9 まだ、タワマンに、居る
バブルバスから出て泡をシャワーで流し、コンシュルジュの『知多さん』という人が届けてくれた部屋着に着替えた。
さっきエントランスで『おかえりなさいませ』と言ってくれた人だ。
普段、私には全く縁のない、女子が大好きなモフモフのルームウェアブランドの部屋着。
なぜ縁もゆかりもないのに知っているかというと、草田実寛が『彼女にクリスマスプレゼントに贈る』って言ってたから。
全く頼んでないのに、後日、彼女が着てミカンの部屋でくつろいでる写真まで見せられて。
とにかく私ごとき者が袖をとおすのを大いにためらわれる『女子女子した代物』だ。
え?夕飯食べてたのに、何がどうなってバブルバスにモフモフ部屋着だって?
それはこういうこと。
***
「オッターリン、そっちの塩とって。」
「ほれ、どうぞ。」
「サンキュー。…お、これ、塩かけたほうが味が絞まってウマいよ。」
「主!それはいかんぞ!」
「何が?」
「今日、昼のトークショーで婦女子の皆さんが言うておったのだが。作った料理に何が足らぬとか一言もの申すのは、ダメ・オッターらしい。…それとも主は人族だかモノ申してもいいのかの…?」
「オッターリン、それ、ダメ・オッターじゃなくて、『ダメ夫』ね。」
つっこまずにいられない。
「ダメオッターを好む女性など一割もおらぬとゆーておった。」
「妻が作ったものに何か言うのはダメだろうね。黙ってそのまま食えってやつでしょ。でも、門木さんは家事代行さんだから、別に感想言うぐらい問題ないでしょ。それを仕事にしてるんだし。」
優雅なカトラリーさばきで料理をたいらげながらモドキが言った。
「…そうなのか?」
どうでもいい会話なのに、涙がこぼれた。
(最後にこうして誰かとテーブルを囲んだのは何年前だっけ。)
そう思ったら、意識していないのに勝手に涙がこぼれていた。
こんなにも、どうでもいいやりとりに涙をこぼすなんて、腹立たしいぐらいだというのに。
最初ギョッとした顔をしたモドキは、何も聞かなかった。
きっと突然泣き出すなんて面倒な女だと思ったのだろう。
そう思ってくれるほうがこちらには好都合だ。
「…このタパスも食べてみな。フォアグラが絶品だよ。」
予想に反して、モドキの声音は、面倒そうでも馬鹿にするでもなく、とても優しかった。
モドキに私のプライベートなあれこれを話した覚えはないけど、社内の噂ででも聞いたのだろう。
同情したのだろうか。
それとも、モドキの知っている私は、モドキに身の上話をしたりしたのかな?
モヤシ換算の話までするぐらいだし?
「…タパスって……なん…ですか…。ふぉ、フォア…グラも…知り…ません。」
かなり無理があったけれど、全く泣いていないかのように、嗚咽の合間に返事をした。
「…ちゃんと泣くほうがいいよ。気なんかつかわずにさ。圏外の俺の前で、気ぃつかう必要ナイでしょ。」
……別に圏外なわけじゃない。
普通に格好いいと思うけど、単に私が恋愛とは無縁というだけの話だ。
「こんなっ……にっ…なるからっ……」
絶対こんなふうになると思ったから、誰とも関わるのを避けてきたのに。
「だとしたら、なおさらだよ。安寧さんが幸せになるためには、避けて通れない道だと思うけどな。」
「そんなっ!不確かなものっ!要らないって言ってるんですっ!!恋愛っ…キャンセル…界隈にっ…んぐ!」
「…………まぁ、いいから食べなよ。」
私の言葉をさえぎって、私の口に『フォアグラ』なる食べ物がつっこまれた。
ん~~~~!?
なにこれ!!
とろけるぅ!!
私の目の前をまた、ミニチュアサイズの私の分身がクルクルクルクルと踊り出す。
…じゃなくて!!
なんなんでしょう、この人!
人の心にズカズカと入ってきて!!
