この世のあらゆる残酷さから、あなたを守ってあげたい その④
匂宮は秋川に背を向けた。
「ま、待ってくださいご当主! 彼をどうするつもりですか?」
「又野くんの身柄は匂宮家で引き取ります」
「それは困りますねえ……! 彼は遺伝子学上、私の息子に当たるんですよ。親の許可なくそのようなことをされてはいけないでしょう」
声を震わせながら言う秋川の額には、脂汗が浮かんでいた。
そんな秋川を見て、匂宮は呆れたように眉根を寄せた。
「自分の子に猥褻行為の罪を被せた挙句、1000万円もの借金を背負わせ退学にする親がどこにいるんですか? もっとマシな言い訳をされるかと思いましたが、残念です」
「こ――このガキがぁ!」
秋川は怒鳴りながら、匂宮へ両手を伸ばした。
それを見た瞬間、俺の体は勝手に動いていた。
気づけば俺は秋川と匂宮の間に立っていて、俺の右拳は秋川の顔面にクリーンヒットしていた。
「あ」
「ぐわあああ!」
椅子を巻き込んで倒れる秋川。
彼はすぐに起き上がり、俺を睨んだ。
「しょ――傷害罪だ! 謝罪と賠償を要求する!」
「あんた、俺の父親なんだろ? ただの親子喧嘩だよ。時期がちょっと遅かったかもしれないけどな」
「ま……又野さわる、私への恩を忘れるのか……!」
「住むところとか、学校とか、色々用意してくれたのには礼を言うよ。でも――母さんを悪く言ったことと、匂宮を傷つけようとしたことで全部チャラだろ。いまさら父親面されても、もう遅いんだよ」
「せめて……私の邪魔はするなと……」
秋川が理事長の席で崩れ落ちる。
「……これでもう、あなたを縛るものは何もなくなったわね」
「ああ、もう、何もないよ」
何もなくなった。
母が死んで以来、俺に付きまとっていた父親の影は、もう。
俺たちは理事長室を出て、それから屋上に停まっていたヘリに乗り込んだ。
ヘリが上昇し学校から離れていくにつれ、すべてが終わったのだという実感と同時に、これからどうなるのか不安になって来た。
借金はなくなった。でも、退学になった事実は消えてない。
どうするんだろう、俺。どうなるんだろう、俺。
今になってようやく―――母親が死んで、俺は一人になってしまったということが実感できた気がした。
不意に甘い香りがして隣を見ると、匂宮が俺の肩に頭をのせていて、豊かな金髪が広がっていた。
「匂宮……?」
匂宮は青色の瞳を少し潤ませながら俺を見上げた。
「あなたはもう何も心配しなくていいわ。私があなたをいっぱい幸せにしてあげるから。……これから先、ずぅっとね」
「ああ――ありがとう」
俺が答えると、匂宮はじっと俺の顔を見つめた。
「……何だ? 俺の顔、何かついてるのか?」
「どうして泣いているの、又野くん」
「え?」
匂宮が俺の目元に触れた。
その指先は、確かに濡れていた。
「どこか痛むの? 大丈夫? もしかしてさっき、私を庇ってくれたときに怪我をしてしまったのかしら?」
「いや――そういうわけじゃ、ないんだ」
そう。
そういうわけじゃない。
恐らくは―――母親の死をようやく実感できたという、それだけのこと。
「何か辛いことがあったのね。……大丈夫よ、又野くん。私があなたを守ってあげるから」
匂宮が俺に両手を伸ばす。
俺は匂宮にされるがまま、彼女の胸に顔を埋めた。
温かかったし、柔らかかったし、どこか安心した―――。
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これにて第一部完結です!
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