40.笹木華の大作戦。
翌日。
俺は観測器を用いて場所を特定し、一年上の先輩である育巳とコンタクトを取っていた。
今思い返してみれば、逃走した彼女を追いかける時にも使うべきだった気もするのだが、あの時はあまりの事態に観測器の存在自体が完全に忘却の彼方になっていた。
もっとも、仮にあの時育巳の居場所を特定して、彼女を捕まえられたとしても、大した話が出来たとは思えないけどね。
「隠れてたらほんとに先輩に絵を描かせてくれるのね?」
未だに信じがたいという感じで確認を取る育巳。彼女は今、美術部の部室に存在している掃除用具入れに隠れるような形になっている。まだ、扉自体はしまっていないものの、俺が外から閉じてしまえば下準備は完了となる。
育巳にコンタクトを取った俺は、彼女に一つの作戦を告げた。
それは、「俺(笹木華)と二人きりの時であれば普通に絵を描いてくれるのではないか」という仮説のもと、彼女にあらかじめ部室内に隠れてもらい、そこで俺が碧に絵を描いてほしいとねだる、というものだった。
実際、この間キュビスム絵画のようなデッサンではあるものの、碧が久々に絵を描いて見せたのは、俺が一緒に居たからに他ならない。
その理由は一切分からないし、絵を描く理由となったのが俺というのはかなり無理のある解釈な気もするが、事実、育巳はあの時初めて碧が絵を描く姿をみたということだったらしく、この説は意外とすんなり受け入れてもらえた。
理由はまだ分からない。
ただ、育巳は“絵を描く”という事に関してはれっきとした経験者だ。彼女自身コンテストの入賞経験もあるという。そんないわば“玄人”の育巳と、おおよそ“ド素人”であるところの俺相手ではプレッシャーも違うのではないだろうか。
実際プロの世界でメンタルが原因で上手くいかなかった野球選手が、草野球で楽しさを思い出して、上手くいくということもあるくらいだ。格下、という言い方は失礼だが、プレッシャーがかかりにくい相手がいれば、いささか気持ちが楽になるという可能性も有るだろう。
一緒に育巳がいる時に描いていたのにこの解釈でいいのかという気もしないではないが、あの時のデッサンもどきは本気の絵ではなかっただろうし、良しとしたい。
だけど、そんなことを育巳に伝えてしまえば、作戦は決行出来ない。
ということで、
「大丈夫です。きっと描いてくれます」
正直、確実とは言い難かった。
ただ、この場合はノーなんて言ってられない。時にはハッタリだって武器になる。最後の最後、証拠で追い詰められない場合はカマをかけるのも効果的だったりするのだ。
育巳はまだ納得しきっていないようだったが、
「まあいいわ。そこまで言うなら付き合ってあげる。私も、あいつの本気は見たいしね。ほら、扉閉めて。内側からだと閉まらないから」
「あ、はい」
俺は言われた通りに掃除用具入れの扉を閉める。ちなみに、流石と言うべきか、掃除用具入れも簡素な金属製ではなく、しっかりとした木製だった。
部室に使われているからか、過去の部員が持ち去ってしまったのかは定かではないけど、中には一切物が入っていなかった。それなのにこの大きさ。なんとも贅沢な話だ。
さて。
こちら側の準備が整ったら、次はもう片方だ。
掃除用具入れは、外からは正直目立たない作りをしているが、内部からの視界は意外とよく、部室のうち、奥の方三分の一くらいは一望出来ることを確認済だ。
逆に言えば、その視界に入る場所で俺が変な動きをしていたら、育巳に丸見えになってしまうことになる。
なので、そそくさと部室の入り繰り付近まで移動して、 ポケットに入っていた観測器を取り出して、手のひらの上に載せてかざし、
(観測器、馬部碧を探して)
ふっと浮遊をした観測器は、次の瞬間あっさりと目の前から“消滅”する。おかしな表現だけど、目の前で起きた事象を説明するにはそれが一番正しいと思う。
少しして、脳内に映像が流れ込んでくる。この不思議な状態にも大分慣れてしまった。場所は……廊下だろうか。どうやらもう、部室に向かっているようだ。
時間がかかっているのも計算済だ。育巳を掃除用具箱に隠れさせるにあたって、碧が掃除当番を任されていることを確認してある。こんなお嬢様学校で掃除当番があるんだなと感心してしまったが、あるものはあるらしい。ただ、そのおかげで、時間は稼げた。
やがて、観測器の映像が美術部の部室がある階へと移る。これ以上の映像は必要ないだろう。俺は再び手を掲げて、
(観測器、戻って来て)
そう念じる。すると、次の瞬間にはやはり手のひらの上に“出現”した。本当に謎のアイテムだ。女神がくれたという割にはミョーに機械的なのも気になるところだ。
「おっと」
足音が聞こえてくる。俺はすぐさま観測器に、
(机の引き出しに戻って)
そう念じる。すると観測器は再び“消滅”する。
そして、入れ替わるようにして現れたのが、
「一色居るかー?……って、華ちゃん?どうしてここに?」
馬部碧だった。
これで、もう片方の準備も整ったことになる。
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