プロローグ
夜空に浮かぶ、大きが違う三つの天体。
地球でいうところの月のようなものだ。
大きさも色も月とは全く違うけれど。
その天体どうしの距離が徐々に近づきつつある。
「勇者どの、本当にやるのかの?貴殿も無事ではす済まぬかもしれぬのじゃろう?」
もう何度となく繰り返してきた質問を、カワウソそっくりの使役獣が最終確認とばかりに俺に耳打ちする。
「大丈夫だ。勝算はある。それに、今はこれしかあの子の所に帰る方法を思い付かないんだから、やるししかないだろ。」
「頑固じゃのぅ……。」
説得をあきらめた使役獣は自分の持ち場に戻った。
月蝕や日蝕のように、年に一度、三つの天体が一つに重なる現象をここでは『陰』と言う。
天が『陰』になる時、魔王の永遠の命の中核である『隠されし魔王の心臓』を守る結界が緩む。
封じても封じても魔王が数十年に一度復活するのは、この『心臓』があるからだ。
心臓に俺が持つ『勇者の剣』を突き立てれば魔王は完全に消滅する。
「封印」ではなく、完全なる「消滅」だ。
つまり、それ以降、一切、新たな魔王でも誕生しない限り、この王国の人々が魔王の復活のなんのと振り回されることはないということ。
歴代のどの勇者が何年かかっても成し遂げられなかったその偉業を、俺はここにきて一年で成し遂げようとしている。
「まさか、王都のど真ん中の女神像の下に魔王の心臓が眠ってるなんて、誰も思わないよなぁ……。」
ため息とともに、小さくひとりごちた。
誰も知らなくたって俺は知ってるんだ。
ーーーだってここは、俺が創ったゲームの世界なんだからーーー
俺が合図をしたら、さっきの使役獣が女神像と俺を閉じ込める結界を張る。
魔王の心臓は消滅に際して凄まじいエネルギーを放出するからだ。
俺は破壊のためのエネルギーを剣に注ぐから女神像の周りに結界を張れるほどの余力はない。
その中で剣を突き刺す手はずになっている。
実に、王都ごと破壊できるほどの爆発が起こるはずだからな。
一つ目の天体が、二つ目の天体と重なった。
俺がゲームのストーリー通りに人生を歩むのであれば、こんなシーンは存在しない。
魔王が封印され、勇者が帰還した日、国王から勇者、つまり俺に褒賞が与えられる。
国王は勇者自身を褒め称え、褒賞という枠を大きくこえ、自身の一人娘である美しい王女との結婚が提案するのだ。
つまり、勇者は王配としてでさえなく、次期国王として、この国そのものを譲り渡そうというのだ。
勇者と王女は互いにひとめぼれし、末長く幸せに暮らす……ことになっている。
……あくまでも、ストーリー通りであれば。
だが俺は帰る。
俺にとって、世界でただ一人の、大切なあの子の元へ。
俺が危険をおかしてまで「封印」ではなく「消滅」を選ぶのは、世のため人のためではない。
完全に、自分のためだ。
心臓が消滅したあとに残る「時元の鍵」をゲットするためだ。
このアイテムがあれば、俺がいるこの世界に連なる別の階層へと自由に移動できるゲートを開くことができる。
ここ、ビースタリオード王国は、ある物語に連なる六つの階層のうちの一つ。
ここに飛ばされた日、俺は「水鏡」であの子が居る階層の存在を確認した。
水鏡とはのぞきこんだ者の力を媒体として、その者が見たいものを写してくれる鏡だ。
このゲームには口頭での説明程度でしか存在しなかったものだけど、続編ではそのアイテムを登場させるつもりだった。
異世界第一日目にして、この世界は既存のゲームと俺の頭のなかにあった続編のアイデアが少し混ざっていることに気づいた。
水鏡だって、登場するのは続編からの予定だ。
ただ、目下俺はここに居るわけだから、続編がこの世に誕生するのは俺が無事に元の世界に帰れてからということになるんだけど。
ゲームの勇者は「時元の鍵」なんかわざわざ手に入れず、王女との結婚生活を謳歌した。
つまり、元の世界に帰るなんて言い出す勇者は俺が初めてだ。
「時元の鍵」ゲームの中では『そんな選択肢もありますよ』と神官の一人が会話のついでにチラリと言及した程度のアイテムで、実際のゲームにはそれを選択するコマンドさえない。
