8 本題は、続く
コーヒーカップが空になると、モドキがお代わりをそそいでくれた。
それから、カラフルなお茶請けももてきてくれた。
「マカロン……ていうやつ……。」
私は目を見開いた。
この小さな小さなヤツめは、これ一つでモヤシが10袋、タイムセールの時なんかは15袋も買えてしまうという恐ろしい食べ物だ。
間違っても私なんかの口にのぼる食べ物ではない。
いや、食べ物だと思ってはいけない。
「…いま、モヤシで換算したでしょ?」
マカロンに吸い込まれそうになっていた私は、バネが跳ねあがるように顔をあげた。
「……どうして…それを……。」
気持ち悪い…。
「だって、俺、君と会ったことあるから。」
前の世界の私はモドキの前でモヤシ計算を暴露するほどの仲だってっていうの?
…いや、こんなことで心を開いてはいけない。
「オホン。なんのことだか。」
「ククッ。いや、失礼。心配しなくても、好きなだけ食べたらいいよ。なんなら、どんぶりいっぱい用意してあげる。」
「ど、ど、どんぶり…いっぱい……。」
「ほら。」
ズイッ、とお皿を前につき出されて少しのけぞったけど、震える指先で一つつまんだ。
「それは…ピスタチオだな。」
ハクッと控えめにかじった。
バチンと目の前に光が弾けたような気がする。
アハハハ!アハハハ!ミニチュアサイズの私の分身たちがクルクルとダンスを踊る。
これをまさか…どんぶりいっぱいとは………!
「はい、帰ってきて。」
モドキの声に、パチン!と妄想が弾けて、わたしはハッと我にかえった。
口から垂れそうになるヨダレを、慌てて吸う。
「んじゃ、続き話そうか。」
「はむっ…んむ…はい……。」
こんな機会、もう一生にどとないかもしれないから、この皿の分だけでも全部食べ尽くす。
わたしは心に決めて話にもどった。
***
ゲームのパッケージを見ながら、私は思った。
「ここに小さく、宮殿みたいのが描かれてますよね。ゲームの中では王女様と結婚話とか出なかったんですか?勇者への報奨で王女と結婚って、ありがちじゃありませんか?あの世界的に有名なイタリア人のヒゲ面の人だってゲームの最後は桃みたいな名前のお姫様と結婚するみたいなシーンでしたよね?」
「小説とゲームはストーリーがずいぶん違うからね。君の小説ではオッターリンはどんなだった?」
「……ガチマッチョのひげ面の怪力…。」
「だろ?」
目の前の、黄緑色のベルベットのベストを着たカワウソは、食べ終わった缶をペロペロとなめている。
見られていることに気がついて顔を赤らめた。
(実際は顔が毛でおおわれているから赤く見えるわけではない。自分で『ポッ』と言ったのだ。)
「でも、このオッターリンはカワウソで…」
「ゲームの中ではみんな動物なんだよ。」
「あー、これこれ。動物ではないぞ。失礼な。わがはいは歴とした『オッター』という種族の獣人なのじゃ。」
(だから、オッターって英語でカワウソだよね…。)
「ちなみに姫はなんだったんです?」
「マントヒヒ。」
オッターリンがはぁ~~と深いため息をついた。
「嘆かわしい。高貴なる我らが姫ぎみ、バブーンのエストリアーダ様をマントヒヒだなどと。」
私は手元のスマホでタタタっとマントヒヒの英訳を調べた。
(Baboon…やっぱりマントヒヒじゃないの。)
「まぁ、巨万の富と絶世の美姫との婚姻を断って、こちらに帰ってくるというその崇高な意思。それに惚れ込んで、これ、このとおり、それがしは付いてきたわけでありますがな。この高貴なるそれがしが、使役獣として契約までしてだぞ?」
「…てゆーか、それじゃあやっぱり私は関係なくないですか?あなたの作ったゲームにあなたが飛ばされただけの話ですよね?私はたまたま原作者ってだけで、ストーリーが全然違うなら関係ないのでは?」
「行ってた俺が関係あるって言ってんだから、そうに決まってんだろ。」
「なんか、無理矢理……。」
なんだか腑に落ちない。
「だいたい私、あなたの名前が『風雅』って読むなんて、今日知ったんですよ?ずっと『風雅』だって思ってたんですもん。やっぱり偶然ですよ。私はあなたが異世界に居たこととは無関係です。」
「まぁ、今はそう思ってりゃいいよ。」
「なにそれ…」
話しながら、モドキは縁の太いセルフレームのメガネをはずし、ボサボサの前髪をグイッとあげた。
「あ、ハンサム…。」
素顔があまりにも意外だったので、思わず心で思ったことが口からこぼれ、反論の言葉が打ち消された。
キョト、と一瞬呆けた表情をして、藤井氏はクスクスと笑いだした。
「…なんです?」
突然ヒトを笑うとは無礼な。
