10 セレブなお店に、居る
翌朝は寝坊した。
いつもは目覚ましが鳴る前に目がさめるぐらいなのに。
フカフカの寝床は気持ちよすぎたらしい。
「アンネリーサ殿ぉ~!まもなく朝食ができるぞ~い!」
オッターリンの声で起こされ、ボサボサ頭でフワフワのルームウェアのまま、一流ホテルで供されるモーニングみたいな朝食をとった。
(ああ…これ、どこからかわからないけど、全部夢だ……)
相変わらず夢オチを期待していた私に、モドキが言った。
「食べて顔洗ったら出かけるぞ。君の身の回りのものを色々そろえないとな。」
その言葉で一気に目が覚めた。
やっぱり私がこの家に住むのは夢ではないらしい。
「き、今日は勤務初日ですよ。まずは、掃除する場所とか、買い物する場所とか、具体的に色々とご指示をいただきたいんですけど。」
ここに居るからにはこのモドキは当面の間『雇用主』ということになる。
お給料をもらうからには、ちゃんとしなければ。
「今日は土曜だ。まぁ、のんびりしようよ。あ、心配しなくても休日手当ては出すから。俺の買い物のつきあい、ってことで。」
「と、得しかない…。わ、私、ひょっとして明日死ぬのかな?」
「死なねぇわ。早く慣れろ。」
昨夜は恋愛キャンセル界隈としてあるまじき失態をおかしてしまった。
男という生き物の前で泣く、だなんて。
そしてその男という生き物に言われるがままに、その家に、泊まる、だなんて。
大体、なんだってこんなフワフワした浮かれポンチなルームウェアを着てるんだか。
ボロ着着て河川敷きにダンボールで即席の家建てて寝るほうが、よほど私らしいってもんだわ。
しっかりしなさい、安寧理沙!
こんなことでほだされてたら、これから先、天涯孤独の人生なんてとても生き延びられないんだから!
朝食中、サクサクのクロワッサンと食べたことのオレンジ色のチーズ、フルーツトマトとかいう甘いトマトをいっぺんに口にほおばり、とにかく私は反省した。
カワウソが見えるより部屋にゲートがあるより、私が私らしくなくなることのほうが私にとっては遥かに非現実的で死活問題なんだから。
こういう展開のあとのお決まりどおり、私は高級ブティックが立ち並ぶ都内の大通りに連れていかれた。
映画もドラマも何年も見ていないが、『シンデレラストーリー』を大筋にしている物語ではお金に糸目をつけずヒロインに買い与えてプリンセスに仕立てる話はごまんとある。
何屋さんなのかわからない、オシャレな造りの黒い両開きの扉をあけると、中は昇降可能なオシャレな椅子が3つ並んだ部屋と、バレエシューズをはいても190センチぐらいある美女が出迎えてくれた。
「いらっしゃい。急に連絡してくるんだもん、びっくりするじゃない。」
顔からは想像できない色気のあるハスキーな声でその人は言った。
「ごめん。恩にきる。」
そういって美女に詫びたモドキは私のほうを向いた。
「ここ、会員制のサロンで、いつも昼からしか開かないんだ。しかも完全予約制。」
「他でもないフーガちゃんのためだもぉん。カットぐらいどうってことないわ。さ、バッサリやっちゃいましょうか!」
「はいはい!ちょっと待ってください!」
ビシリ!と私は両手の平を二人のほうに向け、工事現場の通行止めの看板の人みたいにストップのポーズをとった。
「「?」」
「マンガみたいな展開はお断りしますよ。」
モドキとキレイな美容師さんはパチパチと目を瞬いた。
「勝手に私をイメチェンしたりしようとするの、やめてください。」
私の発言に美容師さんはイラっとしたようだった。
「あなたねぇ、フーガちゃんの好意をなんだと思ってるわけ?」
「押し付けですが?」
「……なんですって?」
美容師の声が男性みたいに低く下がり、すごみを増したが私は怯まない。
「自分がなりたいとも思わない髪型にされて、きっとこの並びにある高級そうな服屋さんに行って『この子に似合うものを』とかやるんですよね?」
図星なのか、モドキの目が泳ぐ。
「女の子の夢みたいな状況じゃない!なぁんでアンタは拒否るわけ?てか何様?」
「何様って、それを勝手に夢みたいだって押し付けてくるほうが何様だってんですよ!」
「少なくともそんなダッサイ髪と服でフーガちゃんの隣を歩かれるよりはマシだっていうのよ!」
今の言葉は私の地雷を踏みぬいた。
『ダッサイ髪型』は詩亜姉ちゃんに切ってもらって満足している髪型。
服は、やっと、古着じゃない新品を、予算の範囲で考え抜いて選らんで買ったもの。
「初対面のアナタに私の人生を全否定される筋合いはありません!!」
激昂して真っ赤になり、私の頬を涙さえつたってきた。
きぃっ!もう男の前で泣いたりなんかしないって決めたのにっ!!
