6 モドキの部屋に、居る
口からカップにジャバー……とコーヒーを流した私に、扉を開けたモドキが振り返った。
「……何か思いだした?」
期待を込めた眼差し。
扉の中は衣類でも靴でも鞄でもない。
扉の中全体が青白く光っている。
空間から空間をつなぐ魔法の扉、『門』だ。
顎がはずれそうになった。
「…?あ、あなたって、結局のところ、人間じゃないんですか…?」
私の反応にモドキはため息をつきながら肩を落とした。
私の発言、なにか変だった?
え?ヒトとして普通~の反応だよね?
現実世界で『門』見た人間なんて、こんな反応以外、なくない?
「な?なに?もっと気の利いた言い回ししなきゃダメでした?それともハズレ?あ、人間じゃないって、気に触りました?い、異世界人とか言ったほうが…」
「異世界人も人間だよっ!そもそも俺は元々こっちの人間だ!……てか、その反応、素なわけ?」
「ど、どゆこと?」
は〜…と思い切りため息をついたモドキは、クローゼット(?)の扉をしめ、寝室の扉を閉めて、私の目の前のソファーに身を沈めた。
「やっぱり、…君じゃないのかな…。」
「わ、私が何じゃないって言うんです?」
私のことはいきなり「君」 呼び。
今日の屋上での超かんじ悪い態度といい、いつもオフィスで見せてたオドオドと挙動不審の姿といい、本物の藤井風雅はどれなの?
多重人格!?
気持ち悪い!
「…まぁ…とりあえず今はいいや。」
「はぁ!?色々と私の疑問を解消してくれるんじゃなかったんですか!?人をわざわざこんなビックリ空間に呼びつけておいて!」
「いや、答えるけども。俺の方の疑問は、ひとまず置いといて、君の質問に答えようと思ってるんだけど?」
「て、てか、も、もう、いいです。もう何も知らないほうが平和でいい気がしてきました。だから、もう、帰っていいですか…?」
ここにきてからたったひとつ、願い続けていることが我慢できずに口から飛び出た。
「はぁ?いいわけないよな?」
モドキの顔に「お前はアホか?」と書いてある(ように見える)。
「で、でもわたし、何も知らないし、つまりあなた方の国とは何も関係ないみたいだし、い、い、居ても意味なくないですか?」
一刻も早く、こんな意味不明な世界線から手を切りたい。
「あなたも今、『君じゃないのかな』って言ったじゃないですか。そうですよ、何だか知りませんが私じゃありません。なんにも知りませんし!」
元のごく普通…以下だけど、とにかく現実的な世界に戻りたい。
「無関係でもないだろ。現に…。」
茶色と黄緑の物体が視界に飛び込んできて、私の目は仏像のように細まった。
(ああ神様……この、一連の、全てが、夢でありますように…!!)
「アンネリーサ殿ぉ!酷いではないか、某に一言の断りもなく先に主と対面するなどぉ!下調べに行ったそれがしの立場というものを考えてはくれぬのかぁ!」
「あんたにはコレが見えてるんだろ。」
そう言って現れたカワウソを指さしてモドキが言った。
カワウソ……。
「コレがみえてるの、今のところ君と俺だけなんで。」
カワウソは…そういえば初めて会った日、秋田原の電気街に行ったとか言ってた。
周りには見えてなかったってことなんだな。
「コーヒー、淹れ直すわ。」
「あ、い、いえ、お構い無く。だ、大丈夫ですので、これで…。」
「そんな一回口から出したコーヒー飲んでるの見るこっちの気持ち考えてくれるかな?」
「あ…すみません。」
私はおずおずとカップをさしだした。
汚いものをつまむように、モドキはカップを受け取り、サイドボードから出した新しいカップにコーヒーを注ぎ直してもってきてくれた。
ペコリと頭をさげ、それを受けとる。
その瞬間、不意に思い出した。
玄関にあった、あの緑のリュックは、私の小説の表紙でフーガが背負っていたものだ。
絵師さんに自分で色を指定したのを覚えてる。
あれ…?
なんで、わざわざ色の指定なんかしたんだっけ…?
