決着
「……匂宮を返せよ、秋川」
「つくづく君は私の邪魔をするのが好きなようだな。余計なことをするなと言ってきたはずだがな」
「余計なことをしているのはお前の方だろ? 匂宮を脅してグループの代表にして、お前は何が狙いなんだ?」
くくく、と秋川が笑い声を漏らしながら、俺たちの方へ歩み寄って来る。
「私の狙いなど、簡単なことだよ。圧倒的な権力、圧倒的な経済力、圧倒的な影響力――――私が欲しいのは圧倒的な力だ。その力を手にすることだけが、私の存在意義なんだよ」
なんだそれ。
そんなことのために、こいつは匂宮を犠牲にしようとしていたのか。
「あんたが匂宮家を手中に収めるとかなんとか言ってたのは知ってる。あんたが言いたいのは、そこに理由なんてなくて、力を手にすること自体が目的だってことか?」
「そう聞こえなかったか? ……それとも理由が欲しいのか?」秋川は薄い笑みを浮かべたまま両目を瞑り、言葉を続ける。「例えば、こういうのはどうだ? ―――私にはかつて愛した女性がいた。彼女は両親の借金のカタとして風俗店で働かされていた。彼女を救うためには金が必要だった。私は身を粉にして働いた。どんなに汚い仕事だろうと、金のためなら何でもやった。仕事にのめりこむあまり、いつしか彼女とは滅多に会わなくなっていた。子供が出来たという話を聞いたのはそんなときだ。気づけば手元には彼女を自由にするには十分すぎる金があった。私はその金で彼女を自由にしてやった。……しかし私には仕事があった。もはや途中でやめることはできなかった。そうしているうちに、彼女は死んでしまったと聞いた。私に残されたのは、金を稼がなければ、力を手にしなければという強迫観念だけだった……」
壮大なストーリーを語るように、情緒豊かな口調で秋川は言った。
手を伸ばしてギリギリ届かない距離―――秋川はそこから、俺を見下ろす目を細めていた。
動悸がした。
「まさか、それって……俺の、母さんの話なのか……!?」
「感動的な筋書きだろう? 即興で考えた割には良い出来だと思うが、これで納得がいったか?」
「っ……!」
思わず歯を食いしばる。
こいつの行動に理由なんてない。
本当に、力を手にすることだけがこいつの存在意義であり行動理念であり原動力なのだ。
そのためなら誰を犠牲にしようと、どれだけの感情を踏みつけようと、こいつには関係ないのだ。
「君が納得しようがしまいが、結果は変わらないよ。これ以上私の邪魔をするようなら、今度こそ君を消してしまうとしよう」
秋川が指を鳴らした。
その瞬間、彼の背後から数名の黒服を着た男が現れ、それぞれがこちらに拳銃を向けた。
「又野さん、お嬢様、私の背後へ」
麻里さんが俺たちを守るように、一歩前へ出る。
「匂宮も殺すつもりなのか?」
「言うことを聞かない傀儡に価値はないからね。消せるなら一度に消してしまった方が効率的だろう?」
「……私が盾になります。又野さんはお嬢様と逃げてください」
こちらへ半分だけ顔を向けながら、麻里さんが囁く。
敢えてその言葉には答えず、俺は秋川に向かって言った。
「大彌のことはどう思っていたんだ」
秋川が僅かに眉を顰める。
「大彌?」
「忘れたのか? お前の娘だろ」
「ああ……そんなガキも居たか。きっと彼女にとって私は良い父親だっただろう。あのまま秋川家に居られれば、その役割を続けることもできた。が、お前たちのせいでそれは叶わなかった。仮に彼女が私を恨んでいるのだとしたら、お門違いというものだ」
「……じゃあお前は、大彌のことを愛してはいなかったんだな?」
「当たり前だろう。あの家に入ったのは、秋川家代表補佐という肩書が必要だったに過ぎないからね」
秋川が答えたのと同時に、黒服たちが一斉に銃口を秋川へ向けた。
黒服たちの方へ振り向きながら、秋川が怪訝な表情を浮かべる。
「何のつもりだ、お前たち。秋川家への義理立てのつもりか? 報酬は私が支払っているはずだが」
「……たとえ報酬が支払われていたとしても、彼らは秋川家本家の命令には逆らえないわ。秋川家本家の人間があなたを殺せと命じれば、彼らはそれに従わざるを得ない」
凛とした声が聞こえた。
黒服たちの間から現れたのは、炭原さんだった。
秋川はわざとらしく両手を上げる。
「物騒なお友達がいたものだね、又野さわる君。私が言うのも何だが、付き合う相手は選んだ方が――――」
不意に秋川の表情が変わった。
諦めたような顔をした秋川は、ああ、そういうことか、と呟くと―――――突然床を蹴り移動し、匂宮に掴みかかった。
が、それよりも麻里さんが速かった。
一発の銃声と同時に秋川は匂宮へ伸ばした手を引っ込め、そのまま床を転がるようにして壁の方へ駆けた。
「お嬢様にはこれ以上、触れさせません!」
麻里さんの右手には拳銃が握られていた。
「全く、銃刀法なんてあってないようなものだな、この国は!」
抑えた手から血を滴らせながら、秋川が壁際にしゃがみ込む。
「言い残すことは?」
そう言って炭原さんはいつの間にか持っていた拳銃を秋川に向けた。
秋川は肩で息をしながら答える。
「親を殺すような娘には育てていないつもりだったがね」
懐に手を入れる秋川。
その瞬間、銃声が連続して鳴った。
俺は匂宮の手を引き、その顔を自分の胸に押し当てた。
「さようなら、お父様」
秋川の身体中に空いた孔から血があふれ出す。
ずるっ、と音を立てながら、秋川は床に倒れこんだ。
独特の匂いが辺りに充満した。
「又野くん……?」
匂宮が顔を上げようとするのを片手で抑える。
「何も見るな。匂宮には―――関係ない」
床にあるのは、さっきまで秋川だったもの。
俺の―――遺伝子上の父親だったもの。
「これで全部終わったわ、又野」
炭原さんがこちらを振り返る。
彼女が着ている大鳥学園の白いブラウスには、秋川の返り血が飛び散っていた。
「炭原さん――――いや、お前は……」
俺の言葉を遮るように、彼女は手のひらをこちらに向けた。
「何も言わないで。……あとはあたしがやっておくから、あんたたちはラブコメでもなんでも好きなようにしなさい。本当、あんたもあたしも、ろくでもない父親に巡り合っちゃったわよね。あんたたちと一緒にいた毎日、楽しかったわ」
秋川だったものを見下ろしながら、彼女は言った。
そうしてしばらく秋川の遺骸を眺めた後で、彼女は呟いた。
これで冤罪の罪滅ぼしは出来たかしら、と。
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