「な、なによアンタ……」
私のぶちギレぶりに、美容師はたじろいだ。
横でモドキはおろおろするばかりだったが、私がブチギレて泣き出したのでギョッとなった。
「私は、これで生きてきたし、これからも生きていかなきゃならないんです!一人で!金持ちの道楽に振り回される筋合いなんかないんですよっ!!」
「な……な……なによぉ…この子。めんどくさぁ……。」
美容師は青ざめてあとずさっている。
「違う、理沙、俺は…」
「断りもなく名前で呼ばないでください!馴れ馴れしい!まさか私を藤井さん好みの女性にでも変身させるつもりですか!?あぁ!!ひょっとして、私みたいなのでも、前にフラれた彼女にちょっとでも似てるとか!?おあいにくさま!!私はその人とは別の人間なんです!!」
私がそうまくしたてるとモドキは泣きそうな顔になった。
なによ!先にケンカ売ってきたのはアンタでしょうが(正確にはアンタの友達のこの美容師かもしれないけど)!
「お、俺は君の人生や見た目を否定するつもりなんかこれっぽっちも無いよ…」
「アタシは全否定してやるけどね!」
美容師が横から割って入った。
「マダムは黙ってて!」
「ひ、ひどいフーガちゃん!アタシはあなたの味方してあげてるのよぉ!?」
美容師が涙をちょちょぎらせる。
「わ、ワルイ!いいから!ちょっとだけ黙ってて!」
モドキは私に向き直った。
不本意ながらかっこ良くて、私はちょっとのけぞる。
「君は一応、当面の間は仕事を引き受けてくれた。そうだろう?」
「そうですよ!だってあなたのせいじゃないですか!」
「ああ、俺のせいだ。謝る。でも、引き受けたからには、ちゃんとやるって言ったよな?」
「当たり前ですよ!ただでお金もらうなんて泥棒みたいなことできる神経は持ち合わせてませんからね。」
「なら、これは業務の一環として必要なことだ。」
「ヘアサロンでイメチェンして高級ブティックで洋服買う業務なんか、聞いたこともないわ!!」
「あのな?いいか?言うまでもなく、あそこは高級マンションだ。着るものもそれなりでないと。毛玉だらけのパンツや磨り減って踵がちぐはぐの靴なんか、門木さんがコンシュルジュデスクにいるときならともかく、臨時のコンシュルジュやら清掃係に不審者と間違われて放り出される。『被服費』も経費として請求してくれてかまわないから、ちゃんと『良いもの』を身に付けろ。これは業務命令だ。」
「私の…見た目じゃ…」
「君の見た目を否定してるわけじゃない。TPOってわかるよな?」
「Time, Place,Occationでしょ。」
「そう。場所をわきまえてたからこそ、君は会社にあわせて、その格好をしてたんだろう?」
「そうですが?」
「その格好でドレスの女性がいっぱいの会場に入れないことはわかるよな?その格好でビーチにいけないこともわかるだろ?それと同じだ。その格好は、俺が依頼する業務にふさわしくない。だから、変える必要がある。…………それ以上でも以下でもない。」
「フーガちゃん…だってアンタ…」
「マダム!余計なことは言わなくていい!」
なにかいいかけた美容師を、モドキは食いぎみに黙らせた。
「……ごめん。あとで埋め合わせするから。」
「高くつくわよぉ……。……んで?そこの意固地なアンタはどうすんのよ。引き受けんの?仕事辞めんの?」
「…やりますよ。無責任な人間にはなりたくないんで。」
そういうとモドキはわかりやすくホッとした顔になった。
のびほうだいの髪はバッサリ切られ、ショートボブとかいう髪型になった。
頭が軽い。
派手にケンカしたし、変な髪型にされるかもしれないぐらい思ってたけど、私をカットし始めた美容師は真剣そのものだった。
「いい?アンタはここのアゴのラインが耳から上のラインより短いの。いきなりショートにしたら戸惑うかもしれないから今日はショートボブにしとくけど、本当はアンタはショートが似合うのよ。ショートが似合う女って、なかなかいないんだから羨ましがられるぐらいなんだからね。覚えときな。」