…思い出せないけど、とにかく、あのリュックのデザインも色も、指定したのは私だ。
じっとリュックを見つめる私をモドキが期待を込めた目で見ている。
「何か思い出したの?言ってみて?」
「や…別になにも…。見たことある気がしただけで……。」
敵か味方かもわからないこの人に手の内を全部見せるのは得策ではない気がして、私は話をそらした。
「つかぬことを聞くけど…」
「はい?」
「『死んだ』経験、ある?」
「………………………………はぁ?」
「えっと、違うか。言い方を変えるよ。………『死』を身近に感じたことはある?」
「あるわけ……」ないっしょ!?と言いかけて、ふと『夢』のことを思い出して止まった。
「あるのか!?」
「いや…身近っていうか…。同じような夢を見るんですけど…」
「どんな!?」
「それが、目が覚めた瞬間、いっつも出てくる人物の顔が曖昧になるんですけど」
「それでどんな夢!?」
「誰かが…誰かに刺されて…。で、もう一回刺されるっていうときに別の誰かが間に割り込んできて…。」
うつむいて話してたのに、モドキが満面の笑みになったのがわかって覗くように目だけをあげた。
モドキの唇はおもいきり弧を描き満面の笑みだった。
「あ…あの?」
人が死ぬ夢の話をきいて満面の笑みになるって…この勇者ちょっと人格に問題アリ?
「うん。君だな。」
モドキはホッとしたように、大きく息を吐き出した。
背もたれれにどっしりと背をあずけ、高い天井を仰いでいる。
「……何の話です?」
「こっちの話。」
「……わけわかんない。あなた、本当に会話のキャッチボールができませんね。これならどれだけ対面してても無駄だわ。話が通じないなら帰りますね?」
「おっと!」
立ち上がろうとした私をモドキは片手で制した。
「まずこれを説明しなきゃならないんだった。えっと、まず、君は今日からここに住むんだ。」
私は彼の言葉を頭の中で10回は繰り返したと思う。
「………………………………今、なんか、冗談言いました?あんまり面白くない感じの。」
「ん?言ってないよ?」
「そうですよね。言うわけないですよね。ああ、びっくりした。」
「ん?そうじゃなくて、『冗談は』言ってないってこと。」
「………………………………え?」
「だから、君は、今日から、ここに住むんだ。」
「…………噛んで含めるように言われたところで通じんわ!!!帰りますっ!!」
「だから、君が帰る家は、もう無いんだよ。」
「………………………………はぁあ?」
「あのアパートはもう引き払った。途中退去の違約金とか、手続きの諸々はこちらで済ませてある。ついでに言うなら、 Geef企画も、もういかなくていい。」
「な…何を言って……」
「退職願いはもう出した。君は今日からここに住んで、それで、気が向いたときでいいし、ちょっと片付けなんかをしといてもらえると嬉しい。もちろん、毎月ちゃんとお手当ては出すよ。」
「住み込みの愛人ってこと!?てか、よりによって私!?もうちょっとマシなのがいたでしょうよ!?」
「俺、一言も愛人なんて言ってないよね?君こそ会話のキャッチボールできなくない?」
「愛人じゃなきゃ何!?奴隷!?てか、私、パニックなの!パニックなのよ!昨日からずっと!」
絶叫した私の剣幕に、モドキはのけぞった。
「ちょ…落ち着いて?」
私は何度も何度も深呼吸した。
ゼェゼェと呼吸があがる、。
「落ち着いて…いられる人間がいたら…紹介してほしいわよ。あのね?あの仕事をクビになったら、本当に困るんです。中学もロクに行かなかった私が、恩人の紹介でやっと就職できた会社なんです。それでなくても転職先なんかみつかりっこないのに、こんな突然、無責任な辞めかたしたら、もうどこにも働けるところがなくなっちゃう。そうなったらもう夜の仕事しかなくなっちゃいます。身売りだけはしたくないし、したところで器量もよくないから安く買い叩かれるんです。……ああもう!急いでコエダメに手違いだって言わなきゃ…。」
スマホを手にとった私の手を、グイッとモドキが引っ張った。
「手違いなんかじゃない。」
低く、怒気をはらんだ声に私はビクリと身を縮ませた。
本性をあらわしたな、モドキめ!