「いや、君らしい反応だったもんだから。大体さ、タワマンに住んでるってわかった時点で、前のめりになる女性が多い。面倒だからキモくしてたら、今度は逆に『コイツならイケる!』って思われるのか、まとわりつく人数が余計に増えたしね。だから、安寧さんみたいのは、超新鮮。」
私の危険センサーがイヤな予感を察知した。
これはアレだ。
良くある展開。
「あ~…。誤解を与えないように、カンチガイと思われてもいいんで、先にフラグ折っときますね?」
そう、これは、先にいっとかないとダメなやつだ。
「…フラグ?」
「金持ちの御曹司だとか敏腕社長だとかが、喪女とか干物女とか私みたいな恋愛キャンセル界隈の人間が自分に対する反応がウッス~イのに逆に燃えてハッピーエンドになる話は五万とあると思うんですけどね。私はほんと、筋金入りなので。無いですから。キュンとかウルッとかドキッとか。そんなワード、私の界隈に存在しないんですよ。というわけで、お話すすめましょうか。」
藤井さんは何故か驚いた顔をして目をパチパチして、それから嬉しそうに笑った。
「本当に君は、君なんだな。」
「はぁ?それ、さっきからちょいちょい言いますけど、何なんです?あなたが知ってる私って、どんなだったんですか?」
「いや、別に。とにかく、まだ何も始まってないのに人のことフるのやめてもらっていい?」
「だから、何言ってるんです?おっしゃるとおり、まだ始まってもないんです。フるもフラれるもあります?私は今、始まる前に、フラグを折ったんですよ。あなたの言い方だと、前から私のことを好きだったみたいじゃないですか。」
でも、なんとなく、この人の言うことがひっかかる。
私はこの会話を、前にも一度、したことがある気がするのだ。
「とにかく、恋愛キャンセル界隈に元勇者は無用です。」
モドキがまた嬉しそうに笑った。
ドMなのか?この人は。
キモい。
「大体、6時間ほど前に屋上でその口で『オマエなんか見てねぇわ、ばーか!自意識過剰!』的な発言をされたばかりなんですけどね。」
「へぇ…。」
モドキがゾクリとするほど殺気だったのがわかった。
キモくなくて、普通にコワい。
「お、怒りたいのはこっちのほうなんですけど?冗談なら、なおさらそのフラグ、今すぐおらせていただいても?」
「容赦ないなぁ~…。話ぐらい聞こうとおもわない?結構な優良物件だよ?自分で言うのもなんだけど。」
「物件の良し悪しは関係ありません。と、とにかく、私には、不要なんです!」
「俺がどんなに頑張っても?」
「しつこいです。」
「…わかった。」
とりあえず今は、ってつぶやいたの、聞こえてるんですが。
なんか、急にグイグイくるじゃないの、モドキ。
そのとき、素晴らしく良い匂いが。
瞬時に私のお腹がすさまじい音をたてる。
至高の食べ物、『マカロン』を三つも食べたあとだというのにだ。
「主ぃ、アンネリーサ殿ぉ、支度ができたぞぉ~!」
「支度って…ええ~!?」
「この紫のは心配せずとも、ワインではないぞい。アンネリーサ殿の分は、カシスジュースじゃ。この国では貴殿はまだ子供なのじゃな?フォフォ!」
底辺の私が見たこともない料理がズラリ。
「オッターリンが作ったんですか?」
「いいやぁ?週に一度、一週間分の作り置きをしてくれる家事代行サービスの冷凍した料理を、それ、そこの魔道具でチーン!とやって、盛り付けただけじゃ。」
そういってオッターリンは電子レンジを指差した。
「サンキュー、オッターリン。じゃ、食べようか。」
「い、いえ!私は帰って食べます!」
こんなの食べてしまったら、わたしはもうあのモヤシ生活に戻れなくなる。
それかきっと、分不相応さかげんにバチがあたって最後の晩餐になってしまう
「帰って今から作るの?素直に食べて帰れば?どうせ帰ったらモヤシだろ?」
「そうじゃアンネリーサ殿ぉ。せっかく二人分用意したのに、無駄になるではないかぁ。」
「二人分なら、オッターリンと藤井さん二人でちょうどいいじゃないですか。」
「それがしは、ホレ!」
取り出したるはサンマの缶詰。
「今日はこっちの気分なのじゃあ!」
そういってプシッと缶を開けた。
藤井さんは何故か首をかしげている。
「ブイヤベースのほうが絶対ウマいとおもうぞ……。…まいっか。ほら、安寧さん。熱いうちがウマイから。」
「………じゃ、遠慮なく……。」
タワマンの最上階の高そうなテーブルについて金縁のお皿にのせられた初めて食べる料理に、言葉通り遠慮なくかぶりついた。
「お。気持ちいい食べっぷりじゃん。」
ここの方が私には、よほど異世界だと思った。




