冤罪をかけられた魔女は、憧れの騎士さまと偽物の惚れ薬とともに運命を切り開く。
「この料理を作った方を、こちらに呼んでいただきたい」
厨房にいたアンナは、首を傾げた。なぜならここは、騎士団に付設された食堂。貴族が利用するような高級店ならいざ知らず、わざわざ料理人に挨拶を求めるような人間などいない。それがしたっぱの、アンナ相手ならなおさらだ。
「騎士さま、何かお料理に不備でもあり……きゃっ」
呼び出されたアンナは、挨拶の途中でたまらず悲鳴をあげた。いきなり両手を拘束されるなんて予想外だ。男のてのひらは、かたく驚くほど熱い。
「あなたには、『惚れ薬により、市中を混乱させた魔女』という疑いがかけられている。このままご同行願おう」
「『惚れ薬を作った魔女』、ですか?」
もちろんアンナには、惚れ薬なるものを作った記憶などない。ずっと前から気になっていた常連客に手を握ってもらえたというのに、色っぽい話どころか人生最大の危機を迎えていて、アンナは思わず泣きたくなった。
(嘘でしょう)
男の台詞を待っていたかのように、食堂内にいた騎士たちが立ち上がった。見知った顔のはずが、急に知らないひとに思えてくる。体の震えが止まらない。
(いつもお料理を残さず食べてくれていたのは、犯罪者として観察されていたからかしら……)
綺麗に完食された皿が、いっそうらめしい。アンナの目から涙がこぼれ落ちる直前、厨房から料理長たちが飛び出してきた。
「これは何かの間違いです! この娘は、悪いことなんて何ひとつやっちゃいません!」
「そうですとも。惚れ薬なんて作れるなら、楽して金を稼げるってもんでしょう! なんでわざわざ、騎士団の食堂なんかで働く必要があるんです!」
「……わかっている。あくまで事情を聞くだけだ」
騎士に歯向かって、よいことなんてひとつもない。アンナは、必死で声をつむいだ。
「みなさん、ありがとうございます。大丈夫ですから、心配しないで」
そしてそっと頭を下げると、おとなしく騎士たちとともに食堂を出た。
*****
「今でも魔女狩りってあるんですね」
意外にも手荒く扱われることなどないまま、連れてこられたのは騎士団の詰め所。ぽつりと呟いたアンナに、男が小さく首を振った。
「まさか」
きっぱりと断言されて、アンナは小首を傾げた。そもそも返答があると思って聞いたわけでもない。ただのひとりごとのつもりだったのだから。どうやら騎士団にも、いろいろと事情があるらしい。
「先ほどは突然申し訳なかった。か弱い未婚女性の手を握りしめる形になったことを改めて謝罪したい」
「……いいえ、それが騎士さまのお仕事ですから」
アンナを怖がらせないようにするためか、男はひざまずいて話し始めた。こんなときだというのに、見惚れてしまった自分が恥ずかしい。
(お話の中の王子さまみたい)
「俺はラザラス。騎士団の第二部隊の部隊長を務めている」
「存じ上げております」
居丈高ではなく、あくまで紳士的。状況を考えれば、アンナのこの待遇は破格のものだろう。
「俺たちは、あなたが犯人だなんて思っていない。だからどうか、我々にご協力いただけないだろうか」
「……お話を聞かせてください」
(魔女狩りではないの?)
