第21話 サーシャに迫る毒牙
肉の焼ける音と香ばしい匂いが、ムラサメ艦内のダイニングに広がっていく。鉄板にジュウッと脂が跳ね、ニンニクと玉ねぎの香りが鼻腔をくすぐった。
「レイ! ミディアムでいいんだっけ?」
「ん、ああ、なんか適当でいいよ」
そう返しながら、俺はサーシャの姿に見とれていた。全体的にふっくらとした女性的なグラマー美人。そんな彼女が、エプロン姿で台所に立って料理をしている。
髪を後ろでひとつに束ね、慣れた手つきで肉を返す。
宇宙空間ではパイロットスーツを着て作業ポッドを操り、会社に帰るとやり手の女経営者。喧嘩っ早くて気が強いのが玉に瑕。そんな彼女が、実は料理が得意という家庭的な一面も持っていた。
見た目ももちろん良いが、こうしたギャップに、思わずドキッとする。
ムラサメ艦内のキッチンは、ダイニング兼休憩室のホールに併設されている。オープンキッチンスタイルで、調理の様子がそのまま見えるつくりだ。
この世界には「ボタンひとつでフルコース」みたいな夢の機械はない。調理ロボットはあるが、素材や調味料は全て自分で用意して、適切にセットしなければならない。調理自体は仕込みから全て全自動でやってくれるので、もちろん便利なのだけど。
今回サーシャは、あえてマニュアル調理の設備を使っている。もちろん、衛星の重力が小さいのでフライパンは飛び散らないよう蓋つきになっていたり、コンロ上は雫などが飛び散らないよう強力なダクトが付いていたり、液体は全てゼリー状になっていたりなど、宇宙船専用のものが使われているため少し調理にコツがいるのだが。
「ソースは、あんたが好きそうな感じにしといたから」
サーシャが振り返りながら笑う。フライパンの中でバターと醤油、刻んだニンニクが弾け、肉汁と混ざって芳醇な香りを立てた。
ジャポネソース。甘辛くてご飯が欲しくなるやつだ。
「……うわ、それ、絶対うまいやつ」
腹がグウッと鳴る。タイミングの良すぎる腹の主張に、サーシャが吹き出した。
「ほんとにサーロインでよかったの? それ、一番安い肉だよ?」
「いや、いい。むしろそれがいい」
今の時代、牛肉は牛から得るものじゃない。プラントで作られたいわゆる“培養肉”だ。
バイオ技術の進歩で、必要な細胞組織だけを増殖・成形する技術が確立された。今やほとんどの食肉は、プラント施設で作られている。牛からとれた天然の牛肉を食べるのは、好事家や金持ちの道楽となっているようだ。
サーロインはステーキ用として人気が高く、量産効率も良いため供給量が安定している。結果、最も“安くて旨い”肉となった。
これはフィレ肉にも言える。かつては牛一頭からわずかしか取れない希少な高級部位とされていたが、今では“フィレだけ”を培養することが可能となり、サーロインに次ぐ安価な定番肉へと変わった。
そんなわけで、今この艦で食べているのは、人工培養されたサーロインステーキ。厚さ三センチメートル。
「おまたせ。味はそこそこだと思うけど」
ジュッという音とともに、サーシャが焼き上げた肉を手際よくカットし、皿に盛りつける。たっぷりのジャポネソースがかけられ、湯気とともに立ちのぼる香ばしい匂いが、食欲をぐいと引き寄せてくる。
「いやいや、すんごい旨そうだ」
前世――地球での暮らしは貧乏そのもので、牛肉なんて牛丼チェーンくらいでしか食えなかった。もちろん吉〇家じゃない、松〇だ。あっちのほうがコスパが良かったから。
今、目の前にあるのはしっかり焼き目のついたステーキに付け合わせの温野菜、小ぶりなボウルに山盛りのサラダ、そして軽く焼き目を付けたバゲット。オリーブオイルが別皿で添えられていた。
ステーキはすでに食べやすいサイズにカットされていて、そして――
「……箸?」
思わず手に取って驚くと、サーシャがどこか照れくさそうに笑った。
「あなたの名前が、ほら。だからナイフとフォークより、こっちのほうがいいかなって。ムラサメに積んであったし。てか、この船の名前も……そうよね?」
「あ、ああ……」
そういう細かいところまで気が回るんだよな、サーシャって。
普段は勝ち気で強気で、正直ちょっとおっかない。でも、こうしてみると、実はすごく人に気を遣う……言い方を変えれば、とっても思いやりのある女性なのだ。
温かい料理に舌鼓を打っていると、サーシャは再び厨房に戻って手際よく何かを作り始めた。
炒める音、器に盛り付ける音、そして香ばしい匂い――やがて彼女は、もう一枚のプレートを手に戻ってくる。
皿には、ふわふわのオムレツと、厚切りのベーコン。残ったジャポネソースで軽く和えた温野菜(ブロッコリーと人参)、そしてさっきと同じように表面に焼き目をつけたバゲットが添えられていた。
「けどあんたさ、起きてすぐなのに、よくそんな脂っこいものが食べられるわね」
