4 屋上に、居る。
昼休みのベルが鳴り、私は屋上に向かった。
とにかく、藤井風雅が本当に私の小説に登場するフーガなら、なぜこの世界に居るのか、それから私にカワウソを送りつけたのはどういう意図があるのか、聞きたかった。
ここは普段わたしが一人でお弁当を食べている場所なんだけど、他の人は滅多にこない。
このビルはGeef企画以外にもいくつか会社が入っていて、オシャレなカフェや安価な社食がついているし、お弁当を食べるなら会社の前の道を渡れば景色の良い公園があるから、わざわざこんな、ベンチの一つもない、エアコンの室外機しかない、殺風景な屋上に来る必要がないからだろう。
私が屋上に着いてしばらくすると、のっそりと藤井風雅がやってきた。
「どうして呼び出されたのかわかってますよね?元勇者のフーガさん。」
私の呼び掛けに藤井風雅はピタリと動きをとめた。
前髪と分厚いメガネに瞳が隠れているし、そもそも私よりだいぶ背がたかいから見上げる形になって、どんな表情をしているのかはわからない。
「元勇者、ですか…へぇ。」
初めて聞いたかのような反応だった。
「すっとぼけても無駄ですよ。あ、あなたのところのカッ、カワウソが、昨日からウチに居るんですから。」
ものすごい覚悟を決めて、私はそう言った。
『元勇者のフーガさん』
『あなたのところのカワウソが昨日からウチに居る』。
どちらも文法的には間違っていないけど、現実世界では非常に間違ったセリフだ。
この人は本社からウチの事務所の視察に派遣されてる社員さんなんだし、今すぐ所長のところに走っていかれて『おたくの安寧さん、頭ヤラれてますよ?』って告げ口されて、職を失う羽目になってもおかしくない。
心臓からドックンドックン脈打ち、額に脂汗を滲ませながら、相手の返事を待った。
ほんの数秒のはずなのに、めちゃくちゃ長いって!!
「カワウソが…ねぇ。」
「そ、それはどういう反応なんです?」
藤井風雅の反応が鈍すぎて曖昧すぎて、待っていられなくなってしまった。
『ああ!みつかっちゃいましたか!』でもなく、『僕はカワウソなんて知りませんよ』でもない、超微妙なこの反応。
何を考えているのか全くわからなくて、すごくイライラする。
「いえ、別に…。なるほど。」
これまた超微妙な反応。
「だ、だから何!?私、セーフなんですか!?アウトなんですか!?」
聞きたいことと趣旨はズレてるけど、カワウソが家にいるとかアンタが送りつけてきたんでしょとか言ってるわたしは、セーフなの!?アウトなの!?
先にそれだけでも知りたいわ!
「…はぁ?何がセーフでアウトなのか、ちょっと意味わからないんですけど…」
「私だってわかりませんよ!とにかく昨日からずっとパニックなんですから!でもとにかく、カワウソはセーフなんですね!?」
「はぁ…。つーか、思い出した訳じゃネェのかよ。ウケる。」
「何を!?」
クヒッ……クヒヒヒッと、非常に性格の悪そうな笑いかたで藤井は笑った。
この人、会話のキャッチボールが全くできなくて、すごくストレスがたまる。
「逆に聞きますけど、それで安寧さんは、僕を見て何とも思わないんですか?」
「はぁ!?どういう意味!?何を思えっていうんですか!?」
質問に質問で返すし!
突然なにを聞いてんだ!?
