子どもが去った村。
秋の風が、今日はやけに遠く感じた。
畑の麦はすっかり刈られ、足元の土はむき出しで乾いていた。
草の間に落ちたどんぐりの殻が、風に転がるたび、コツン、コツンと音を立てる。
今日は――村から、最後の子どもが出ていく日だった。
「……にゃあ」
ノラが、いつになく静かな声でつぶやいた。
「とうとう、ひとりもいなくなるにゃ……。
この村で、生まれて育った“ちいさい命”、今日でおしまいにゃ」
ぼくの笠に、枯葉がひとつ落ちた。
風も虫も、なんだか、耳を澄ませているような気がした。
昼近く、道の向こうから人の気配がした。
大人と、小さな足音がふたつ。
そう――あの少女だった。
白いカーディガンに、すこし大きな荷物を抱えていた。
その手には、ぼくの足元に置いた、枯葉の押し花があった。
「……サエさん。来たよ」
少女はそう言って、まっすぐにぼくを見た。
「今日で、お別れです」
「でも、大丈夫。寂しくないって、自分に言い聞かせてきたの」
ノラが、いつのまにかぼくの肩から降りて、彼女の足元に歩み寄る。
少女は、ノラの頭をやさしく撫でた。
「ノラちゃんも、ありがとう。
たぶん、あなたにはたくさん助けられたんだと思う」
少女は、笠の下のぼくをじっと見た。
「……ほんとうはね、サエさん、誰かの生まれ変わりなんじゃないかって思ってたの」
「でも、それはもう、どうでもいいかな。
あなたは、あなたとして……そこに立ってくれて、わたしを見てくれていたから」
風が吹いた。
彼女のスカートの裾が揺れ、肩のリボンが宙を泳ぐ。
そのなかで、ぼくの笠が、小さく音を鳴らした。
少女は、微笑んだ。
「……わたし、きっと、また戻ってくるよ。
ほんとうに遠くに行っちゃっても、ここはわたしの“春”だったから」
ノラが、少女の背を追うように、そっと鳴いた。
「にゃ……行っといで。
でも、いつか帰る気があるなら……風の道は、残しておくにゃ」
少女は、小さくうなずき、
振り返らずに歩いていった。
遠ざかる足音が、やがて風にまぎれて消えた。
畑には、また静けさが戻ってきた。
でも、それは空っぽではなかった。
誰かが、ちゃんとここにいたという、あたたかい余韻が残っていた。
ぼくの足元に、少女が置いていった押し花が揺れていた。
枯葉の中に、やさしい色が、まだ生きていた。
「子どもがいなくなる」というのは、村の未来がいったん止まることを意味します。
でもその中でも、記憶は残るし、想いは風に乗って戻ってくるかもしれない。
サエ=案山子は、この日を確かに記録し、
「ここに誰かがいた」ということを風に届ける者となりました