第22話 悪い男にざまぁする
「ハル。サーシャには、しばらく部屋で待機するよう伝えてくれ」
『どうなさるおつもりで? まさか、昨日会ったばかりの女性のために、身銭を切るおつもりでは?』
「そのまさかだよ。俺は彼女が好きだ。仮に裏切られたとしても、好きになった人が不幸になるのは嫌なんだ。……AIには、こういう感情はわからないか?」
一瞬の沈黙ののち、ハルが静かに応じた。
『いいえ、レイ。その感情、理解します。貴方がそこまで言うのなら……私も、彼女を守るために協力しましょう』
「すまない。ありがとう、ハル」
短く礼を告げて深く息を吐き、会議室へと足を向ける。扉の前で一瞬だけ立ち止まり、胸元の襟を正した。
ドアが開き、二人の男がこちらに目を向ける。グリムはやや緊張した面持ちだが、銀行員のほうは余裕の笑みを浮かべていた。
嫌な顔だ……
反射的に嫌悪感を抱きながら、無言で椅子を引いて銀行員の正面に腰を下ろす。
「おや、サーシャさんは?」
銀行員は、ちらりと扉の方へ眼をやった。
「その前に……セブンシティー銀行の方でしたね。先に、あなたと話をさせていただきたい」
声を落ち着かせ、少し低い声で話す。
「ほう?」
「私はこの船。ムラサメのキャプテン、レイ・アサイだ」
そう言って、左手を軽く上げ、生体端末に格納された身分データの一部をホロパネルに提示する。
その情報に目を走らせた瞬間、銀行員の顔が明らかに変わった。無意識に喉を鳴らし、額にうっすらと汗がにじむ。
「こ、これは失礼いたしました。セブンシティー銀行カリスト支店、法人営業部のマーカス・チェンです」
慌てて立ち上がると、慇懃に右手を差し出してきた。
俺も立ち上がり、その手をしっかりと握る。握手という名の短い力比べ。こちらは戦闘用に強化された人造人間。力をわずかに込めただけで、相手の手がきしむ。
チェンの表情が一瞬、苦悶に歪む。それでも笑顔を保とうとするのは、さすが営業マンだ。
視線を交わしたまま言葉なく互いに手を離し、再び着席する。
「この度はクラフトン商会の不幸な事故について……その、申し上げにくいのですが」
「大丈夫だ。俺とサーシャは、ビジネスパートナーだ。協力してこの事態に対処することで合意している。非公式だが、軍の後ろ盾もある」
チェンはポケットから濃いベージュのハンカチを取り出し、額の汗をそっと拭った。
「ぐ、軍……と仰いましたか?」
「ああ。俺の経歴を見ればわかるはずだ。ジーフォースのA級エージェント、加えて情報部の嘱託だ。昨日はサーシャとグリムも同席のうえで、情報部の室長から正式な協力要請を受けたところだ」
ホロパネルには氏名と現在の身分、職業、所属、保有ライセンス、そして船籍など、公的に公開できる情報が表示されている。
「は、はあ……」
チェンの頬がわずかにひきつり、視線が泳いだ。
そこで、俺は両肘をテーブルに乗せ、体をゆっくりと前に傾ける。
「それで、チェンさん。あなたがわざわざここまで足を運んだ目的は何ですか? 返済はまだ滞っていませんし、状況確認なら通信で済んだはずです」
チェンが口を開く前に、さらに一言、追い打ちをかける。
「……あるいは。サーシャと“直接会う”必要がある、別の理由でも?」
そして、わずかに視線を落とす。そこには、例の鞄がある。
「たとえば、あなたの鞄に詰め込まれている“個人的趣味の品々”のことなど、です」
「なっ、お前……!」
チェンの顔が引きつり、肩がぴくりと震えた。
「この船は、傭兵の戦闘艦です。乗り込んでくる相手のボディチェックくらい、当然の措置でしょう」
そこまで言ってから、わずかに間を置いて目を細める。
「……それとも。何か、やましい物でも持ち込んでいましたか?」