中身のない不毛な会話が続いたあとフーガの唇がクイッとイヤな感じに弧を描いた。
「アハハ!なぁんとも、思わないんだ!」
ものすごくイヤな感じの言い方だった。
彼の意図はわからなかったけど、馬鹿にされているってことはハッキリわかる。
私は色々とパニックで興奮ぎみだったテンションがスッと下がった。
(この人、ものすごく性格が悪い。)
「……何なんです?あなた。何者なの?ごまかしてばかりいないで、私の質問に、的確に、早く答えてください。あなた、この会社にきてからずっと私のこと見てたでしょう?」
くっ、と一度息を詰まらせてから、フーガは嘲笑うような笑い声をあげた。
何がおかしいのか、声をかけるのもイヤなほど。
今日限りでこの男とは話しをしたくないと思った。
「安寧さん、自意識過剰〜。」
「……。」
性悪の挑発にのるつもりはない。
「僕は別に、あなたの後ろにある時計を見てただけですけどぉ?それともあなた、そんなに見られるほど魅力的なんですかぁ?いつも見られてるんだ?」
カッと顔に血がのぼった。
確かに、私には人の視線を惹きつけるような魅力なんかない。
それに、別にそういう目で見られていたと思っていたわけではない。
この人は単に、私の自尊心を傷つけたいだけでこういう発言をしているんだとわかる。
怒ったり恥いったりすれば、相手の思う壺だ。
「別に、あなたがそういう目で私を見ていたなんて、私、一言も言っていませんけど。そちらこそ、自意識過剰では?」
スン、と言い放った私に、愉快そうにひん曲がっていた口がまっすぐになった。
不気味だ。
「まぁ、いいですけど。大体わかってきました。その『カワウソ』の出所がわからないから、俺のところに確認に来たってことでいいですか?」
「そうですけど。いい加減に答えてもらえます?あなたは何者で、何のためにあのカワウソを私のところに?」
「僕は元勇者。カワウソが安寧さんのところに行ったのは…勝手に行ったから、知りませんよ。本人はなんて?」
「『興味があった』って。それ以上は勝手にしゃべったら『主どの』に怒られるからって、何も言わないんですよ。」
「じゃあ、そうなんでしょ。カワウソが何に興味があるかまで、俺は知りませんよ。」
「あなたのところのカワウソでしょ!?」
「会ったならわかってますよね?ペットじゃないんだから。家に閉じ込めたりヒモでつないだりできないですもん。」
それはそうだろう。
言っていることは理解できる。
あっという間に、昼休みが半分過ぎたことを表すベルがキーンコーンと鳴る。
「おっと、おかげで昼飯食いそびれるじゃないですか。ったく、呼び出すならカフェとかにしてくださいよ。」
「……そんなお金ないもの。」
「……あ、そっか。……クックッ。」
そういえばそうだった、というふうに頷きながら、元勇者は笑う。
藤井がズイっと私に近づいた。
本能的に、私は少し後ずさってしまう。
「いずれにしても、こんなとこで話せる内容じゃないんで。あそこ…」
クイッと顎をしゃくった先に、防犯用のカメラが。
こんな屋上にまであるんだ?
だからなんだっての?
話の内容までは防犯カメラじゃ拾えないだろうし、社員二人が屋上で話をしてるからって、何が問題なの?
そう思ったけど、藤井と話をしたくなくて私は黙った。
「スマホ出して。」
言われるがままにスマホを出すと、藤井はそれを取ってトトトっと地図アプリである場所を示した。
「仕事終わったらここにきて。んじゃ!」
「ちょっ……仕事終わりなんて何時になるかわからないんですけど!?」
「三階のテイクアウトのサンドイッチでも買うかな〜〜。」
私の呼び掛けは無視して、振り向きもせず、藤井風雅は去っていく。
「………なにあいつ!!」
私の知りたいことに何も答えないまま、元勇者は去った。
フーガなのか、元勇者なのか、カワウソとどんな関係なのか、そもそもどこから来たのか。
あいつは何も明らかにしなかった。
今日ここで会って、最初から最後まで、ものすごく不快だ。
あいつ、すごくキライ。
あんなヤツが「フーガ」なわけあるか。
「フーガ」は、フィクションの中に私の理想を集めに集めた完璧な人なんだから。
あんなキモくて嫌味で性格の悪い男が、私のフーガ!?
冗談は顔だけにしとけっての。
フーガモドキめ!
今日だけ!
関わるのは今日だけ!
今日、仕事終わりに話を聞いたら、もう二度と関わらないから!
私はそう心に決めた。