「世間知らずなのは君のせいじゃない。けど、あまりにも無防備が過ぎる。君が置かれていた環境は、異常どころじゃない。奴隷だってもうちょっとマシな扱いを受けてる。」
背もたれからムクリと身を起こしたモドキは圧がすごくて、私は体が固まったように動かない。
ひょっとして「拘束」でもかけられたんだろうか?なんて。
「いいか?君がしてた仕事量は、普通の人間の五倍だ。その証拠に、君を辞めさせるとあのクソ所長に言ったら、本社の派遣会社に大至急五人派遣してくれと要請があった。なのに君の給料ときたら、クソの役にも立ってない、あのとなりに座ってるトカゲ顔の半分ときてる。」
クサッタミカンのことだ。
「あ、あいつはああ見えて良い大学を出てて……」
「学歴で仕事ができるわけじゃない。今のご時世、ロクでもない学歴主義の会社でもない限り、仕事は出来高で評価されるべきだし、フージマル・コーポレーションを始め、末端の子会社に至るまでトップダウンでそう指示しているんだ。だから、俺はあの会社に潜入した。インプットとアウトプットの不自然さを調査するためにね。」
「あ…あなたって…。」
「こっちの世界での俺は、フージマル・コーポレーションの会長の孫。現社長の息子だ。」
「お、お、お、御曹司。」
私は今日イチのけぞった。
「子会社の仕事もちょっとは手伝ってるけどな。今回の潜入は、面白そうだから俺が言い出しただけ。普段は自分で立ち上げたアプリの会社を個人で運営してる。部下が数名いるだけの会社だけど、売り上げでこのマンションが一棟買えるくらいは稼いでる。」
「は…はぁ…。」
説教からはじまったあまりの情報に、職を失った焦りもわすれて呆けてしまう。
いやいや、そんな場合じゃない!
「お、おっしゃることは、わかりました。わ、私の待遇が理不尽で、改善してくださろうとしたことは感謝します。な、なんでそんな親切にしてもらえるのかわかりませんけど。で、でも、それをそっくりそのままGeef企画に伝えて改善を要求すれば済む話で、なにもこんな急に辞めなくてもよくないですか?社会人として無責任では……。」
「社会人どうこう言うなら、あの経営者こそ理不尽で非常識だろう。君を一秒でもあんな反吐がでる環境に置いておきたくなかったし、あのお化け屋敷みたいなボロアパートもさっさと引き払わせたかったんだ。」
なんだか、印象最悪なコミュ障男が、急にヒーローみたいなことを言い出したけど…。
そもそも現実世界ではこの人とは縁もゆかりもないわけで……。
「あの……。そもそも、現時点で私はあなたとは縁もゆかりもないので……。いや、同じ空間の空気を一ヶ月ほど吸ってたって程度の『顔見知り』ではありますけれども……。」
モドキが苦しげにTシャツの胸のあたりをギュッと掴んだ。
持病で胃痛でもあるんだろうか。
「……まぁ、とにかく、ここがイヤなら俺の会社の事務でもやってくれりゃいい。ちゃんとした雇用契約書も用意する。もちろん、あのクソ会社とは比べ物にならない待遇だとおもってくれたらいい。それでも、どうしても俺の下で働くのがイヤっていうなら、ちゃんと新しい仕事を紹介するよ。」
だから、そこまでしてもらう義理は全くないんだけど……。
なんて、もはや言えそうな雰囲気ではなくてのみこんだ。
ここまで言われたら、頷く以外の選択肢は私にはなかった。
だって実際、私には目下、住むところも仕事も、ないらしいんだから。
非常識な話だ。
今日初めて話した人間の家で、これから住み込みで働くんだって。
でも、カワウソも二足歩行でしゃべってるし、もうなんでもいい気がしてる。
「その前に、色々と説明しないとだね。」
「そりゃもう、是非とも、じーっくりと、お願いできます?」
長い話になりそうだった。