即答しないことは最初から予想していたのか、ラザラスが顔をしかめることはなかった。
「食堂内でも少し触れた通り、王都では『惚れ薬』なるものが出回っている」
「『惚れ薬』なんて、本当にあるのでしょうか?」
「わからん。しかし、現実に『惚れ薬』と称されるもののせいで、多くの揉め事が発生している。貴族どころか、王族にまで影響が出るほどに」
挙げられた内容を聞いて、アンナは軽く目をみはった。
「それで、犯人として私の名があがったのですね」
「ああ。騎士団付設の食堂に奇妙な料理を出す少女がいると」
アンナは唇をとがらせた。「奇妙」と言われるのは心外だが、確かに一般的ではない料理を出した記憶はある。
「たったそれだけで、疑われてしまうなんて」
「先ほど店で出されたものといい、確かに珍しいものには違いない」
「お味は問題なかったでしょう?」
「ただし、異質だ」
「王都で使われていないだけで、地方や他国では一般的な素材なんて山のようにあります。私の地元なんて、それこそ何でも食べますよ。安価で量があり、味も美味しい。そんな無茶な要求に対応するために、日々努力していたんです」
「確かに、前の食堂はひどいものだった」
アンナが食堂で働き始める前の食事内容を思い出したのだろう、ラザラスの顔がゆがんだ。
「俺を含め、平民出身の団員たちはあなたの作った料理に文句などない」
「お貴族さまは、許せなかったみたいですね」
「何がなんでも、平民出身の団員には不味いものを食べさせたい人間というのがいるんだ」
「馬鹿馬鹿しいです。お腹が空いていて、どうやって有事に力を出すのですか。あげく意趣返しに、惚れ薬を作って売りさばいたことにされるなんて」
「おかしな話だと思う。だが……」
「無罪放免というわけにもいかない?」
「その通りだ。俺の力では、あなたを逃がしてやることができない」
「冤罪だとわかっていても?」
「……すまない。第二部隊の管理下に置くという形で、あなたを保護するので精一杯だ」
(だから、わざと目立つように食堂で私を捕まえた? 私のために?)
自分のために、彼らが頑張ってくれたのだとわかり、胸がじんわりとあたたかくなった。自分が好きになった相手は、やっぱり弱いものを見捨てるような人間ではなかったのだ。
「わかりました。できる限り頑張らせていただきます。騎士さま、よろしくお願いいたします」
「俺のことはラザラスと呼んでほしい」
「そんな、騎士さまに向かって恐れ多い」
「ラザラス」
「……ラザラスさま」
「じゃあ、とりあえずそれで」
「ラザラスさまは、私に何をお求めなのでしょうか?」
得意なことは、料理くらいなものだ。この状況で何ができると言うのだろう。
「あなたには、『惚れ薬』を作ってもらいたいのだ」
ラザラスの言葉に、アンナは目をしばたたかせた。
*****
「これは、何度見てもやはり……」
「ご要望にお応えしたまでです」
「まあ、その通りだが」
夜市に立ったとあるテントの中。ラザラスは、テーブルの上に置かれた飲み物を前に苦笑する。「惚れ薬」の製作を依頼されたアンナが作ったものは、どろりととろみのある赤紫の飲み物だった。ところどころに浮かぶ黒い粒々が、さらにこの飲み物を毒々しくみせている。
「試行錯誤したぶん、評判は上々です」
「ああ、だがこれほど安易に、得体の知れない『惚れ薬』にみなが手を出しているのかと思うと、頭が痛くなる」
「ですから、これは『惚れ薬』ではありません。あくまで、恋を叶える『おまじない』です。ちなみにこの色合いも『可愛い』と評判なんですよ」
「これが、可愛いのか。女性の『可愛い』は、難しいな……」
アンナはラザラスに「惚れ薬」を作ることはできないと正直に告げ、代わりに特製ドリンクを作ってみせた。それは、この数日でラザラスの期待以上の反響を呼んでいる。夜間だけの販売にも関わらず、連日客が押し寄せていた。
「これは、偽の『惚れ薬』の一件がかなり広まっている影響でしょうか?」
「いや、単にアンナの才能だろう。アンナの代わりに店に立った女性団員では、うまくいかなかったのだから」
「私は料理の説明に慣れているだけです」
「『恋占いの得意な占い師』として、堂に入っていたぞ。アンナは、ひとの心をつかむ才能があるんだな」
(恋をしているから、恋占いにすがる気持ちがわかるんです)
からかわれたアンナは、肩をすくめながら続けた。
「騎士さまのおかげでもあるんですよ。あなたが私の側にずっといらっしゃるので、『おまじない』の信憑性が上がってしまって」
「あくまで警護のためだ」
「残念ながらみなさん、そうは思っていらっしゃらないみたいです。私なんかに、ラザラスさまがのぼせ上がるはずもないのに」
「……はない」
