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後編

 その日は、学園の寮から王城近くの市場に買い物に出た。お目当ての本を見つけ、必要な文具類を買って、ついでに寮の部屋で軽くつまめる日持ちのするつまみも見繕って店を出たところで、今はもう見慣れたプラチナブロンドが目に入った。


 思いがけず出会えたことに、鼓動が跳ねたのを感じた。


 どうやらあちらも買い物の途中のようだ。次に行く店を探しているのか、この通りの地図を眺めている。

 この通りは学園に入ったころから通い慣れていて、女性向けの店であっても店の名前くらいは憶えている。店がわからないなら案内するか。そう思って、近づいて声をかけた。


「買い物か?」

「え?」


 驚いて顔を上げた彼女の手元の地図を指さす。


「どこの店だ。この通りは詳しい。店の名前を言ってくれれば案内するぞ」

「え。……あの、えっと」


 なんだか様子がおかしい。いつも打てば響くように返事をするのに、今日はやけにおどおどとしている。すこし後ずさってさえいたので、一歩踏み出して距離を詰める。


「あ、あの――」

「どうした? 具合でも悪いのか――」


 体調が悪いのなら送らなくては、そう思って手を伸ばすと、彼女はびくっと肩を震わせた。

 これはいよいよおかしい。


「具合が悪いのなら送ろう。馬車はどこだ――」

「トラビスさん!」


 その時、自分と彼女の間に男が割って入った。


「エルモ」


 伯爵家の次男、ヨアキムの弟のエルモだった。彼女を背にかばうように立つエルモに何故だかイラっとした。


「知り合いか?」

「うん。お世話係だから。僕たち」

 

 彼女に聞いたつもりなのに、答えたのはエルモだった。まるで、自分の方が親しいと見せつけるような態度にいら立ちは増した。


「トラビスさんこそ。どうしたの? 自分から声をかけてくるなんて珍しいね」

「いや、道に迷っているのかと思っただけだ。具合が悪そうでもあったからな」

「え?」


 驚いて振り返ったエルモに彼女が横に首を振る。ほっとした顔をしたエルモがこちらに向き直った。


「別に具合は悪くないみたい。僕たち買い物の途中なんだ。トラビスさんも買い物?」


 別にエルモに声をかけたわけでもないのに、そう言うエルモに、それを黙って聞いている彼女に腹が立って仕方ない。

 

「そうか。邪魔したな」


 低い声で、それだけ言うとくるりと踵を返してその場を立ち去った。よほど不機嫌な顔をしていたのだろう。道行く人々が皆道を譲ってくれた。


 そのあとしばらく学園の方が立て込んでいて、屋敷に戻れなかった。

 やっと落ち着いてひと月ぶりに屋敷に戻って三日目。またカティが友人を招待した。もちろんユリアナも来ていた。


 自分の姿を見つけて笑顔で近づいてくるユリアナは、先日の態度はなんだったのかと言うほどに普段通りだった。


「トラビス様。先日貸していただいた南国の食品産業の本、読ませていただきましたわ。やはり気候が違うと自国で収穫できるものも全く違うので加工品も見たことのないものが多くて興味深かったですわ」

「……」

「トラビス様……?」


 いつも屋敷で会っていた時のように話しかけてくるユリアナ。今日は具合が良さそうだ。いや、先日も具合は悪くないのだったな。

 そう言ったエルモの顔を思い出して、思わず眉間に皺が寄った。


「……エルモと仲が良いんだな」

「え?」


 話しかけた内容と全く脈絡のないことを言われたユリアナは、何を言われているかわからないと言った顔で見上げてくる。そのきょとんとした様子にあの日の苛立ちが蘇る。


「今日は随分口が回るじゃないか。街ではおどおどとした態度だったのに。本当は具合が悪かったんじゃないのか」

「……街?」


 呆然とした表情でつぶやいたその口元が震えた。


 はっとして目を合わせると水色の瞳に水の膜が張っていた。


「街で私と会った……?」

「覚えてないのか?」

「覚えていません!」


 きっと睨みつけて踵を返すユリアナ。怒られたことより、振り返る直前に流れた涙に衝撃を受けた自分は、呆然と去っていく背中を見つめた。


 その後、例によって、ユリアナに何を言ったのだとカティに責められたが、去り際のユリアナの表情が目に焼き付いて離れず。ろくに返事もしない様子に呆れ果てたカティは、もういいと言って出て行った。


