知らない、天井 その②
「身体を流してくると良いわ。廊下の突き当りが浴場よ。麻里に言って着替えを用意させておくから」
匂宮の視線の先には、確かにそれらしき戸があった。
「ああ、ありがとう。甘えさせてもらうよ。……ところで、麻里さんってメイドさんのことだよな?」
「ええ、彼女の名前よ。フルネームは阿麻里。彼女が一人でこの屋敷を切り盛りしているの」
「一人で!? このだだっ広い屋敷をか!?」
俺の言葉に匂宮は、きょとんとした表情でこちらを見上げた。
「この屋敷は、別荘の中では比較的狭い方なのだけれど……」
「え」
「学校に近いから、今はここで生活しているだけよ。機会があれば本家の方にも連れて行ってあげるわ。……ああ、ごめんなさい。引き留めてしまったようね。お風呂、どうぞ」
「じゃあ、そうさせてもらうか」
俺は浴場の方へ向かった。
途中振り返ると、匂宮がこっちに手を振っていた。
少し離れただけなのにとても小さく見える。きっと匂宮が小柄で華奢だからだろう。
※
「うわ、旅館のお風呂みたい……」
だだっ広い脱衣所で服を脱ぎ、扉を引いた先に広がっていたのは一面の浴室だった。
いや、「浴室」というより「大浴場」と言った方がしっくりくるレベルで大きい。
つい先日まで1Kで生活してた俺がこんな良いお風呂に入っちゃっていいんだろうか。
まあ、せっかくの匂宮の厚意だ。素直に受け取るべきだろう。
と、俺は身体と一緒にそんな後ろめたさも排水溝に流し、まるでプールのように大きな湯舟に浸かる。
「はぁー……」
気持ちいい。
日頃の疲れが抜けていくのを感じる。
この濁ったお湯ってもしかして温泉? いやいや、流石に自宅に温泉があるわけ――
「ないよな…………って」
目を閉じて入浴の心地よさを噛みしめていた俺だったが、「ちゃぷん」という水音につられて目を開けると、湯煙の向こうにいた人と目が合った。
落ち着いたベージュの髪色をした、綺麗な女の人と、目が、合ってしまった。
「……えっと」
これが銭湯の男湯なら軽く会釈でもして済ませればいいのだが、相手は異性で、ここは匂宮の屋敷。
ここは彼女とメイドの麻里さんだけで暮らしていると言っていた。
つまり消去法でいくと、今現在、一糸纏わぬ姿で入浴中のこの方は……。
「メイドの麻里さん……ですよね?」
尋ねるような言い方になってしまったのは、阿さんは自身の髪が濡れないようにアップにしており、昨日とは雰囲気が違っていたからだ。
「…………」
麻里さんは赤面したまま口をパクパクさせている。
どうやら驚きで声が出ないらしい。
……いや、そりゃそうじゃん。
風呂に入ってたら変な男が乱入してきてるんだから!
マズいマズいマズい! 今度は冤罪じゃなくて普通にアウトだぞ!?