「何かおっしゃいましたか。なんだかお疲れのように見えますが」
「……そんなことはない」
珍しく口ごもるラザラスを前に首をひねっていたアンナが、ぱっと顔を明るくした。
「もしかして、お昼を抜いてしまいましたか? 『腹が減っては戦はできぬ』と言いますし、よろしければ、こちらを召し上がってみますか? もう少しで店じまいですから、それまでの繋ぎにはなるでしょう」
「ちなみに、『惚れ薬』としての効能は?」
「心配ですか?」
「まさか、『惚れ薬』なんて俺には意味がない」
ラザラスはグラスを受けとると、一気に流し込む。見事な飲みっぷりだ。
「意外といけるな」
「いくつかの果物を組み合わせていますからね。飲みやすい味に仕上がっていると思います。色合いは、魔女らしさとやらを追及したんですよ」
(本当に惚れ薬の力があればいいのに)
惚れ薬なんて効かないと一蹴されたことを少しだけ悔しく思いながら、アンナが説明する。
「吹き出物が消えた、ウエストが細くなった、意中の相手と結ばれたと評判だが。どういう仕掛けだ?」
「ドラゴンフルーツは、女性の美しさを引き出すと言われています。胡散臭い『惚れ薬』よりもずっと効果的かもしれませんね」
栄養満点なスムージーを飲むことで、種々のトラブルが改善。その結果、本人たちの意識も変わり、食事などの質が向上したのだろう。内側から綺麗になったことで、人間関係にも影響が及んだと思われた。
「相手へのゆさぶりとしても有効だろう」
「そろそろ動いてくるでしょうか」
ラザラスは、不意に真顔で呟いた。
「この作戦に、あなたをひっぱりこんだのは失敗だったのかもしれない」
「今さらどうして」
「わかっている。だが、あなたを逃がすという選択肢もあったのに。それをせずに、あえて協力を求めたのは俺だ」
「そういえば、お礼を言っていませんでしたね。助けてくださって、ありがとうございます」
(本当に優しいひとだわ。ただの顔馴染みに、ここまで心を砕いてくれるなんて)
「いや、俺のせいで目をつけられた可能性だって」
「私を保護した時点で、相手側に喧嘩を売ったようなものなのでしょう? それならば、隠れていても仕方がありません。むしろ逃げれば、これ幸いとばかりに殺されていたはず。こちらに後ろ暗い部分はないのですから、堂々としていればいいのです」
(もしも失敗したとしても、最後にあなたと一緒にこうやって過ごせたから。私は、満足なんです)
アンナは、まっすぐラザラスを見つめた。根負けして目をそらしたのは、やはりラザラスの方だった。
「あなたには敵わないな。気がついているだろうと思うが、我々第二部隊が面と向かって抗議できない、あるいは抗議しても却下される相手だっている。今回の件も恐らくは……」
「それ以上は、いけません」
この国の王族や一部の高位貴族は、魔法が使える。誰が聞いているかわからない状態で、決定的な言葉を使ってはならない。それが明らかに黒である場合でも。そのために、ラザラスとアンナは、回りくどい手を使って相手をおびき寄せているのだから。
(王族を敵に回しても、私を守ってくれた。それだけでもう十分)
「あなたが傷つくのは嫌なんだ」
「大丈夫です。私は騎士さまを信じていますから。心配なら指切りでもしましょうか。この件が片付いたら、腕によりをかけてごはんを作りますから、お腹いっぱい食べましょうね」
「それなら、あなたの故郷の料理を食べてみたい」
ふたりの指がからめられたかに思われたそのとき、テントに人影が飛び込んできた。
「お客さま。もうすぐ、店じまいの時間でして」
「うるさい、邪魔をするな!」
ラザラスの言葉に言い返したのは、「おまじない」には興味のなさそうな屈強な男。彼はアンナの手を無理矢理つかむと、なにごとかを唱えた。瞬く間に、まぶしい光がテント内に満ちる。
「転移陣か!」
「騎士さま?」
「必ず助けにいく。約束する、待っていてくれ!」
「……はい、信じています」
アンナがラザラスに向かって伸ばした手は、互いの指先をかすめただけで、すぐに見えなくなった。
*****
目を開ければそこは、薄暗い建物の中だった。日が当たらないのか、ひんやりとしていてどことなくかび臭い。アンナを連れてきたはずの男の姿はそこにはなかった。
「やはりダメだったか」
座り込んでいたアンナが慌てて顔をあげると、いつの間にか外套で全身を隠した怪しげなやからがいた。声から察するに相手は男だろう。
「……先ほどのひとは?」
「魔力を持たない人間は、転移に耐えられないらしい。目的地に到着する前に、消えうせてしまう」
「……っ、なんてことを」
鳥肌のたった腕で、自分自身を強く抱き締める。
(私も消滅していたかもしれないというの!)