チェンの喉が小さく鳴り、目が泳ぐ。
しばし流れる沈黙。チェンは必死に汗を拭い、助けを求めるように視線をグリムへ向けた。
だがグリムは眉をハの字にして肩をすくめ、両手を広げる。我関せずの構えだ。
「借金はいくらですか?」
目に威圧を込めて尋ねると、チェンの手が止まった。
「……は?」
「クラフトン商会の残債です。いくらかと聞いている」
「それは……いくら貴方でも、第三者に対してお答えできることでは……」
チェンが口ごもるのを、横からグリムが遮った。
「九億三千万。端数は切ったがな。船の購入で四億、残りはドックと工場の設備。資金繰りにも一部流用してる。一応、俺もこの会社の役員なんでね、チェンさん」
大した額ではない……とは言えないが、今はこちらから仕掛ける場面だ。チェンの眼をまっすぐ見据え、唇の端にわずかな余裕を浮かべる。
「分かりました。ここで全額返済しましょう」
「……な、なんですって?」
「それで、セブンシティーとの関係は終わり。以後、クラフトン商会はあなた方と無関係になる。異論は?」
言いながらホロパネルを操作し、決済画面を立ち上げる。
「それと……あなたのバッグにあるホロ動画を収録した端末。全てこちらで回収します。抵抗するなら、それなりの手段を取りますが」
「そ、そんなものは……!」
「ない? 本当に?」
声を一段低くする。すっと目を細め、全て知っているぞと脅しをかける。
「私はあまり手荒な真似はしたくありません。ただ、あなたのこれまでの所業と今回の目的、それらを『サーシャ・クラフトンとの不適切な関係』として、情報部経由で銀行にリークすることが出来ます。判断はお任せしますよ、チェンさん」
チェンの顔から血の気が引き、唇が小刻みに震える。観念したのかカバンの中に手を入れ、しぶしぶと手のひらほどの大きさの端末をテーブルに置いた。
「それと、もう一つだけ」
声を柔らかくして、少しだけ相手に寄り添う姿勢を見せながらトーンを落とす。
「バックアップしてある動画。個人的に楽しみたい気持ちは理解します。男として残してあげたいという気もあります。ですが、彼女の名誉のため、即時削除してもらいたい」
そして、にこりともせずに付け加える。ダメ押しだ。
「もし万が一、その動画がどこかで“偶然発見”されるようなことがあれば……そのときは容赦しません」
チェンはビクリと肩を揺らし、声を裏返した。
「わ、わかった。削除する……全部だ」
無言で頷き、さらに念を押すように視線を鋭く向ける。
「私は軍の情報部と直接のパイプがあります。この船を見てもらえれば、その繋がりの深さは想像できるでしょう。マスコミや司法の力などを使わなくても、秘密裏に貴方を社会的に抹殺するくらい、造作もありません」
わずかに口元を吊り上げた俺の顔を、チェンは恐怖を込めた目で見つめていた。
「……お分かりいただけましたか?」
そう言って目元を緩めると、チェンはわずかに肩を震わせながら頷いた。
「では、先に支払いを済ませてしまいましょう。振込口座と、正確な金額を教えてください」
チェンはぎこちなく銀行端末を取り出し、返済処理の画面を立ち上げる。そこへ決済システムをリンクさせ、全額を一括で返済。即座に入金確認の通知が届く。
これでクラフトン商会に残っていた債務はすべて帳消しとなり、この男がここにいる理由もなくなった。先ほどまで浮かべていた余裕の笑みも、今や顔を青ざめさせて見る影もない。
「ハル。サーシャを呼んでくれ」
『いいのですか、その男の前に出して』
「ああ。彼女自身の口から、ケジメをつけた方がいいだろう」
そう言って視線を戻すと、チェンは銀行端末を鞄へしまい、居心地の悪さを隠せずにうつむいていた。