店出た瞬間わすれてやるよ!って意地悪く言い返してやりたかったけど、美容師の真剣なまなざしにそんな意地の悪い発言はひっこんでしまった。
カットされてる最中は目が悪くて鏡まで見えなかったけど、終わってメガネをかけたら、まぁまぁ悪くないなと思った。
私は「意固地」だったのかもしれない。
切った重たい髪とともに、そんな気持ちもすっきりと切り落とした気分だった。
「見た目が変わっても、君は君、だろ?何か変わったか?」
「フーガちゃん…普通の女性は、変身した姿を誉めてもらいたいものよ……。」
普通はそうなんだろう。
でも私は、見た目が変わっても中身が私のままであることを、誉めてもらえたような気持ちになって嬉しかった。
「うん。そうだね。自分がしっかりしてれば、いいんだ。」
なにこの人たち、ほんとわけわかんない、と、つぶやいて、美容師は片付け始めた。
休みなのに無理にあけたから助手がいないんだろう。
「……片付け手伝います。なにすればいいですか?」
「……いいわよ。たんまり特別料金もらうから。アンタはほら、さっさと行って、『業務命令』遂行しといで。」
「マダム、ありがとな。」
「は~い。」
ヒラリと手をふってまた片付け始めた美容師にペコリと頭をさげ、私は予想どおり、サロンの並びにある『いかにも高級そう』なブティックに連れていかれた。
一ヶ月分の月収でもTシャツの一枚も買えそうにない店で洋服を買われそうになったときは、全力で断った。
店員さんはものすごく残念そうな顔をしてたけど。
店を出てすぐ、私はモドキに泣きついた。
「あ、あんなお店の服を着てお掃除や炊事をして、油でも跳ねようもんなら私は卒倒して仕事どころじゃなくなります。せめて…あ、あそこにしてください。」
私はおしゃれなファッションストリートの果てに立つ商業施設の看板に、日本人なら誰でも知っているファストファッションの看板をみつけて指差した。
「あそこの服でさえ私には高価で、手が出ないんです。」
「…もう出るだろ。」
「ま、まだお仕事始まっていませんし、皮算用はいけません。」
「さっき言っただろ?ちゃんと『良いもの』を身に付けろ。」
「い、『イイもの』って言われても限度があります…」
そんなの、身につけたことないから、わからない。
「……わかった。とりあえず、今日は君が言う店のでいい。でも今度はちゃんと、俺がつれて行った店で買ってくれよ?さっきの店も馴染みなんだ。店に行って何も買わなかったことなんか一度もない。ったく。」
「てことは、私以外にも家政婦がいるんですか?」
「はぁ?」
「あ、そっか、恋人とか…。社長はモテそうですもんね。色々寄ってくるって言ってたし…。プレゼントとか、色々もらったお返しとかも必要ですよね。」
ブツブツ言う私の頭はゲンコツでアンクローをかけられた。
「イタタタタタ!!」
「いねぇわ!あれは姉貴の大学時代の友達が経営してる店なんだ。それにあそこの二階ではメンズも取り扱ってる。」
「あ、そ、そうなんですか。い、いたいですっ!」
涙がチョチョギレる私のこめかみから、指がはずされた。
「そもそも、恋人がいるのに、若い女の家政婦なんか部屋に住ませるわけねぇだろ?」
「そ、そうですか。お、お金持ちの考えることはわかりませんし、自分が『若い女性』の界隈に分類される意識もなかったもので…。」
ピッ、と、モドキが前方を指差した。
ショッピングモールのアーケードに、モドキと写った自分の姿は、服こそブカブカのダボダボだけど、首から上は知らない人みたいだった。
カットしたあと、きれいにメイクもしてもらったんだっけ…。
「な?きれいだろ?」
言われた台詞に顔が真っ赤になった。
「ちょっ…何言うんですか!やめてくださいよ!」
「やめねぇわ。俺は思ったことは口にする主義なんだ。悪口以外。」
「とっ、とにかく私には無用なんで!」
そう言うとモドキは「ま、今はそう言うよな」と言ってクスクスと笑った。
ほんと、調子狂いっぱなしだわ。