「ところでお前、あいつと寝たのか?」
「な、何を」
「お前の両手首に、あいつの『魔力痕』がついている。どれだけ肌を重ねれば、これだけ破廉恥なマーキングを残せるんだ。その魔力がなければ、お前もここに辿り着くことはなかっただろうよ。一か八かでやってみたが、やはり生き残ったか」
(マーキング? え、まさかあのときの?)
アンナがラザラスと触れあったのは、食堂で腕を強く握られたときのみだ。逃げられないように拘束されただけかと思っていたが、まさか魔力を譲渡していたのだろうか?
(共に夜を過ごしたと思われるほどの、濃密な魔力を私に?)
こんなときだというのに嬉しさと驚きで、頭が混乱した。頬が赤く染まっているのが、鏡を見ずともわかるくらいに熱い。そんなアンナの姿をどう判断したのか、男が馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「お前もかわいそうなヤツだよ。あいつに関わらなければ、『惚れ薬』の犯人にされることもなかっただろうに」
「それはどういう」
「あいつは、昔からひとにもものにも執着しない。大切にしたものは、僕に取り上げられるか壊されるだけだと知っているからだ。それがどうだ、あいつはお前のためにすべてを懸けてみせたじゃないか。おかしくてたまらないよ。あいつがすべてを失って泣くのを見るのが楽しみだな」
「それだけ、ですか?」
「なんだ?」
「たったそれだけのために、依存性の高い薬を、『惚れ薬』と称して流通させたのですか」
「……その髪、その瞳、東部地方の魔女か」
アンナは唇を噛む。アンナの故郷の住人たちは、かつて魔女と揶揄されてきた。髪や瞳の色に加えて、王都の人間が食べない物もまた口にしていたからだ。幾多の飢饉を乗り越えるための工夫だったが、王都ではまだその感覚が根強く残っている。だからこそアンナは、料理人として王都で働くことを幼い頃から目標にしていた。
「そこいらの医者よりも薬草に詳しい私たちでさえ、『惚れ薬』なんて作れません。それならば、精神に影響を及ぼす薬……いいえ毒が出回っていると考えるのが自然です」
「もともと頭がお花畑の人間に対して、ますます頭がお花畑になる薬を使って、何が問題になる?」
とんでもないことを堂々とのたまわれる状況に、めまいがする。アンナは、自分を奮い立たせるようにこぶしを握った。
「顔も体もいまいちだが、魔力を受け入れる器としての才能はあるようだな。頭もまあ悪くない。いいだろう、お前は僕のものだ。それなりに可愛がってやるよ」
「お断りします」
「黙れ」
横っ面を叩かれる。倒れこめば、口の中に鉄の味が広がった。男は一歩も動いていないところを見ると、これもまた何かの魔法によるものなのだろう。
(魔女と呼ばれる私たちは魔法なんて使えないのに。どうして、こんな横暴な人間は魔法を使うことができるの?)