 その後の自分は最悪だったと思う。何をしても手につかず、最後に見たユリアナの泣き顔ばかりが目に浮かんだ。

 学園でも失敗ばかりで心配した教師や学友に一度休んだほうがいいと家に帰された。来年に控えた卒業までもう少しというところなのに不甲斐ない自分に苛立ったが、どうしても集中できないのだ。


 予定よりもだいぶ早めに家に戻ると、、出迎えたカティにちょうど良かったと言われ、客室に通された。


 そこにはエルモとユリアナがいた。


 やはり二人で屋敷を訪れるような仲なのだと思うと何故か胸が痛んだ。


「トラビスさん」


 エルモが立って挨拶をすると隣のユリアナも挨拶をする。


 あれ?

 

 明らかに違和感を感じている自分のその顔にホッとしたような顔をした二人はお互いに顔を見合わせる。二人は同じ雰囲気を持っていた。エルモが彼女を指し示して口を開く。


「こちら、ユリアナの双子の妹のヨハンナです」

「こんにちは。今日はお会いできてよかったです。……あの、先日は失礼な態度をとってしまい申し訳ありませんでした」


 ――双子の妹。


「いいのよ。我が家の男性陣は総じて体格がいいけれど、トラビスお兄様はそれに加えて強面だもの。道端で急に話しかけられたら、大抵の令嬢は声も出ないわよ」


 失礼極まりないことをカティが言っているが、そんなことを気にしている場合ではなかった。

 ――公爵家の末の娘()()が先日成人を迎えた。

 なんて馬鹿なんだ。同時に成人を迎える、その意味をなぜ考えなかったのだろう。


 頭を殴られたような衝撃に、目の前の光景が現実味を失っていく。


「――いや。こちらこそ、大変失礼した」


 自分の声も遠くから聞こえるようだ。


「いえ。私がその時きちんと訂正すればよかったのですが」

「僕もとっさのことできちんと説明しなくてごめん」


 謝ってくる二人に、ああともいやともつかず答えるが、今はそれどころではなかった。


「ユリアナを泣かせてしまった……」

「そのことなのですが、ユリアナがこちらにはしばらく来ないと言い張っていまして。ご存じの通りの性格なので、こうと決めたらてこでも動かないのです」


 呆然とする自分に、困ったような笑顔を向ける令嬢は、よく見れば確かにユリアナとは全くの別人だった。同じ見た目をしていても、雰囲気が全く違う。

 

「もし、トラビス様さえよろしければ、一度我が公爵家に――」

「是非うかがわせてもらおう」


 思わず前のめりになる自分に、わずかにヨハンナ嬢がびくっと震え、エルモが片腕でさりげなくかばったが、そんなことを気にしている余裕はなかった。


「それでいついけばいい?」

 



 公爵家の裏庭はさすがの美しさだった。ガゼボも派手ではないが、しっかりとした作りで、これまたきれいに整えられた池のほとりに設置されていた。


 その屋根が作る日陰の中で、静かに茶を嗜んでいる人影に近づいていく。


「やあ」


 その声に、振り返った彼女は大きく目を見開いたが、やはり、突然現れた強面の男にも恐れることはなかった。少し拗ねたような表情でつぶやく。


「――ヨハンナね」

「ああ。随分と雰囲気が違う双子なんだな」

 

