前編
皆様あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
新年のご挨拶に、短いお話を。
きょうだいの中で自分だけが異質だった。
幼い頃、自分はひどくボヤッとした子だったのだと思う。
世界は疑問に満ちていて、そのことについて考えたり調べたりするのでいつも心はいっぱいだった。
ごく幼い頃は周りの大人に疑問をぶつけたりもしていたが、子供騙しの回答をされることが多かったので、文字を覚えたあとはひたすら本を読んだ。
家で茶会やパーティなどが開かれても、そこに同じ年頃の子どもたちが集められても、全く興味が持てなかった。
パーティは屋敷の中と中庭を会場にして開かれたから、自分はいつも裏庭に隠れて木陰で本を読んで過ごすのが定番だった。
「トラビス。またこんなところにいて。挨拶だけでもしましょう」
「兄様、母様が探してたよ。顔だけでも見せなさいって」
「トラビス兄様! 見て! 髪の毛綺麗にしてもらったの!」
そんな時、いつもきょうだいの誰かが見つけにきた。
みんな結構しつこくて、自分が立ち上がるまでその場を離れないものだから、結局一度は顔を出すことにはなるのだけれど。
今になって思うときょうだいたちは極端に人に興味を持たない自分を心配したんだろう。侯爵家の嫡男として生まれて、人付き合いが苦手なのはかなり問題がある。
中庭で皆に挨拶する間もきょうだいたちが自分のそばを離れることはなかった。
だけど、当時の自分はそのありがたさに気づくことはなかった。
「トラビス、ものを覚えるのが得意なんだって?」
そんな自分に最低限の体裁を整えさせてくれたのは幼い頃から親交のある伯爵家の三つ年上の嫡男だった。
「だったら貴族名鑑でおおよその貴族の名前と顔を覚えるといい。本の内容なら覚えられるだろう?」
「ヨアキムは覚えたのか」
「もちろん」
伯爵家のヨアキムはにっこりと笑った。
貴族名鑑は思いの外興味深かった。この国の貴族というものは遡れば全て王家に繋がるので、歴史書で読んだ内容と関連する部分も多く、また顔の作りなども先祖がどの系列かによってある程度分類できるなど生物学的にも分析できるものだった。
顔を覚えるとパーティなど公の場では名前を呼んで挨拶をするということができるようになった。
両親は喜んだ。
でも自分はそれが重要なことだというのが理解できなかった。
この国で学問を極めようと思ったら道は一つしかない。
王立学園。
十歳を迎えれば入学できるこの学園には、国中から学問を修めたいと願う若者が集まる。学者や研究者のほとんどはこの学園で学んだ者だ。
侯爵家の嫡男でありながら、学園に通うことを許されたのは恵まれていたと思う。
早くから通いたいと話していて十歳になると同時に入学した。
学園は、本当に楽しいところだった。
幼い頃から、本ばかり読んでいて、大人相手に議論を吹っかけては煙たがられていた自分と同じ興味を持っている人間が沢山いた。不思議に思うこと、疑問を解消したいことについて思う存分議論する友人ができた。
自分にとって学園ほど満たされる場所はなかった。
最初の頃は実家のタウンハウスから通ったが、寮に入れる十三歳になった時には寮に入った。長期休み以外は帰らない。
――家族はそれが不満だったようだ。
自分には姉と弟と妹がいる。
みんな自分とは違う。
本は読むが、あくまで娯楽や教養のためで、一つのテーマについて異なった視点からのさまざまな資料を読もうとしないし、特定のテーマについて深く議論したりしない。
幼い頃、姉に「空はなぜ青いのか」と聞いた時、「神様が青く塗ったのよ。みんな晴れの日には心が晴れやかになるように」と言われた。
愕然とした。
姉は子供騙しに嘘をついたのではない。まだ自身も子供だった姉がその頃読んでいたおとぎ話にそう書いてあったのだ。だから姉はそれがさも大事な秘密かのようにそっと自分に教えてくれたのだ。
その優しさとその子供騙しの話に心底絶望したのだ。