「面倒だから、その口は閉じておいてもらおうかな。興が削がれる」
ラザラスと過ごして、もう十分に幸せだと思っていた。けれど今さらながら、想いを伝えたいと願ってしまった。
(ラザラスさまに、会いたい)
「アンナ、大丈夫か!」
「……どうして、ここに」
「助けに行くと約束しただろう?」
驚いたのは、外套を着た男も同じだったらしい。明らかにうろたえている。
「そんなバカな、どうしてお前がここにいる!」
「アンナにつけた目印を辿った。一度転移陣で繋がった空間だからな。もう一度繋ぎなおすくらい、難しくはない」
「転移陣の書き方も知らないくせに!」
「必要なら、それくらいできる」
「そんな、嘘だ! 嘘だ!」
激昂した男が、外套を脱ぎ捨てた。怒りにまかせて踏みつける姿は、駄々をこねた幼児のよう。
アンナには、貴族の爵位などわからない。服装も高価そうだとしか判断できない。そんなアンナにもわかることがひとつだけあった。
(このひと、ラザラスさまによく似ているわ。ラザラスさまがあと10年経てば、こんな風になるのかも。けれど、ラザラスさまは平民出身とおっしゃっていたはず……)
貴族や王族にありがちな複雑な家族関係が頭をよぎったが、アンナは考えるのをやめた。
「だが、それが現実だ」
「今まで実力を出さなかった卑怯者が何を言う! 平民として第二部隊などに在籍せずとも、堂々と高貴な血をひくものとして名乗りをあげることだってできただろう!」
「興味がないと言ったはずだ」
「ならば、なぜ今さら歯向かう!」
「俺だって、粛々と生きていく気でいた。波風を立てず、異母兄の横暴にも目をつぶって。彼女に手を出さなければね」
「たかが女ひとりのために、立ち上がっただと?」
「冤罪をかけ、彼女の名誉を汚したことは、しっかり償ってもらう」
ラザラスが腰から剣をとる。光が射さないはずの部屋の中で、刃が白く清浄な輝きを放った。
「僕のことを殺す気か。恥知らずの平民あがりめ!」
「残念ながら、殺す価値もないよ」
魔法が使えることを隠し、ただの平民として騎士団でのし上がってきたラザラスが、体術で負けることなどない。魔力の使い方ひとつとっても、高慢な異母兄よりも長けている。苦手だったことは、政治的なかけひきだけ。
ラザラスは、異母兄を一瞬で気絶させどこかへ送りつけると、二度と離さないと宣言するかのように、アンナを強く抱きしめた。
*****
「今まで、本当にお世話になりました」
アンナは、慣れ親しんだ騎士団の付設食堂でもう一度頭を下げていた。普段はいかつい料理長までが、目を真っ赤にしている。
「アンナちゃんが辞めちゃうのは寂しいけれど、こればっかりは仕方がないねえ」
「旦那さんの仕事についていくってんだから、まったく優しい子だよ」
「嫌になったらいつでも帰っておいで」
「そうそう、ここは第二の実家みたいなもんだから」
涙ぐむアンナに、ラザラスが困り顔でハンカチを渡した。
「みなさん、妻をそそのかすのはやめてほしい。せっかく、北部までついてきてくれると言ってくれたのだから」
「もう、ラザラスさま。私がついていかないはずがないでしょう?」
異母兄の悪事を暴いたラザラスは、その力を隠すことをやめ、王太子派に属することを決めた。これからは王都の目が届きにくい辺境を回り、情報収集につとめることになる。その1ヶ所目が、これから行く北部地方だった。
「だがあなたの夢は、故郷への偏見をなくし、美味しい料理を王都に広めることだったはずだ」
「草の根運動って、大事なんですよ。それに他の地方に行けば、また面白い料理に出会えるでしょう? いつかそれを、王都で紹介できたらいいですよね」
アンナは片目をつぶってみせた。
「それに、故郷の料理を作るって約束をしたでしょう。まだラザラスさまに作っていないものがたくさんあるんです」
「そうか。これからも、作ってもらえるか」
「もちろんです。おじいさんになるまで、毎日出しますし、飽きたと言っても許してあげませんから」
「一生食べても、飽きるわけがない」
赤面するアンナの頬に、ラザラスは口づけを落とした。
食の国として知られる王国がある。ここでは、どんな辺境であっても飢えることなく、人々は穏やかに暮らしているという。そして王都のとある食堂には、各地の名物料理をふるまうおしどり夫婦がいるそうだ。