静まり返った室内に、ぽつりと声が落ちる。
「レイさん、あんたって人は……」
声の主はグリムだった。わずかに声が震え、右腕で目を乱暴にぬぐっていた。
ほどなくして、サーシャが部屋に入ってくる。チェンの姿を捉えた瞬間、怯えるような表情を見せた。
「サーシャ。大丈夫だ。もう全部終わった。こっちに来てくれ」
「……終わったって、何がよ?」
棘を含んだ声。サーシャの鋭い視線が、こっちに真っ直ぐ突き刺さる。
チェンは慌てて姿勢を正すと、机に頭をぶつけそうな勢いで深々と頭を下げた。
「サーシャ……いや、サーシャさん。本当に、今まで申し訳ありませんでした。もう二度と近づかないと誓います。この通りです、どうか……許してください」
サーシャは呆然とその姿を見つめる。続けて、涙を浮かべたグリムへ視線を移し、最後にこちらを見た。
「お嬢……借金は全部、レイさんが肩代わりしてくれやした。それと……その、そっちの件も……全部きれいに……」
グリムの声は震えていた。
「レイ! 一体どういうつもりよ!」
叫ぶなり、サーシャは椅子を持ち上げ、そのまま力任せに投げつけてきた。凄まじい勢いで飛んでくる金属製の椅子をあえてよけず、顔面で受け止める。
痛い……。強化されてなかったら、血まみれだったかもしれない。
「哀れな女に手を差し伸べて、俺様かっこいいとか自分に酔ってんの? 同情なんて、要らないわよ!」
……相変わらずお転婆だな、まったく。
顔を押さえてよろけながらも、前に出てサーシャの体をギュッと抱きしめる。
「大丈夫だ……サーシャ。惚れた女の一人も守れなくて、何が傭兵だ。だから大丈夫、もう全部終わらせた。だから……」
最初は腕の中でもがいていたサーシャも、やがて抵抗をやめ、その胸に身を委ねた。
「とんでもない借りができちゃったじゃない。どうしてくれるのよ。そんなことされたら尻に敷けないじゃない。私、従順な男が好きなのよ」
「大丈夫、今まで通りだ。君は君らしくいてくれ。俺はお人好しの甘ちゃんだ、借りだなんて思わなくていい。怒って椅子を投げつけるような、そんな勝気なサーシャが……俺は好きなんだ」
その言葉に、サーシャはぴたりと動きを止めた。レイの腕の中で、わずかに震えながら目を伏せる。
今、自分がした行為を、改めて言われたことで自覚したようだ。
「ご、ごめんなさい……」
サーシャは鼻をぐすっと鳴らし、頬を赤らめながら目を伏せた。
暫く抱き締められるまま腕の中でじっとしていた彼女は、やがてゆっくりと身体を離し、チェンの方を向いた。
「……チェン。レイの顔を立てて、今までのことは忘れる。二度と私の前に現れないで」
瞳の奥には深い海の底を思わせるような、静かで暗い炎がくすぶっていた。
チェンは何も言えず、うなだれながらグリムと共にそそくさと部屋を出る。
「ハル。お客様のお帰りだ」
『了解。お疲れ様でした、キャプテン』
「ああ……」
来客は去り、サーシャと二人きりになった会議室。黙ってそっと寄り添い、そのまま静かに唇を重ねた。
『ごちそうさまです、キャプテン。高品質なラブストーリーを至近距離で観賞できるとは、AI冥利に尽きます』
「……いや、ハル。すまない、場所をわきまえるべきだったな」
照れ隠しに頭をかくと、サーシャは顔を赤らめながら、まっすぐこちらを見つめてきた。いたずらっぽく目を細め、トン、と小さく拳で胸を叩く。そのまま無言で部屋を出て行こうとして、 ドアの向こうに消える直前、小さな声が届いた。
「ありがと」
今まで生きて来たの人生の中で、最高にうれしい言葉だった。
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