自分が王立学園に通うのと前後して、ほかのきょうだいたちが王子殿下のお世話係に選ばれた。
どういう経緯で自分が選ばれなかったのか。学園へ通うからというのが表向きの理由だが、人へ興味のない偏屈な性格も考慮されただろうことは想像に難くない。
正直選ばれなくてほっとした。「お世話係」なるものを理由に王立学園に通えていなかったらと思うとぞっとする。
学園こそ自分の居場所。その思いは二十歳を過ぎても変わらなかった。
成人する少し前から学園での生活と並行して実家の侯爵家の仕事も行うようになり、家には定期的に帰るようにしていた。
しかし空き時間は一人本を読んで過ごすことがほとんどだった。
元来の性格に加え、成長するにつれて見た目も人を寄せ付けなくなってきた。我が家の血筋である大柄な体に厳つい顔。学園以外には友人もろくにいなかったのだ。
そんな生活に変化が現れた。
「その本、隣国の工業についての本ですの?」
ある日、実家でいつものように一人本を読んでいたら、不意に話しかけられて、横を向くと妹や弟と同世代の少女が立っていた。ふわふわのプラチナブロンドに澄んだ水を思わせる瞳。
大きな瞳は好奇心に輝いている。
「その本だと最新の状況とは少し異なりますけど、よろしいんですの?」
手元の本を指し示され、内心驚きながらも頷く。
「あ? ……ああ。最新の情報は学園の方に届くから。ここ最近の状況の変化を比較するために少しさらってるんだ」
「状況の変化と言いますと主に鉱業で?」
「それもあるが、それに伴い加工業の方にも影響が出始めている。我が国にも起こりうることだし、もう少し分析が必要だと考えている」
「加工業に影響が。やはり一つ変化があると多方面に影響が起こるものなのですね。今後さらに影響は広がると?」
大きな目をキラキラさせて、重ねて問うてくる。
正直戸惑った。家にいるときに誰かを意見を交わすのは久しぶりだ。
「……トラビス様?」
名前を呼ばれて、さらに驚く。自分のことを知っているのか。
カティの友人だろうか。
そういえば、最近、幼い頃から交流のある伯爵家に加え、一緒にお世話係をしている友人たちを家に招いていると言っていたことを思い出した。幼い頃に選ばれたお世話係だが、妹のカティ以外は先日までに成人を迎えた。今では、もともと王城に勤めていた姉のヘレナや伯爵家のヨアキムに加え、弟のアルヴィとヨアキムの弟エルモも騎士として王城に上がっている。自分も普段は学園の寮で生活していることが多いので、きょうだいの中でカティだけが家に残っている。
そういう事情もあるのか、最近は我が家にお世話係仲間を呼ぶことが増えたようだ。紹介されたような気がするが、正式なデビュー前だったから、貴族名鑑で覚えた名の中にはなかった。
だから、この令嬢についてもうろ覚えだ。
それにしても――。
「ああ、特に窯業には影響が出るだろう」
「窯業ですか?――でもあの国の窯業はそんなに大きな産業ではないはず。それが我が国にまで影響がでますでしょうか」
こんなに隣国の産業についての話題に食いついてくる令嬢は見たことがない。つい話を深めてしまう。
「ん? 知らないのか。隣国の窯業は近隣諸国の中では随一の規模だぞ」
「え?」
「確かに器として単独で売り出してはいないが、あの国の食品輸出は加工食品が主なものだ」
「あ、もしかして食品の入れ物として」
「ああ。大概がオリジナルの器を用意している。窯業が発達しているからできる。この国で貴族令嬢として暮らしていたら気付きづらいだろうがな」
そう言ったら、その令嬢は悔しそうに顔を歪めた。
「そうなのですね。私、窯業といえば南の島国だと思っていました」
「確かにあの国の器は有名だな。あそこは日用品としてというより芸術品として売り出しているから、一枚あたりの金額は大きいが、産業規模としては小さい。富裕層しか買えないからな。まあ、上位の貴族令嬢があちらに目がいくのは仕方ない」
そう言うと令嬢は下を向いて小さな声でつぶやいた。
「……そうですわね。どうせ私は世間知らずですわ」
