村の祭り、今年はやらない。
その日は、夕方になっても太陽が沈まなかった。
空の色は橙でも、どこかくすんでいて、
まるで夜が来ることをためらっているようだった。
「……本来なら、今日は“灯籠祭”の日だったにゃ」
ノラがぼくの肩で、ぽつりと呟いた。
「村の広場に灯籠を並べて、火を灯して……
精霊たちに“ありがとう”って、そう言う夜だったにゃ」
案山子のぼくには、その光景は見えない。
けれど、風の向こうからは、今年も聞こえてこなかった。
鐘の音も、太鼓も、歌声も。
「……十年前までは、やってたにゃ。
小さな祭りだったけど、子どもたちが走り回ってたにゃ」
子猫たちは、今日も静かだった。
ノラの背中で眠っている。笠の上にも、誰もいない。
「誰かが火をつけなきゃ、灯籠はただの箱にゃ。
踊り手がいなきゃ、輪も回らないにゃ」
風が一度、強く吹いた。
畑の端の草むらがざわめき、遠くで、乾いた石が転がる音がした。
「……それでも、案山子のサエだけは、ずっとここに立ってるにゃ」
ノラが、小さく笑う。
「だから、今年はサエが“見送る”番にゃ。
お祭りじゃなくても、風に“ありがとう”を言うだけでも、十分にゃ」
ぼくは静かに、空を見上げた。
夕暮れのなか、ほんのすこし、空気が色づいていた。
陽が沈むその瞬間、村の外れにひとつだけ――かすかに灯った火が見えた気がした。
誰かが、それでも火をつけたのかもしれない。
あるいは、この世界そのものが、ひとつの灯籠だったのかもしれない。
その光が、風に揺られ、やがて夜に溶けていった。
この世界では、祭りも、歌も、すこしずつ消えていきます。
でも、誰かが“そこにあった”ことを覚えている限り、それは完全には失われません。
案山子=サエは、記録者であり、見送り手であり、祈る者。
夏の終わりに訪れた静かな別れが、次の“秋”へとつながっていきます。