月の夜、案山子と語る少女。
月が、やけに大きかった。
まんまるで、まるで空に穴があいたように、ぽっかりと浮かんでいた。
星の数は少なく、空気は冷たく澄んでいた。
虫の音も、風の音も、今日はやけにおとなしかった。
畑全体が、何かを“待っている”ように感じた。
ノラは、今日も来なかった。
肩の上は空っぽで、風が素通りしていく。
いつもノラがいる場所が、やけに遠く感じる。
そのとき――畑の向こうから、小さな足音が聞こえてきた。
しゃく、しゃく、と草を分ける音。
やがて、月明かりに浮かび上がったのは、あの少女だった。
彼女はひとり、夜の畑に立ち、ぼくの前に座り込んだ。
「……こんばんは、サエさん」
そう言って、小さく笑った。
「夜の畑に来たの、はじめて。ちょっと、こわかった」
「でも、どうしても……今日は、話したくて」
彼女の手には、小さな折り紙があった。
それをそっと、ぼくの足元に置く。
「ノラちゃん、いないんだね」
「いつもなら、ここにいて、じっとしてるのに」
風が吹いた。彼女の髪が揺れた。
「……今日、おばあちゃんが言ってたの。
“昔の案山子には、神さまが宿ることがある”って」
少女はぼくを見上げた。
その目は、まっすぐで、すこしだけ涙をたたえていた。
「だからね、今日だけは、“話してもいい気がした”の」
月が、雲に隠れそうで隠れない。
夜の光が、やさしく畑を包みこむ。
「……私、たぶん、もうすぐこの村を出る」
「お母さんが、“外の村”に行こうって。こっちじゃ、もう……病院も学校もないから」
それは、静かに訪れた別れの予告だった。
少女はそれでも、笑った。
「でも、忘れないよ。サエさんも、ノラちゃんも、
春に植えたたんぽぽも、今日みたいな風の音も」
そのとき、ぼくの笠がかすかに揺れた。
彼女は目を見開き、小さく息をのむ。
「……いま、動いた?」
ぼくは何も言わない。けれど、たしかに風が吹いた。
それは、彼女の言葉に“ありがとう”と返すような、あたたかい風だった。
少女は立ち上がり、そっと頭を下げた。
「また、来るね。……たぶん、きっと、最後に」
そう言って、夜の畑をあとにしていった。
空には、まだ月が、まっすぐに浮かんでいた。
語りかけること。聞いてもらえるかどうかわからなくても、
想いを託すことで人は“生きた証”を刻めます。
この話は少女にとってのひとつの節目であり、
サエ=案山子にとっても、“心を持つ”という存在の確かさを感じる回です。