12 カフェに、居る
クラッシックなジャズが流れるレトロなカフェのソファー席にフカッと座りながら、詩亜姉ちゃんが言った。
「おととい小枝所長から連絡があったの。理沙が突然仕事を辞めたし、居場所もわからないんだけど何か知ってるかって。びっくりするじゃない!すごい心配したんだよ!?一体何があったっていうの!?」
詩亜姉ちゃんは怒っている。
詩亜姉ちゃんに本気で怒られるのなんか初めてだ。
「ご、ごめんなさい。わ、私の意思ではないのよ?い、いや、今はもう私の意思なんだけど…はじめは無理矢理だったっていうか……。」
私はカワウソの下りは伏せて、会社の同僚に『相談がある』と呼び出されて、行った先が豪華な高層マンションで、その人が勝手にGeef企画の退職手続きをとっちゃったこととアパートをひきはらっちゃったことを説明した。
「はぁあああ!?なにそれ!?理沙、正気なの!?何かおかしな薬でもつかわれた!?てか、ヤバイよ!すぐにその男から離れたほうがいい!」
…………そりゃそうだろうと思う。
私も詩亜姉ちゃんに説明しながら、なんて非現実的な話なんだろうって思ったもん。
……カワウソのことが、なければね。
でもカワウソのことや小説の世界のことなんか説明できるわけがない。
それこそ、今すぐ病院に引きずっていかれるのがオチだ。
大好きな詩亜姉ちゃんに心配をかけるわけにはいかない。
「い、一応、ちゃんとした人なの。」
「まさか男!?ダメダメダメダメ!!絶対ダメ!!理沙、あんた、男性経験がないからって、突然おかしなのにハマらないでよ!」
「は、ハマってないって。そんなんじゃないよ。」
「ふぅん……。大体、なによ。突然イメチェンしすぎじゃん。メガネさえかけてないしさぁ。完全に恋する乙女じゃないの?」
腕組みをしながら詩亜姉ちゃんが言う。
「こっ!がふっ!!」
熱いコーヒーをガブッと喉に流し込んでしまい、吹き出しそうになるのを私は必死に耐えた。
「ちょっ…大丈夫!?」
「だ…じょ…」
震える手で水のコップをとって飲み込み、必死に呼吸を整えた。
目はオッターリンが治癒術で視力を回復してくれたから、必要なくなったのだ。
だけどそんな説明、できるわけない。
「ふぅ…。びっくりした。」
「動揺するってことは図星?」
「違うよ。おかしなこと言い出したタイミングとコーヒーが変なとこに入ったのがたまたま同時だっただけ。メガネは…も、もともとかけなくちゃ見えないほどは悪くなかったの。そ、それにいつも言ってるでしょ?恋愛キャンセル界隈に、恋とか愛とか、そんなワード不要だから存在しないよ。」
「またそれぇ?理沙、かわいいから普通にしてたら普通のいい男がいくらでもいると思うんだけどな。わざわざそんなヤバそうなヤツ選らばなくたって。私が誰か紹介しようか?」
詩亜姉ちゃんが唇をとがらせた。
可愛い。
「だから選らんでないってば!要らない要らない!私みたいな事故物件、紹介されるほうが気の毒だよ!」
「理沙が事故物件だったら私だってそうじゃん。おんなじ施設の出身だよ?」
「事故物件って、施設出身って意味じゃないよ。詩亜姉ちゃんは、自分でちゃんと立ってるじゃん。」
「理沙だって、自立してるじゃん。」
「私は…仕事はしてるけど…立ってるっていうより、ぬる~っと寝てるかな?…タハッ!」
「なにそれ。意味わかんない。とにかく、私にだけでも居場所をちゃんと教えなさい!どこに居るの!?」
私は一応もってきた社用のスマホにもう一回電源を入れた。
「ここ……。地図、送るね。」
そう言ってタワマンのmapをメッセージで送信した。
「……理沙。悪いことは言わないから、とにかく一秒でも早くその人から離れなさい。お金が必要ならしばらくは貸してあげるから。」
「ほんとに大丈夫なんだって!私の話はいいから!とりあえず、いいお給料がもらえるみたいなの。ずっとこのままでいるつもりは全くないから、心配しないで。恋愛キャンセル界隈の恋バナほど不毛なもんはないよ。そんなのより詩亜姉ちゃんの話しようよ。詩亜姉ちゃんこそ、彼氏は?前に好きなひとがいるっていってたよね?もう付き合ってる?詩亜姉ちゃん、かわいいから負け知らずでしょ?」
「それは贔屓目で見過ぎだって。でもまぁ、今日もこのあと、彼の部屋でお料理しようと思って。」
「ひぇ~!もう同棲してるんだ!?」
「それはまだだけど。彼、忙しいから、チンするだけの作り置きを冷蔵庫にいれておいてあげるの。」
「うわぁ~!詩亜姉ちゃん、いいいお嫁さんになるねぇ!」
「昭和のオヤジみたいな発言やめてくれる?」
「えぇ~。だって、詩亜姉ちゃんに想われる人って、すごい幸せそうで羨ましいな~。自由に家を行き来できる仲ってことだもんね。結婚式、いつだろ~!ご祝儀ためとかなきゃ!」
「気が早いって!」
詩亜姉ちゃんが幸せそうに笑うのを見てると私も幸せな気持ちになった。
「メガネ無いのかわいいよ。」
うふふ、と、詩亜姉ちゃんがかわいく笑った。
「あ~あ。なんか、ごまかされちゃった気がするけど。何かあったらすぐ連絡するのよ?」
「ん。いつもありがとう。」
心配してくれる詩亜姉ちゃんの言葉で、心がホワンと暖かくなった。
それなのに突然。
ゾクッ、と背中が寒くなった。
窓でも開いてるのかな?と思って後ろを見た。
でも私の席の後ろは壁で、窓ははめ殺し。
キョロっと見回すと、一瞬、カウンターの中に立っている厳ついマスターと目があってサッとそらされた。
(…たまたま…だよね?…それともこっち見てた?)