 そう言うと、鋭く一睨みしてきたあと、ユリアナは顔を伏せた。


「――間違えたくせに」

「そうだな……」


 勧められていもいないのに隣に腰かける。ユリアナは目を合わせずに池を眺めているので、自分もそれにならった。


「――幼い頃から、自分は変わっていると言われていてな」


 池を見たまま口を開く。


「本を読んで考え事ばかりしていて、この世界のいろいろなことに興味津々で質問してくるくせに、人に全く興味がない。侯爵家の嫡男がこんなことで大丈夫なのか、大人はずいぶん心配したようだ」


 誰かにそう言われたわけではない。ただ、ヨアキムに勧められて貴族の顔と名前を覚えると、両親は明らかにほっとした様子だった。社交界でうまく立ち回れとも言わない、跡取りなのに学園にも通わせてくれる理解ある両親ですら心配するくらいの様子だったということだ。


「学園は、救いだった。同じ興味を持っている友がいて、好きなことに没頭していても責められることもない。通えていなかったら、どこかで人格が破綻していたかもしれない」


 ユリアナがこちらを見たのを感じたが、池を見つめたまま話続ける。


「我が家はいい家だと思う。こんな俺を家族は受け入れてくれた。学問を取り上げることもなかった。お世話係に選ばれなかったのだって、学園の方がずっと大事だったから気にしたことなんてない。本当だ。だけど姉も弟も妹もいつも王城であったことを話してくれたよ。全然聞いていなかったけどな」


 なにせ同じお世話係の公爵家の令嬢が双子だってことも知らなかったくらいだ。

 そう言うと、ユリアナが小さく「まあ」とつぶやいた。


「そんないい家なのに、家で過ごす毎日はひどくつまらなかった。仕事があるから定期的に戻りはするけれど、いつも早く寮に戻りたいと思っていた」


 じっと横顔を見つめてくるユリアナの視線を感じて、手元に目を落とす。


「――ある日、家で一人本を読んでいたら、一人の令嬢に話しかけられた。おそらくカティの友人でおそらく紹介もされたのだろうが、誰だかわからなかった」


 隣でむっとしている気配を感じる。


「隣国の産業のことに興味があるなんて珍しいと思った。知識が浅いところもあったが、体系的に学問を修めたわけではないのだから当然だ。カティを通じて資料を貸すと、よく勉強して、議論を深めてきて感心した」


 はあっと息を吐きだす。議論をするのは好きだが、こんなに一人で話すことには慣れていない。


「何故か時々怒らせることがあって、そのたびにカティにも怒られたが、自分はいつも議論するのが楽しかった。勉強熱心で感心したし、学園の人間にはない新たな視点もあって勉強になったよ。なにより、いつもキラキラとした目で本当に議論を楽しんでいる姿が眩しかった。いつの間にか、あんなにつまらなかった実家に帰るのが楽しみになっていた」


 はっと息をのむ気配がする。だが、伝えなければいけないことはまだ伝えていない。


「――だから、あの日。会えるはずもない街中で、見慣れたプラチナブロンドの女性を見て、柄にもなく浮かれてしまった。あんなに雰囲気の違う人をあなたと間違えるくらいに」


 ……すまなかった。


 そう言って、初めて見つめた瞳には、先日と同じように水の膜が張っていた。

 そっと、壊れ物を扱うようにユリアナの手を握る。


「来年には、学園を卒業する。そうしたら、寮を出て屋敷に戻るから、あなたも我が家に来てくれないだろうか」

「……それって」


 震え始めたユリアナの手をぎゅっと強く握った。


「どうも自分は、あなたのことが好きらしい。楽しそうに議論する姿、勉強熱心なその姿勢、あふれる好奇心。そう言ったすべてが好ましいんだ。――それに、カティによれば、私の強面を恐れない令嬢はほかにいないらしい」


 そう言うと、こらえきれないようにユリアナはフフッと笑った。その拍子にこぼれた涙は、その瞳と同じ、美しい水色だった。


「トラビス様を怖いと思ったことなんてないわ。最初はなんて失礼な方かと思ったけれど、あなたはいつでも私の疑問に真摯に答えてくださった。いつも真剣に向き合ってくださったその姿に私も惹かれたの」


