17 記憶の中に、居る。
長い長いはずの詩亜のモノローグはものの数秒で私の頭の中に流れ込んだ。
何かを頭の中に詰め込まれたみたいに、ズシリと重い。
たった一人、大切だと思っていた人に、これほど恨まれていたという現実はちっとも頭に染み込まない。
「大ッキライだったよ!ずっと!アンタのことがね!!」
聞いたこともない粗野な口調、見たこともない軽蔑の表情。
何度でも疑わずにいられない。
この人は…本当に…詩亜なのだろうか?
目の前の人物がどれほどわたしのことが嫌いか、実によくわかる。
私を殺して、異世界に飛ばされた…?
なら、どうして私は生きてるんだろう?
自分と詩亜の記憶の洪水で呆然とする私に気づかず、詩亜の姿をした女が唾を飛ばしながら怒鳴り散らしている。
「テメェが自分のこと事故物件っーたびに、絞め殺してやりてぇと毎度思ってたよ。テメェが事故物件なら、アタシは何なわけ?テメェの親はよ、死んじまったかしんねぇけど、テメェは親に愛されて育ったんだろが!遺すモンも遺してもらってよ!だのに、この世の不幸、全部背負った見たいなツラしやがって…クソ腹のたつ!」
詩亜はご両親とも病気だから施設に預けられたのだと聞いていた。
そのまま他界してしまったと。
そう私に言ったのは、詩亜じゃないか。
同情してほしかったなら、本当のことを言えばよかったのに。
絶体絶命のこんな状況なのに私はやけに冷静だった。
だんだん現実が頭に染み込んでくる。
この人は…間違いなく…詩亜なんだと。
「さぁて。そんなことはもういいわ。ぐずぐずしてる暇はないんだもん。一秒でも早く、テメェを始末しないとね。あ、心配しないで?今回は痛くないよ。アンタの事殺して、またどっかに吹っ飛ばされたらたまったもんじゃないからね。生きたまま、ブラックホールに、沈めてやんよ。」
詩亜の両手から真っ黒な煙のようなものが放出され、次第に円形を描いていった。
(ブラックホールを武器にしてる『聖女』なんざ、聞いたことないわ。)
頭は冷静だけど、やっぱり怖いものは怖かった。
あの穴に吸い込まれたら、時間の感覚がなくなって、年もとらず、永遠に真っ暗な空間をさ迷い続けることになる。
「さぁ~もうちょっとでできあがるよ~?」
ぶわり、と詩亜の手の中の黒いものが大きさを増した。
その瞬間、ぶわり、と『過去』の記憶が私の中に蘇った。
彼と…風雅と出会って過ごした、甘くて切なくて幸せな記憶。
時間が止まったように、いや、時間の流れがものすごくゆっくりになったのか。
ゆっくり…ゆっくりと詩亜姉ちゃんが、こちらに向かってくる。
数秒に1センチほどの動きで。
眼の前のその光景と別に、頭の中に、別の光景走馬灯のように流れる。
私と風雅が…今日とは違う服装で焼き肉を食べていたり…タワマンのソファーで寄り添っていたり…。
(そうだ…私と風雅は…)
久しぶりに、誰かに守られている実感。
誰かの温かさに包まれる実感。
誰かを好きだという実感。
私は、再び、『自分も幸せになっていいんだ』 と思えた。
はじめは自分では風雅と釣り合いがとれないとしり込みしていた恋だったけど。
二人で過ごす時間が他の何にも代えがたいものになっていった。
風雅は私の作品を元にオンラインゲームをつくって販売し、それがものすごくヒットした。
オッターリンやチーターが活躍する動物が登場人物のゲームだ。
ある日、いつものように、自転車をタワマンの地下駐輪場に停めていたら、後ろから襲われた。
いきなり背中を刺されたから、抵抗する暇なんかなかった。
前のめりに倒れ、後ろからのしかかられ、犯人の顔も見えない。
口から吹き出てきた血でむせ、私は叫び声さえあげられない。
地面にうつる背中にのった人物の影が、また刃物をふりかぶったのがわかった。
その瞬間、地下に飛び込んできた風雅が詩亜と私の間に入った。
私の顔の横で、風雅の顔が、痛みに歪むのが、わたしが最後に見た記憶。
詩亜の叫ぶ声。
頭が朦朧として、そのあたりの記憶は曖昧だ。
最後に背中から風雅の腕に抱かれていたことを覚えている。
『しっかり…しろ…理沙…』
自分も刺されているのに、わたしを気遣う風雅
そして、幕が降りるように、視界が徐々に暗転していって…
次に目が覚めたときには、引き払ったはずのボロアパートのちゃぶ台の上に突っ伏していた。
中古のタブレットに接続した中古のキーボードに指を添えたまま、画面には「fuuuuuuuuuuuuuuu…」と延々続く「u」の文字。
ものすごく、長い夢を見ていた気がするのに、時計を見ると、タブレットに向かい始めた時から…確か15分しかたっていない。
引き払ったつもりの部屋で、タブレットに向かう自分。
「…?なんで…アパートを『引き払った』なんて思ったんだろ…。覚えてないけど…なんか…夢を見たのね…。」
頬がスースーするのを不思議に思って手のひらで触れたら、濡れていた。
「…えぇ?…泣いてる…?一体どんな怖い夢をみたんだか。」
画面の隅の時間を見たらまだ朝の五時半を少し過ぎたところ。
小説サイトに投稿していた物語に書籍化の話がきて、
一昨日は仕事から帰ったら三度目の校正の原稿が返ってきたところだった。
昨日は土曜日で、編集の志藤さんという女性とTeamsでオンラインで打ち合わせをして、そのあと修正の作業をしていて…。
そうやって……。
二年前に戻った瞬間、私は幸せだった全ての記憶をなくし、また、元通りの生活を送り始めた。
眠る度に何か大切なものを忘れているような気がして、眠るのが怖くなった。
二度目の世界に 風雅はいなかった。
そう、いなかったのだ。
なのに、突然現れた。
こんどは、わたしが全く知らない人物として。
本社から派遣されてきた、社員として。
長い長いはずのストーリーが頭にアップロードされるのにかかった時間はおそらく数秒。
ブラックホールはバスケットボールぐらいの大きさに広がっている。
わたしが繰り返し見てきた夢だと思っていたあの夢は、夢ではなかったということなのだ。
風雅と過ごした日々は幸せだった。
でも、私は自分に自信がなさすぎて、どうしても、彼の想いが信じきれなかった。
身を呈して、命がけで私を庇ってくれた風雅に、私はようやく、彼がどれほど私を愛してくれているのかを知った。
彼を信じられなかった馬鹿さ加減に、自分が情けなくなった。
私とさえ出会わなければ、彼はこんなことに巻き込まれずにすんだのに。
私なんか庇わなければ良かったのに。
口から血を吐き出して私を抱きしめながら痙攣する彼の姿が薄れ、私はありがとうも大好きも、一言も発することさえできずに死んでいった。
あのとき、私は心の底から願った。
神様、どうか、いるならどうか、彼の命を助けて!
私なんかに関わらずに、彼らしく、幸せに生きられる人生を、どうか彼に!!
どうか!!
最後にそう祈ったことを思い出した。
そう祈って…目覚めたとき私は、慣れ親しんだボロアパートの机の上で突っ伏していた。
大切な人の何もかもを、全て忘れて。
***
「もうすぐ…!もうすぐだよ!!アハハ!アハハハ!!」
詩亜が狂ったように笑い出した。
その時だった。
明るい光とともに、風雅が駐車場に飛び込んできた。




