この又野さわるには過去がある その①
※この物語はフィクションです。登場する人物・設定・名称等は架空のものであり、実在のものとは一切関係ありません。
中一のとき、母親が死んだ。
俺を一人で育ててくれた母親だった。
物心ついたときから父親の記憶はなかった。
俺のために昼も夜も働いて、心不全で死んだ。
朝、ソファで冷たくなっているのを、俺が見つけた。
誰がどんな手続きをしてくれたのかは分からないが、いつの間にか母の葬式は終わっていた。
参列者がほとんどいない葬式だった。
母親も家族とは絶縁状態だったというのが大きな理由だろう。
当然、俺を引き取ってくれるような関係の人間もいなかった。
「……ねえ、悲しくないの?」
火葬場で、母親の遺体を燃やした煙が昇っていくのを眺めていたときだった。
話しかけてきたのは、俺とあまり歳が変わらないくらいに見える女の子だった。
髪型は内巻きのセミロングで、明るい茶色の髪色をしていた。その髪型が、喪服と不釣り合いだったのでよく覚えている。
「いや……なんか、夢を見てるみたいなんだよ」
普段は他人とあまり話さない俺だけれど、このときはなぜかスムーズに言葉が出た。
「夢って?」
「現実味がない感じで……本当に母さんが死んじゃったって思えないんだ」
そうなんだ、と女の子は言った。
「あたしもね、パパが死んじゃったの。小学生のとき」
「……へえ」
俺は煙の方へ視線を戻しながら答えた。
「だから、君の言ってること、少しだけ分かる気がする」
「……やっぱり、後から悲しくなったりするのか?」
女の子は頷いた。
「死んじゃったのが本当のことなんだって思うときが来るよ。でも、あたしには新しいお父様が出来たから。いつまでも悲しいばかりじゃなかったんだ」
「新しい……お父様?」
俺はもう一度女の子の方を見た。
そして、女の子の背後に立っている男性に気が付いた。
痩せていて、背の高い、感情の読み取れない目をした男―――。
「きみが、又野さわる君だな」
低い声で男は言う。
その顔は誰かに似ている気がした。
それが誰と似ているのかを思い出すのと、男が次の言葉を口に出すのがほぼ同時だった。
「私は秋川。君の―――遺伝子上の父親ということになっている」
男の顔は、俺に似ていたのだ。
少女が男の背後に隠れる。
俺は秋川と名乗る男と向き合う形になった。
「あんたが、俺の父親?」
「遺伝上はね。私は中絶しろと言ったんだ。費用も用意していた」
「………!」
理由は分からないが、ぞっとした。
何かひどいことを言われたということだけは理解できた。
その後ろで、女の子がきょとんとした顔をしていた。
秋川は少女に離れておくように告げ、会話が聞こえない位置まで少女が離れたのを見て、言葉を続けた。
「私は婿養子として秋川家に入った。君に言っても分からないだろうが、秋川家は戦前から続く名家だ。私が欲しかったのは秋川家の財産と名前だよ。もちろん、君のような余計な存在がいるということを秋川家は知らない」
「何が……言いたいんだ」
「君は私の輝かしい人生における汚点だ。だが、万が一君の存在が明るみに出た場合、君に対して何の支援もしていなかったという方が問題だ。だから私は、君が無事に一生を終えられるよう、出来る限りのことをしたいと思う」
男は淡々としゃべり続けた。
その瞳は俺を見ているようだったが、一方で何も映していない空虚な孔のようにも見えた。
「ひとまず養護施設に入りたまえ。高校進学と同時に、秋川家の人間が理事を務める学園へ入学するんだ。住む家と月々の生活費を与えよう。生活費の支給は学園を卒業した後も続ける。君が死ぬまでね」
冷たい汗が背中を伝っていった。
「私の描くストーリーはこうだ。母親を失った君は誰からも引き取られずに養護施設に入れられる。が、慈愛の心に溢れる私は彼が生きていくための協力を惜しまなかった。たとえそれが淫売に騙され、私のあずかり知らぬところで生まれた子だとしても、私の遺伝子が彼に含まれていることに変わりはないからね」
俺は口を開いた。
「だから、さっきからあんた、何が言いたいんだよ?」
声が震えていた。
目の前の人間が俺の父親―――そんなことは、母が死んだこと以上に信じられなかった。
「分かるように言ってあげよう。私は秋川家の名前を利用してさらに成り上がる。秋川家やその他名家を統括する匂宮家さえも手中に収めるつもりでいる。君の最低限の面倒さえも見てあげよう。だからせめて―――私の迷惑にならないように一生を終え、私の知らないところで勝手に死んでくれ」
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