回想6 勇者の帰還
気がつくと懐かしい俺の部屋のリビングに仰向けに倒れていた。
慌てて起き上がる。
着ているものはビースタリオード王国に居たときのまま。
背中のバックパックをおろしてたぐりよせ、中を確認した。
スマホの電源を入れる。
丸一年電源を入れていなかったのに普通に起動して、重電は何故か100%あった。
日付は俺がビースタリオード王国に飛ばされた日と同じ。
「気がつかれたか勇者殿ぉ」
間延びした声に思考が止まった。
俺は最大限に目を見開く。
リビングに、カワウソが、居る。
あちらでは慣れきった存在だが、時分のリビングで見るとなるとすごいインパクトだった。
その後ろからひょっこりチータリアまで顔をだした。
「某は勇者殿に一生ついゆくと誓いをたてたではないかぁ。なんと水臭いことをぉ。」
「結局来たのかよ!?こ、こまるよ!こっちにはオッターリンみたいなのはいないんだ!みつかったら大変なことになる」やっとこっちの世界に帰れて頭が現実にも戻りきってないっていうのに、なんてことだと頭をかかえた。
「しかもチータリア!お前までなんでついてきた!」
「わたくしはオッターリン様の一番弟子を自負しておりますゆえ、師匠の行くところにはどんどこどこまでもついて参りますよ!しかも、聞けば、なんとこちらの世界は『創造主様』がおわすそうではございませんか!」
「オッターリンもたいがいだけど、チータリアはホントまずいって!なんたって、普通に猛獣じゃん!?」
「んまっ!ちょっと失礼が過ぎるのではござりませぬか!?」
「大丈夫じゃ、勇者殿」
「いや、なんもだいじょうばないよ!?」
「そちら側の生き物には、某らの姿は見えん。」
「は……?どういうことだ…?俺も…?」
「勇者殿はこの世界の住人であろう?だから大丈夫じゃ。厳密に言うと、某とチータリアはこの世界の少し手前の層におるゆえ、実体としての我らを見ることができる者は余程の能力者か我らと同じ世界から来たもの、それから、勇者殿のような異界から帰還した者ぐらいじゃ。」
「な…なるほど………?」
仕組みはよく分からないし、目の前にいる猛獣が他人の目には見えていないというのは信じがたいことだが。
「おっ…。」
オッターリンが目を細めて俺の肩のあたりを見た。
「勇者殿がこちらに帰ったことによって、こちら側で欠損していた『状況』 が色々と補完されてようであるぞ?ひとまず姉上と連絡をとるのが良かろう。さて…某はまず、この世界の何たるかを学習するかの。」
オッターリンは眼の前にステータスバーのようなものを立ち上げて俺を見ながら言った。
俺も慌てて胸の前ほどで手をかざすと、自分自身のステータスバーを立ち上げた。
《ステータス・帰還、タスク・情報収集(姉に連絡)》とある。
その瞬間、スマホが鳴った。
「姉」 と画面に出ている。
「…もしもし…」
「あ、風雅?先方から確認があったんだけど、明日は始業からでいいのかな?」
「姉ちゃん……あの…明日って…?」
「Geef企画に潜入する件だけど、どうかした?」
「潜入って…」
理沙が元居た会社だ。
「ちょっとあんた、こんな時間から酔っぱらってんの?いい大人がだらしない生活してんじゃないわよ?」
「ち、違うんだ!えっと…、お、俺、ちょっと倒れて頭ぶつけたみたいなんだよね。そ、それで、なんか色々覚えてなくて!最近のこととか!」
「はぁ?ふざけてるなら切るよ。酔いが冷めたころに…」
「マジで!!マジなんだって!!日付とか昨日なにしてたとか、とにかくなんもわかんねぇんだって!!酒なんか一滴も飲んでねぇけど、気づいたらリビングに転がってて、その前後のことがわかんねぇんだ!」
「だから、昨日の夜飲み過ぎて寝たんでしょうが!」
「だったら飲む前のことと飲んだあとの予定はわかるだろ!?それがわかんねぇんだって言ってんだ!」
「……ちょっと待ってて。今から行くから。」
姉のマンションはここから徒歩圏内だ。
30分もたたずに姉が来た。
横に立っているオッターリンとチータリエルに、姉は全く気付かない。
俺は自分の記憶にピースを一つずつはめていった。
俺の記憶と齟齬があるところは書き直して。
二年前にこの世界から姿を消した俺の存在は、再び俺が現れたことによって俺の知らないピースが嵌め込まれていた。
ちょうど俺が理沙の小説を姉に紹介したところから、俺の不在は始まった。
理沙とのやりとりは姉が行い、小説は無事に出版されている。
