この世のあらゆる残酷さから、あなたを守ってあげたい その②
「な、何よ!?」
匂宮はそのまま、なぜか動揺している大彌に歩み寄る。
一方の大彌は怯えたように一歩後ろに退いた。
「あなたが又野くんを退学にしたのは、そうすれば彼があなたを頼ってくれると思ったから。そしてあなたが退学を取り消しにすれば、又野くんはあなたに一生分の恩ができる。そうすれば又野くんを思いのままにすることができる―――一生あなたの傍に置いておくこともね」
「な――な――何言ってんのよ、何の根拠があってそんなこと……っ!?」
珍しい。
大彌が焦っている。
「あら、違ったかしら。当たっていると思ったのだけれど」
匂宮が話し終えるのを待っていたかのように、突如として轟音が響き始めた。
なんだこの音―――? プロペラ?
音は徐々に近づいてくる。
アパートが微かに揺れ始めた。
「大体あんた何者なの? 名前くらい名乗りなさいよ!」
「人に名前を訊くときは自分から名乗るものだと習わなかったの? まあいいわ。私は匂宮来夢」
「匂宮……? まさか、匂宮財閥の……!?」
呆気にとられたような表情の秋川。
そんな彼女に構わず、匂宮は玄関で靴を履き始めた。
「お、おい。どこ行くんだよ?」
「家に帰るの。あなたも一緒に来るのよ、又野くん」
「え、俺も?」
ピンポーン。
轟音の中、古びた呼び鈴が鳴った。
一体誰なんだ、こんな時に?
俺が玄関のドアを開けると、そこに立っていたのは―――メイド服を着たお姉さんだった。
ベージュの髪色をしたお姉さんは、俺を見て小首を傾げる。
「……あら、どちら様ですか?」
「それはこっちの台詞だ! あんた誰なんだ!?」
「そろそろ来るのではないかと思っていたところよ。お出迎えご苦労さま」
「家出も大概になさってください、お嬢様」
「え、匂宮の知り合い? どういうこと―――」
また轟音が近づいたような気がして、俺は顔を上げた。
上空から徐々に近づいてくる影――それはヘリコプターだった。
な、なんでヘリがこんなところに!?
「行きましょう又野くん。今日から君は私と一緒に暮らすのよ」
「俺が……匂宮と一緒に?」
「そう。匂宮財閥第18代当主、匂宮来夢のパートナーとしてね」
「匂宮……財閥……?」
ヘリコプターがアパートの駐車場に着陸した。
匂宮は大彌の方を見て、言う。
「さようなら、大彌さん……だったかしら。さあ又野くん、手を」
俺は茫然としたまま、匂宮へ手を伸ばそうとした。
が、直前でやめた。
「いや―――そういうわけにはいかない」
「どうして?」
匂宮は不思議そうな顔で俺を見つめた。
「借金があるんだ」
「借金?」
「ああ。1000万円の借金だ。それがある限り俺は……」
「あら、そうなの」
そう言った後、匂宮はこともなげに言葉を続けた。
「そのくらいなら、大したことないわ」
「大したこと――ない?」
「ええ。だから行きましょう、又野くん」
匂宮が俺の右手を握る。
その柔らかい手に引かれるまま、俺はヘリコプターに乗り込んだ。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 1000万円って何の話!? まさかお父様が―――」
大彌の言葉を遮るように乗降口が閉まり、ヘリが上昇を始める。
大彌がこちらを見上げながら、顔を真っ赤にして叫ぶのが見えた。
「なんでいつもあたしを置いていくのよぉっっ!」
その声はヘリのプロペラの音にかき消された。
ヘリが高度を上げるにつれアパートが小さくなっていく。
「さて、まずはその1000万円を返さなければならないわね」
「さすがにそれは悪いって。理由はどうあれ、俺の借金だし」
「何かそれを証明する書類、あるかしら」
「え? ああ、まあ……」
俺はポケットに突っ込んだままの借用書を取り出し、匂宮に渡した。
匂宮はそれを眺め、一瞬何かを考えた後、口を開いた。
「麻里、ヘリの進路を変えさせて。それから秋川家に連絡を取ってくれるかしら。今から私が向かうと」
「承知しました、お嬢様」
麻里と呼ばれたメイドさんは携帯でどこかへ電話をかけ始めた。
同時にヘリが回頭し、今までとは逆の方へ進み始めた。
あっけにとられている俺に、匂宮が微笑みかける。
「大丈夫よ又野くん。すべて私に任せておけばいいんだから」
※