 だから――。


「ヨハンナと間違われたと知ったとき、私自身信じられなくらいショックだった。ヨハンナと私の区別がつかない人なんていくらでもいるし、間違われて何か思うことなんてなかったのに。あなたにだけは間違われたくなかったの」


 そう言って泣きそうな顔で笑うユリアナを思わず抱き寄せた。


「すまなかった。もう間違えることはない。約束する」

「ええ。約束ね」


 抱き寄せたユリアナ越しに見た池は、ユリアナの瞳の色に輝いていた。




「まあ。それで? そのまま婚約してきたの?」


 カチャンと音を立ててカップを置くカティに、はしたないわよと姉のヘレナが注意するが、カティは全く聞いていない。


「トラビス兄さまったら、意外とやるのね」

「意外とはなんだ」

「まさか、兄さま。ご自分が女性を卒なく口説けるスマートな男性だなんて思っていないわよね」

「当たり前だ。ユリアナ以外にそんなことをする必要もないしな」

「はいはい。ごちそうさま」


 そう言って笑い合う自分達の横で、姉のヘレナは難しい顔をしている。


「どうしたの、姉様」

「勝手に婚約なんてして大丈夫かしら。王家の皆様は知ってらっしゃるの」

「別に勝手に言っているわけではない。公爵閣下にも父上にも許可をもらった正式な婚約だ」

「……ええ、そうね」


 なおも難しげな顔を崩さない姉を訝しんで見ていると、カティがため息をついた。


「大丈夫。正式に婚約を結んだのなら公爵閣下がお伝えしているはずだもの。きっともう陛下も王子殿下も皆さんご存知よ」

「そうよね……」

「姉様、もしかしなくても殿下は大丈夫かしらなんて思っていないわよね」

「……カティは心が読めるみたいね」

「心配なら殿下に直接聞いてみたらいいわ。間違いなく大丈夫だから」

「なんの話だ?」


 姉妹の話に全くついていけずにそう尋ねるが、二人とも答えてくれない。


「そうだ。明日、ユリアナとヨハンナをうちに呼んだから。兄様、今日は寮に戻らないでね」

「そうか。わかった」


 明日ユリアナに会える。そう思うと自然に頬が緩んだ。それを見た姉のヘレナが思わずと言ったふうにつぶやいた。


「――そうね。そうよね」

「姉様?」


 難しい顔をしていた姉がいつの間にか笑顔になっている。


「びっくりしたし、いろいろ気になることはあるけれど、トラビスが幸せになるのはよかったわ。おめでとう」


 そう言って微笑んだ姉の顔を見て、思いがけず目頭が熱くなった。


 幼い頃から、本ばかり読んで訳の分からない質問をする弟に、随分手を焼いただろう。それでもいつも気にかけてくれた。姉が王城で働いているのもおそらく自分が成人したら独身の姉が家にいては障があると考えたからだ。

 その姉に最愛の人との結婚を祝ってもらう。


 胸に温かいものが広がった。


「やだ。兄様泣いているの?」


 カティの声に我に帰る。


「泣いてなんてない」


 思わず言い返して、思い直す。姿勢を正して姉に向き直る。


「いや。姉さんに祝ってもらって嬉しい。これで少しは安心させられたかな」


 驚いた顔をする姉に気恥ずかしくなって立ち上がる。

 明日の準備をしなくてはと言ったのは半分本当で半分照れ隠しだ。


 明日訪ねてくるだろうユリアナの顔を思い浮かべる。明日はなんの話をしようか。今年の気候が畜産業に与えた影響について話したら興味を持つだろうか。


 心弾ませながら資料を選ぶ後ろ姿を姉と妹がそっと見守っていたことには、気づいていなかった。

 お読みいただきありがとうございました。

 本年もよろしくお願いいたします。

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