俺のバックパックに入っている小説とは装丁が違う。
「小説の話なんかどうでもいいでしょう?それよりあんたのアタマどうしちゃったのよ。ローリエ総合病院の院長に連絡つけてあげるから病院にいきましょうよ。休日でも私が頼めば診てもらえるから。」
「いや、体に不調があるわけじゃないし、その小説は俺の記憶に…その…重要なんだ…、多分。」
「はぁ?言ってることホントにおかしいよ?着てる服もおかしいし。そんなのドコに売ってるのよ。」
しまった。
服を着替えてなかった。
「それに、なんかあんた、すごく獣くさいわ。」
姉の顔がこわばり、顔色が悪くなる。
「ごめん、心配かけて。わかってる。ちゃんと病院には行くし、その前に風呂に入って着替える。けど、とにかく、記憶を確認する作業だけはさせてもらえないか?明日以降だと姉貴も仕事があるだろ?」
「…ほんとにちゃんと病院に行くのよ?明日ね?潜入どころじゃないし、他の方法を考えるわ。」
「大丈夫だよ。ちゃんと予定通り行くから。今日は急な体調不良ってことで、あとで自分で連絡をいれるよ。」
俺は「記憶」を整理した。
大学院に行きながら、俺はウチの会社を手伝っていた。
これは前と同じ。
最近、経理部から親父にこんな話があった。
無理を言っても必ず仕事をあげてくる優秀な下請けの業者があるのだが、そこの社員数が所長を含めてたった15名ほどだとわかった。
頼んでいる仕事はたった15名で仕上げられるようなものじゃない。
あまりブラックな業者を抱えていると、このご時世、査察でも入った日には親会社に火の粉が飛んでくるけど大丈夫だろうか。
…というような話だ。
親父が姉とリビングでその話をしているときにたまたま居合わせた俺が、派遣社員としてそこに潜入するのはどうかと提案した。
本社から見習いとして社会勉強させてやってくれないかという体で。
フジマール・コーポレーションが抱えている派遣会社に登録して、そこから派遣社員として働く形だ。
姉が母に言ったらしく両親からもそれぞれ病院に行くように電話がかかってきたので翌日は病院でMRIを撮って脳の精密検査をした。
当然ながら異常はなかったが、足をひっかけて後頭部を打った衝撃で記憶が混乱しているのだろう、という診断が出た。
ところが。
翌日から出勤する予定だったのが、予定が変わった。
『水盆』で理沙の職場を覗くと、数日前から俺の格好をした誰かが俺として既に勤務しているのだ。
「…誰だ…こいつ。」
こいつが理沙の殺害に関わっていることは、ほぼ間違いないと思った。
ダサい格好をしたときの俺にそっくりなコイツは、いったい誰なんだ…?
「ほぅ。これはまた。邪悪きわまりない。」
俺の肩越しにピョコンと水盆をのぞきこんだオッターリンが言った。
「邪悪?見てわかるのか?」
「もちろんじゃとも。こやつが使ぅておるのは魔術ではござらん。妖術じゃ。黒魔術とも言うが。おおかた、スライムの皮でもかぶって化けておるのじゃろうて。魔力らしい魔力も感じられんのに、こうもそっくりに擬態できる技など、某には他に思い付かん。こいつはスライムをかぶっても同化、すなわち溶解されぬほどに、スライムを越える邪悪さを備えておるということじゃ。」
俺は水盆越しに理沙を見た。
生気のない暗い目。
酷い顔色。
無造作にひとつにまとめられた髪。
俺に出会う前の酷い生活の延長で、こんなになってしまっている。
Geef 企画のデータを覗くのは簡単だった。
派遣初日の社員が開けるようなサーバーの丸見えのところに、経理のファイルが置いてある。
給与は所長が管理しているとかで、そこだけパスワードがかかっていた。
…が、ハッキングするのに3分もかからなかった。
理沙は、誰かにずっと、搾取され続けている。
されていることさえ、気づかずに。
犯人は間違いなく、そのことと関係ある。
出会った時の違和感を、もっと追求しておくべきだった。
ありえないほど貧乏で追い詰められていた理沙。
俺の元で豊かに暮らしているのだから、もう過去を追求する必要なんかないと思っていた。
あの時こうしていればなんて考えてる暇はない。
今にも理沙に危険が迫ってるじゃないか。
「この、見るからに悪そうなヤツをブチ◯ロすのかの?」
愛くるしい見た目からとんでもない単語が飛び出したことにポカンとしてしまう。
「まぁ、まずは感動の再会かの?」
オッターリンのセリフに、俺は今の状況を考え、ガシっ…と頭をかいた。