マスターが不自然に、カウンターをゴシゴシと布巾で拭きだす。
私達以外お客さんいないのに、カウンター、汚れてたの?
「理沙?どしたの?」
「あ、ごめん。なんでもない。」
「変な理沙~。」
うん。
変だ。
気のせいだな。
さいしょは知り合いなのかと思ったけど、あんな人、知らないもん。
きっと、私があの人の知ってる誰かに似てたんだ。
それより、詩亜姉ちゃんの恋バナのほうが気になる。
「ね~、そのひとの写真とか無いの?」
「写真とられるの嫌いなひとだから無いんだ。でも今度頼んで撮らせてもらうね。妹に見せたいからって。」
姉ちゃんに「妹」って言われると、ホワンと暖かい気持ちになる。
姉ちゃんは、何もかも無くした私の、この世界への唯一の繋がりだ。
「とりあえず、これからGeef企画に顔だしてくるよ。突然辞めることになって申し訳ありませんでした、って、言わなくちゃ。」
「律儀だね。」
「いやいや…むしろ社会人として無責任すぎるでしょ……。」
詩亜姉ちゃんと別れてGeef企画に行くと、ものものしい雰囲気になっていた。
Geef企画はビルの5階に入ってるんだけど、白シャツに黒パンツの男女がその階を出たり入ったりしている。
十数名ほどの社員が所在なく立ち尽くし、コエダメは白シャツに囲まれて青ざめてオロオロしている。
クサッタミカンも居て、私を見て気まずそうに「あっ……安寧さん…」と呟いた。
「草田君、なにこれ?どうしたの?」
「なにこれじゃありませんよ〜!安寧さん、こうなることを知ってて突然辞めたんですか?」
「こうなることって、どうなってるのよ?私は知り合いに強制的に辞めさせられて、今日はそのお詫びに来たのよ。」
「所長が相当な金額の脱税をしてたとかで、会社に監査が入ってるんです。それ以外にも違法な取引に色々と手を出していたみたいで、あの白黒の人たちは監査の人の中にチラホラ検察の人も混ざってるみたいなんですよ。僕ら…僕らどうなるんでしょう…??」
ここはコエダメの個人事業所だ。
つまり、つぶれたら社員は無職。
ミカンのとなりに立っていた企画の女性がつぶやいた。
「無職どころか、我々にも疑いがかかるかもしれないってことでしょう?……勘弁してほしいわ……。」
そのとき私のスマホが鳴った。
モドキからだ。
「ああ、安寧さん?もしかして今、Geef企画にいるのか?」
「!?」
なんでわかった?
アンタこそ私に監視かGPSでもつけてんのか?
私はバタバタと体をはたいた。
はたいてとれるようなものでもないだろうけど。
「そ、そうだけど、なんでわかるんです?」
「それはあとで説明するけど、」
今してくれよ。
「社員の人が心配してたら、ちゃんとその会社ウチかフジマール・コーポレーションが買い上げるから心配しないように言っといて。だからそのスマホは持ったままで問題ない。」
「あ…はい。わかりました。」
会社買うとか、サラリと言うなよ。
「今日は早めに帰れると思うから。」
「あ、はい。」
「草田君。一応この会社はフジマールか、その息子さんの会社が面倒みてくださるそうだから、失業することはなさそう。って、皆さんに言っといてくれる?」
「は?フジマールって、フジマール・コーポレーション!?どこからそんな壮大な話が出てきたんすか?頭おかしくなりました?」
「……私が聞きたいわ。」
「はぁ?」
「とにかく、大丈夫だから心配しないで。私、夕飯の支度があるからもう行くね。」
「主婦!?安寧さん、いつの間に結婚したんすか!?」
「してないわ!!」
早く帰ってくるってことは18時には帰宅するだろう。
早くスーパーに行って食材を調達しなくちゃ。
じゃあ、と言って帰ろうと思ったらまたスマホが鳴った。
「もしもし?」
「トカゲ面に電話かわって。」
トカゲヅラ……ミカンのことだね?
「草田君。新しい社長が、草田君と話したいみたい。」
「えぇっ!?何!?何だろ!?ふふっ…ぼくをいきなり新所長に就任させる、とか!?」
「はい、お電話代わりました、草田です!……え?……え??な……なんで……ちょっ……はぁっ!?そんなっ!!しゃちょ……」
なんだか分からないけど、電話が切れたらしい。
「ちょっ…どういうこと!?僕、お前は今日でクビだって解雇されたんだけど!?安寧!!てめぇ!!僕のこと何つったんだよ!?」
いきなりのキャラ変。
「何も言ってませんよ。そういうキモいキャラがバレてるってことでしょ?気をつけなよ。そのうち彼女にもバレてふられるよ。」
私はミカンからピッとスマホを取り上げて背を向けた。
後ろでミカンが訴えるとか悪態ついてたけど、やれるもんならやってみればいいわ。
モドキはオマエみたいなハエ野郎、一捻りなんだから。
「さ、早くスーパー行かなきゃ。タイムセールが始まっちゃう。」
決戦が待ち受けているとも知らず、私はスーパーに向かったのだった。




