令嬢とデート その③
「あ――ああ、牛山君のグループが経営しているお店ね。確かに、匂宮グループとしても視察しておく必要があるわ―――じゃなくて、そういうお店、私、一度行ってみたいと思ってたの」
動揺したように匂宮は言った。
「匂宮……」
「ほんとのほんとに行きたいと思ってたの。私、正直にお話しするのが苦手なのよ。別に財閥の代表とか匂宮グループなんてどうでもよくて、単純に又野くんとお出かけしたいだけなのよ。本当なの」
匂宮が訴えかけるように俺を見上げる。
嘘を言っているようには見えなかった―――いや、匂宮が俺に嘘を言うはずがないだろう。
俺はその頭に手を乗せた。
「……分かってるよ、匂宮」
「又野くん……?」
「パートナーだろ。俺、匂宮の言うことは信じてるよ」
そのまま俺は匂宮の金髪をくしゃくしゃに撫でた。
匂宮は子猫みたいな表情で目を瞑る。
きっと匂宮は一人で抱え込んできたものがあるのだろう。
巨大財閥の代表。肩書だけとはいえ、その重さを想像しただけで眩暈がしそうだ。
「あのぉ……夕飯の支度、できましたけど……」
「!?」
廊下の角から顔を覗かせていたのは、麻里さんだった。
俺はゆっくり匂宮から手を放した。
「ええ、今行くわ、麻里」
匂宮は軽い足取りでダイニングルームへと駆けていく。
麻里さんはその姿を見送った後、俺の方を振り返った。
「……お嬢様がお出かけしたいとおっしゃるなんて、とても久しぶりです」
「え、そうなんですか?」
「お屋敷にいる間はお食事の時間以外は自室に引きこもってばかりでしたから。楽しんできてくださいね、又野さん」
麻里さんが暖かな春の日差しのように微笑む。
この笑顔によって、恐らく世界のどこかの砂漠が一部緑化されただろう。
※
さて、場面は変わって週末。
「ありがとう、麻里。迎えが必要な時は連絡するわ」
「ええ。ではお二人とも、また後程」
麻里さんは車のウインドウを閉めると、高らかなエンジン音とともに黒塗りの高級車で去っていった。
振り返った俺の視界には、『オックス珈琲』の看板があった。
外装は全体的におしゃれな雰囲気で、駐車場もかなり埋まっている。
「さっそく中へ行きましょうか、又野くん」
「そうだな」
戸を開け店内へ足を踏み入れる。
店員に人数を告げると、窓際の席に案内された。
日当たりのいい、明るい感じの店内だ。席はほとんど埋まっていて、若い人たちだけではなく初老の夫婦の姿もあった。