
ヨアヒムが指を鳴らすと、ソファセットのテーブルにホロ映像が浮かび上がる。それは、入港時に撮影されたであろう、ムラサメの船体だった。
「PMC所属の武装商船。しかし――この外観、どう見てもESF(協商連合宇宙軍)の巡洋艦だ。しかも既存の艦型とは一致しない。新型か、あるいは特殊戦用のワンオフ艦。そして識別コードを辿れば……オーナーは、情報部の嘱託とはいえ軍属」
「……ええ、そうですね。否定はしません」
「私の肩書というか、戦務指導官の仕事はね……私掠船に“ルール”を守らせることだ」
「はい」
「私掠許可があるとはいえ、君たち傭兵はただの無法者じゃない。秩序の中で行使されてこそ暴力は“力”になる。違うかね?」
「は、はい」
このおっさん、圧力が半端ねぇ。
背筋を伝って、嫌な汗が流れ落ちる。
視線を少しだけ下げて、彼女の様子をちらと覗く。サーシャは完全に置物になっていた。肩をすぼめ、硬直して、一言も発せず。
その視線に気づいたかどうか、ヨアヒムが静かに言った。
「単刀直入に聞こう…………何しに来た?」
心の奥まで見透かされるような鋭い眼光。荒くれ野郎を取り締まる責任者のような人だ、相当な修羅場をくぐってきたのだろう。
「クラフトン商会……をご存じでしょうか」
とはいえ、こちらにやましいことは何もない。下手な駆け引きはせず、正直に話すべきだ。
「クラフトン商会?」
「サルベージ屋です。サーシャが社長、私はそこの取締役補佐です」
ヨアヒムはきょとんとした目で、意味がわからないという表情を浮かべた。
「サルベージ屋が、なぜ巡洋艦なんぞを乗り回しているんだ?」
巡洋“戦艦”だけどね……まあ、今は置いとこう。
「先日のネメシス事件、覚えてませんか。犠牲になった船の中で、唯一の生き残りが居ましたよね」
その瞬間、ヨアヒムの眉がぴくりと動いた。
「ああ! あの色っぽい美人! おお、そうだ、君だ! そして会見に出てたのは……そうだ、レイ君じゃないか。いやいや、なるほど、そうだったのか」
一気に場の空気が緩んだ。肺に溜まっていた重いものを吐き出す。
「サーシャ君だったかな。災難だったね、お気の毒に。お悔やみを申し上げる」
ヨアヒムの目元がゆるみ、サーシャに体を向けて軽く頭を下げる。先ほどまでの威圧感は、もうどこにもなかった。
「ありがとうございます」
サーシャは慌てたように居住まいを正し、頭を下げた。
そこで少し間を開けてから、続きを切り出した。
「その絡みでですね。クラフトン商会は保有していた唯一のサルベージ船を失って業務停止。銀行員が債務の取り立てに乗り込んでくるし……で、自分が、その、彼女を助けた責任というか」
ヨアヒムがニヤリと笑い、意味ありげな視線を寄越してくる。
「あの巡洋艦をサルベージ船として使うのか」
「ええ。銀行の債務を再建に向けての出資という形で肩代わりすることで、クラフトン商会の役員にもなりました」
「剛毅だな」そう言って背もたれに身を預け、肩を揺らして笑い出した。
「傭兵の報酬も得ながらサルベージもやる。メインベルトは最適な場所だな。――そうか。こんな美女のためなら、私も手を差し伸べたくなるね。レイ君、羨ましい限りだ」
「ええ、まあ」
「よし、時間を取らせてすまなかった。そういうことなら大歓迎だ。今回のお詫びに、何かあれば力になろう。君たちの新しい船出を応援してみたくなったよ」
……ちょっとビビったけど、結果オーライだ。
「それと、入口で君たちに絡んだあの男。元陸戦隊員でね。空間突撃騎兵とかいう、精鋭部隊にいたらしい。喧嘩では一、二を争う腕前だ。悪い奴じゃないんだが……」
そう言って、バツの悪そうな顔をしながらカップを手に取る。
いや、異常に強いと思ったんだ、あのパンチ。生身の人間だったら首から上が吹き飛んでたぞ、比喩じゃなく。
「もしあいつらから詫びを入れてきたら、赦してやってほしい。しっかりお灸をすえておく。できれば、仲良くしてやってくれ」
まあ……これから同じ宙域で仕事するわけだし、わざわざ敵を作ることもない。
「ええ、わかりました。相手の出方次第ですがね……」
そう言って笑顔を返した。
こういう仕事では、監督する役所にコネを作っておくに越したことはない。このオフィスを見るだけでも、ヨアヒムと名乗ったこの男がそれなりの地位にある事がわかる。
どうやら気に入られたようだし、貸しというほどじゃないにしても何かと頼りにできそうだ。
こうして、情報部以外にも後ろ盾を増やしていくこと――
それが、サーシャを守るための一歩になるのだから。
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