腹立ち紛れに目の前に盛られた『タパス』とやらも口に放り込んだら、これまた舌がとけるかと思って、私は声をあげて泣いた。
…んで、食べながらひとしきり泣いたらオッターリンに浴室に押し込められたのだ。
「女性門番が持ってきたアンネリーサ殿の衣類、もう脱衣カゴにセットしてあるからの。」
…『女性門番』…たぶん知多さんのことだろう。
「お風呂に入るのなんか、いつぶりだろ!!」
と、思わず言ってしまった。
「しまった!!」と思ったが、モドキは何も言わなかった。
「きったないのぉ!?アンネリーサ殿は風呂に入らんのかぁ!?」
「…仕方ないじゃないですか。お風呂、ないんですもん。共用のお風呂に入るのは、さすがに不用心ですし。ちゃんと、台所で拭いてますよ。髪も台所で洗ってるし。」
「ぐぇえ…。我が国の最下層民でも、公共浴場に行くくらいの金はあるぞぉ…。」
オッターリンは遠慮なくドン引きしてくれた。
それで、冒頭の状況に至るわけだ。
***
お風呂に入っている間に、温まっているのに頭が冷えた。
恥ずかしすぎて青ざめてしまう。
恋愛キャンセル界隈を自称する女が、口をモグモグさせながら子供みたいに号泣…。
ゴミすぎる…。
もう一生、このお風呂から出たくない。
いっそこの全長157センチの私が全身でもぐっても頭も足もひっかからないぐらい広い浴槽で溺れて死にたい。
(…だめだ!みつかったとき、マッパとか、イタすぎる!!)
ザバリと湯船から顔を出した。
なんとかして行方をくらませる方法はないだろうかと必死に考えた。
…まぁ、ゲートでも開かない限り、この部屋からこつぜんと居なくなることなどできない。
お風呂から出て私は件のルームウェアじゃなくて元々着ていた服を着ようと思ったら、脱いだはずの私の服が無い。
「ちょっと!ねぇ!オッターリン!私の服、持っていった?」
脱衣所のドア越しに叫んだ。
「さっきチーターがもっていったぞい。今から洗濯するゆえ明日には着られるゆえ心配いらぬとのことじゃ。」
「明日!?私、ここに泊まるの確定なの!?」
チーターって、まさか知多さんのことか!?
「もう着替えたかの?開けても?それがしも湯をいただきたいのだが…」
「まだ!!絶対ダメ!!まだだからね!!」
私は観念してモフモフのルームウェアに袖をとおした。
(これを買い取れるほどの余裕はないんだけど…貯金を切り崩すしかないか…トホホ…)
カチャリと出た私と入れ違いにオッターリンが入ってきた。
今から入浴らしい。
モドキはスパークリングワインが入ったグラスをユラユラさせている。
「ちょっとは元気出たみたいじゃん。」
「あのね!強引すぎません!?」
「あんなまま帰せないだろう?」
「一人になったらすぐにいつも通りに戻ります!」
「さっきも言ったけど、もう帰る家は解約してて今週中にひは引き払わなきゃならないんだってば。」
「~~~っ!あなた!!なんの権利があって人のプライバシーにズカズカとっ!」
「なんの権利もないけど、俺は俺の心に従って動いてるだけ。赤の他人の俺から見ても、君は無理しすぎだもん。」
「当たり前ですよ!無理でもしなきゃ!一人で生きていかなきゃなんないんですから!」
「言ってること矛盾してるじゃん。いつ死んでも構わないみたいな生き方してるくせに。生きるために働くんだったら、もうちょい違う働き方があるでしょ。」
「あ、ありませんよ!これが私の生き方です!」
「…生きてるんだぞ。君は。」
「…は?」
「生きてるんだから、笑ったり、泣いたり、遊んだり。…ちゃんとしたほうがいい。死んでるみたいな生き方はやめたほうがいい。今までできる場所がなかったんだったら、ココですればいい。俺もオッターリンも、それで迷惑がったりしないから。あと、必要以上に遠慮するのもやめたほうがいい。」
「な…何いってんですか。……せっかく…泣き止んだのにぃっ!!ほうがいいほうがいいほうがいいウルサいんですよ!その余計なお世話こそ、やめたほうがいいですよ!!」
「ふはっ!いいじゃん!泣いたり怒ったり。」
「主ぃ~!ぼでーそーぷとかいうのが、なくなってしもぅたぁ~!」
「ちょっ…またかよ!使いすぎだって昨日も言ったよな!?昨日詰め替えたばかりだぞ!!ストックあったかなぁ……。」
泣いてる私を如何にも自然に放置して、モドキはボディーソープの詰め替えに行ってしまった。
立ち上がったとき、私の頭を、ポンポンっと優しく撫でながら。
そんなことされたら、フラグ折ったこと後悔しちゃうじゃない………。
…………………………………。
いやいやいやいや!!
しないわよ!!
ちゃんと鍵のかかる部屋に、寝心地最高のベッドが当たり前みたいに用意されてた。
フカフカのかけふとんを撫でながら、
「こんなお姫様みたいな部屋で寝れるか!!」
と、思ったけど、横になった瞬間、私は気絶するように眠ってしまったのだった。