左手にナイフ、右手にフォーク。その肘をテーブルにつきながら、呆れたように俺を見やる。
「あ、ああ……腹が減ってたからな」
「まあ、あんだけやっときゃね」
ぼそっとそう言ったあと、サーシャは小し顔を赤らめた。
ナイフの先でオムレツを押さえ、すっと刃を入れる。
と――ゆっくりふわっと広がる黄身の波。半熟の中身がとろりと皿に流れ出していく。
……これ、You〇ubeで見たやつだ。
そんなことを思いながら、俺は料理の完成度の高さにただ見とれていた。
結局、昨日の会見のあと、マクシミリアン中佐とロゼリー少尉――あの軍人コンビとの交渉を終え、風呂に入る元気もなく、俺たちはそのまま死んだように眠った。
ジュピトルⅢから出航したと思ったら、途中でサーシャの救助に駆けつけることになり、さらにネメシスとの交戦、その後の回収作業。息つく暇もなく会見、そして交渉だ。
彼女も、ネメシスの襲撃からそのまま宇宙に投げ出され、救助されて少し休んだとはいえまあ、その時もいろいろあって……そのまま社員に帰還の報告から休む間もなく軍との交渉。想像を絶するストレスがのしかかっていたはずだ。
それでも日課というのは恐ろしいもので、前日は心身ともに限界だったはずなのに、朝になればいつも通りに目が覚める。シャワーを浴びようと風呂場に向かったところで、サーシャと鉢合わせた。
一緒に風呂に入れば、自然とそんな流れになるのが男と女。そのまま彼女の部屋で互いの絆を確かめ合い、気が付くと二人して彼女のベッドで眠っていた。
次に目を覚ましたときには、昼をとうに過ぎていて……
そして今。二度目のシャワーを終え、ようやく遅いランチにありついている。
そんな静かで温かいひと時。
「いい雰囲気のところ申し訳ありませんが、グリムさんから連絡が入っています」
ハルの声がダイニングの天井スピーカーから降ってきた。
「あっ、そうか……もうそんな時間か。繋いで」
通信に切り替わると、間の抜けた軽薄な声が響く。
「お嬢! お楽しみのところ申し訳ありませんが、セブンシティー銀行の野郎がきてやすぜ」
フォークを持ったまま、サーシャが頬を赤らめてこちらを見た。
「お楽しみって! 飯を食っていただけだっての!」
「ん? 昼めし……にしては遅すぎやしませんかい?」
「うるさい! 会うからムラサメに寄越して。ただ、ご飯くらい食べさせてよ。……三〇分後。いいわね、レイ?」
「ああ、別に構わない」
そう返すと、彼女は慌てて残りの食事をかき込む。
「じゃあちょっと着替えてくる。ハル、レイ、よろしく!」
椅子を引いて立ち上がり、皿にナプキンをかける。
「分かりました、サーシャ」
「おう、任せとけ」
サーシャ―は踵を返し、そのまま部屋へと向かった。
銀行か……。債権者にとって最も気になるのは、クラフトン商会がこれからどうなるかだ。おそらく、この銀行がメインバンクなのだろう。
約束の時間になると、外部ハッチの下に二人の男が現れた。先頭に立つのは工場長のグリム。そして、後ろに控える一人が銀行の担当者らしい。
その男は異様に体格が良かった。スーツ越しにも分かる鍛え上げられた筋肉、がっしりとした肩幅。身長は俺と同じく一九〇センチを超えている。銀行員というより、どこかの格闘家、あるいは用心棒といった印象を受けた。
俺はデッキまで出迎え、二人を会議室のひとつに案内する。簡単に茶を出し、「少々お待ちください」とだけ告げて部屋を後にした。
その直後、生体端末にハルからのプライベート通信が入った。
『レイ。例の男のバッグをスキャンしました。拘束具、複数の小型デバイス。いわゆる大人の玩具です。どれもビジネス用途とは整合しません』
……何だと?
それを聞いて、すぐに察しがついた。
あの男――あの銀行員も、かつて融資の見返りにサーシャの身体を求めた連中の一人。あるいは、今まさに彼女の弱みに付け込もうとしているのか。バッグの中身は、それを裏付けるには十分すぎた。
怒りとも悔しさともつかない、黒い感情が胸の奥から静かに沸き上がる。嵐のような衝動を押さえながら、俺は低く呟いた。
「そういうことか……」
サルベージ船がなければ、クラフトン商会の業務は継続不能に陥る。資産は差し押さえられ、破産は避けられない。
だがその前に「再建のための妥協案」と称してわずかな希望をちらつかせ、見返りに彼女の体を差し出させようという魂胆だろう。この銀行員、どう見ても手慣れていやがる。
……ふざけるな。
よし、決めた。惚れた弱みだろうがなんだろうが関係ない。
俺が――サーシャを守る。
さて、サーシャの運命やいかに!?
レイはどのような決断を下すのか。
皆さんの反応が、創作のモチベーションに繋がります。
面白い、もっと続きが読みたいと思っていただけたなら、ぜひブックマークや☆での応援をお願いします。