――いや、読み込む資料が足りないだけだろう。
そう思い、本棚から、適当な本を探す。隣国の窯業は主に商品の入れ物として栄えており、高級品から庶民向けまで幅広い。買う客の層が広ければ市場規模も当然大きい。
対して彼女が言っている南の国の陶器は富裕層向けの芸術品だ。その辺りの、ことがまとまっている本があったと思うが。
――これか。
目的の本を手に令嬢を振り返ると、何故か怒ったような顔でこちらを睨んでいる。
「わかりました。次までに知識を深めておきますわ!」
そう言うと踵を返して、令嬢とは思えぬスピードで部屋を出て行った。
我が妹以外にもあんなに活発な令嬢がいるんだな。
そう思って出て行った方を見ていると、たった今思い浮かべた妹が入ってきた。
「トラビス兄様。ユリアナに何を言ったの?」
「ユリアナ?」
妹のカティは、呆れた顔をして「たった今ここから出て行ったでしょ」とこちらに歩いてくる。どうやら先ほどの令嬢はユリアナというらしい。
「別に隣国の産業について話しただけだ。――そうだ。そのユリアナ嬢にこれを渡してくれないか。先ほどその分野について勉強したいようなことを言っていたから、役に立つだろう」
先ほど見つけた本を差し出すと、カティはため息を吐きながら受け取った。
「お兄様。お兄様はただでさえお顔が厳つくて言葉が足りないのですからご令嬢には議論を吹っかけないで欲しいわ」
議論をふっかけたつもりはない。どちらかと言うとあちらから話しかけてきたんだが。
「いや。よく勉強しているんだな。学園に聴講にでも来ているのか」
そう言うとカティは珍しいものを見るような顔になった。
「ユリアナが? そうは聞いていないけれど。でも確かに政治や経済に興味はあるようね。私は全くついていけないけれど」
「へえ」
「トラビス兄様が人を褒めるなんて珍しいわね」
確かに政治や経済に興味を持つなんて令嬢にしたら珍しいかもしれないな。
その後もカティは「ご令嬢を不快にさせないよう笑顔で話せ」だの、「もっとわかりやすく言葉をつくせ」だの、色々言っていたような気がするが、書物に戻った自分がもう聞いていないとわかると諦めて出て行った。
それから、学園の寮から戻ると、時々ユリアナと顔を合わせるようになった。
ユリアナは、先代に王家から王女が降嫁した公爵家の令嬢だった。そういえば、あの家は子だくさんで末の娘たちが先日成人したはずだ。その一人がそう言った名前だった。貴族名鑑も最新のものをもう一度攫わないといけないなと思いながら、彼女の様子を眺める。プラチナブロンドは、おそらく王家の金髪の流れをくむもので、水色の瞳は公爵家に多くある色だ。そう思うと、以前から顔見知りの上の兄弟たちにもよく似ている気がした。
ユリアナは、経済から政治、文化や科学に至るまで、幅広く興味を持っていた。自身でかなり学んでいる部分については、かなり深い考察をしていて感心した。しかもこちらがユリアナの知らない知識について指摘すると悔しそうにしてその次に会う時までにはその辺りをきちんと調べてくる。
しかし、議論の途中で何故か怒り出すことが多く、原因がわからず困惑した。
更に困惑していることをカティにネチネチと怒られた。何を言っているのか全くわからないので全て聞き流したが。
自分自身は向上心のあるユリアナに感心していたので、知識の習得に役に立ちそうな本を貸したりしているうちに、ユリアナの態度もだんだん軟化してきて急に怒り出すことは減っていった。
そうなると更に議論は深まった。こちらと意見が違っても、どうしてそう思ったのか、どういう背景があるのか、深く知りたがった。独学では限界があるのか、まだ知識が浅い部分については、こちらが一方的に教えることになったが、自分の知らない知識を得ることを楽しいのか、大きな目をきらきらさせて興味深そうに話を聞いてきた。
これまで、家に帰ると皆と興味が合わず、一人で過ごすことが多かった自分にとって、学園以外で過ごす時間が楽しいと思ったのは初めてのことだった。
だから、浮かれていたのかもしれない。