たんぽぽと猫と、案山子と。
春の陽がやわらかく降りそそぐ午後。
畑に風が吹きわたり、麦の芽がさわさわと揺れていた。
ぼくは、今日も変わらず、ここに立っていた。
変わらない。それは、案山子の特権だ。
でも、だからこそ、小さな変化に気づける。
たとえば、土のにおい。
昨日よりも湿って、ほんのり甘い。
たんぽぽの綿毛が、今日はいっそう空に舞っている。
風が強くなったのかもしれない。
それとも、綿毛の数が増えただけか。
「にゃふぁ……。あくびが止まらないにゃ……」
ぼくの肩の上で、ノラが大きな欠伸をした。
「今日の風、すこし“ざわついてる”にゃ。なんか、昔の匂いがする……」
ノラはそう言って、畑の先をじっと見つめた。
その先から、ひとりの少女が歩いてきた。
汚れたワンピース。ひとつ結びの髪。
手には、小さな布袋と、しゃがんだ膝にくっついた泥。
「また来たにゃ」
ノラがぼそりと言った。
少女は畑の畦道を、器用に歩いてくる。
慣れている足取りだ。きっと、何度も来ているのだろう。
「……今日は、おじいちゃんの畑にも行ったよ」
少女は、ぼくに話しかけるように独り言をこぼした。
「でも、もう誰もいないから、草がいっぱいで……。
それに、おじいちゃんちの時計、ずっと止まったままなの。三時ぴったりで」
風が吹いた。
少女の声を運んで、たんぽぽの綿毛が空に舞い上がった。
「だから、こっちの畑の方が好き。おじさんたち、たまに来てるし……」
そう言いながら、彼女は布袋から何かを取り出す。
――たんぽぽの種だった。
それを、彼女は大事そうに畑の端に埋めていく。
「大きくなあれ……」
手を合わせた指が、泥で茶色く染まっていた。
ぼくには何もできない。ただ、見ているだけだ。
それでも、ほんの少しだけ、“風”が、彼女の髪をやさしく撫でていったように感じた。
「……おまえ、さっきからずっと見てたな」
ノラが肩の上で、低くつぶやいた。
「案山子のくせに、妙に優しい目をしてるにゃ……」
少女はやがて、静かに畑をあとにした。
その背中が遠ざかっていくあいだ、ノラも、ぼくも、ただ黙って見送っていた。
遠くで、古びた風見鶏が、かすかにきぃ、と鳴った。
その音は、どこか懐かしく、それでいて、もう誰にも聞かれていないような……そんな音だった。
動かないぼくのまわりで、風がめぐり、命がまた芽吹いていく。
それは、終わりに向かうこの世界の中でも、確かに“今”があるという証。
たんぽぽの綿毛のような、儚くて強い、小さな祈りのような話でした。