実質、王女と結婚する一択でストーリーがすすみ、エンディングのテロップが流れる。
……まぁ、そんなわけだから、俺のこの「とどめの討伐」が成功するかどうかの保証はないってわけなんだけど。
「…………いいや。この方法がダメなら、他の方法を探すさ…。」
俺は、絶対に、どんなことをしても、あの子の元に帰るんだから。
《間もなくじゃぞ…勇者どの……ここはそれがしの、腕のみせどころ!》
《ああ、頼りにしてるぜ、大賢者どの!》
頭なかにテレパスでカワウソが語りかける。
三つ目の天体が重なった。
「今だ!結界を展開してくれ!!」…………。
*****
スマホで自作の物語をそこまで更新して、私は顔をあげた。
(スマホで更新すると誤字が多いから、帰ってからタブレットで確認しないと……。)
ここは都内にある懐かしいジャズが流れるレトロなカフェ。
店内の時計を見ると待ち合わせ時間まであと二分。
(あの時計はスマホより少し進んでるから、実際はあと五分ね。)
窓の外を見たら、サラサラのセミロングを揺らしながら、詩亜姉ちゃんが早足でこっちに向かってくるのが見えた。
スラリとした長い手足の、色白のモデルみたいな美人さんだから、人混みの中を歩いていてもすぐに見つけられる。
待ち合わせまで時間があるのに、窓辺に座る私の姿を遠くから見つけて急いでるんだろう。
店内にキース・ジャレットの「ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド」が流れる。
亡くなった両親が好きだった曲だ。
父がアコースティックギター、母がピアノで、二人の結婚式でも演奏したらしい。
昔懐かしいジャズの名曲が耳に優しい音量で流れている。
カウンターの中に厳ついマスターが立っていて調理をしている。
オーブンなどは奥の厨房にあるようで、時々奥にひっこむ。
厨房では背の低い大人なのか子供なのかわからない女性が働いているのがチラリと見える。
カウンター4席とホールに背もたれの高い二人がけのソファー席が向かい合わせに4セット。
ギュウギュウに入れば20人を収容できるカフェだが、いつも店内のお客はまばらだ。
マスターが風貌に似合わない『可愛い』飲み物や食べ物を作り、お猿みたいな顔のオバサンかオジサンかわからない人、(たぶんオバサン)がホールを仕切っている。
一見、入るのに躊躇する、穴場のカフェ。
(……そういえば、なんで私がこんな入りにくそうなカフェの常連なんだっけ……?)
疑問が頭に浮かんだ瞬間、カラン、とドアの鈴がなって詩亜姉ちゃんが入ってきて、不思議に思ったこと自体が頭のなかからシュワりと消えた。
私は念のためもういちど投稿作品の更新ボタンを押して、スマホを閉じた。
ここだよ~、と、ヒラヒラ手をふると姉ちゃんがパッと笑顔になり近づいてきた。
可愛い。
「時間、まだ待ち合わせには早いから急がなくてもよかったのに。」
「一秒でも早く理沙に会いたいからでしょぉ~。……あ、またクリームコーヒー?他にも可愛いのいっぱいあるのに。」
「これがいいの。この店で一番甘くて、一番安いんだもん。」
「おごったげるのに。新作の『バナナコッタ』だって。可愛い~。」
私の後ろに張ってある新作の手書きポスターに、白いプリン型のものにバナナの耳がささったウサギさん型のデザートの絵が書いてある。
てか、このポスター、マスターかオサルオバさんのどっちが描いてるんだろう?
「あれ頼まない?おごってあげようか?」
詩亜姉ちゃんが言う。
「いいってば。私だって仕事してんだし。」
「相変わらず遠慮深いなぁ~…。」
そういって詩亜姉ちゃんは唇をとがらせながら自分も『クリームコーヒー』を頼んだ。
「バナナの頼めばいいのに。」
私は目を丸くした。
「いいの!理沙と一緒で!」
貧乏な私に律儀に合わせてくれなくてもいいのに。
詩亜姉ちゃんの優しさが、今日もジンと胸に染みる。
平和な日曜の昼下がり。
まさか私が、あんな壮大な恋愛事件に巻き込まれるなんて、この時は思ってもみなかったんだよねぇ……。